仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

第1章・Scene6 稽古場での一瞬の笑顔

 翌日の稽古場は、舞台セットが仮組みされ、照明リハーサルの眩しい光が天井から降り注いでいた。スタッフが慌ただしく動き回り、舞台袖では衣装部が布を広げ、演出家の声が響く。

 岡崎優香は、台本とスケジュール表を抱えながらその中を歩いていた。

 ふと目に入ったのは、壁際にひとり立ち尽くす宅麻大地の姿だった。
 誰とも目を合わせず、台本を持ったまま動かない。華やかなテレビでの姿とはまるで別人のようで――浮いて見えた。

(……あれが、本当に“宅麻大地”?)

 気づけば、足が自然に彼の方へ向かっていた。

「……あの、セリフ、練習してるんですか?」

 声をかけると、大地の肩がわずかに震えた。振り向いた顔には、救われたような影がにじむ。

「……岡崎さん……」

 その声音に、優香の胸がわずかに揺れた。

「相手役の方、まだ来てないみたいですね。……よければ、私が読みます。少しだけでも」

 言いながら、自分でも驚くほど自然だった。マネージャーの仕事ではない。それでも、彼の固い表情の奥に一瞬だけ垣間見えた“素顔”に惹かれていた。

「……いいんですか?」

「はい。台本は一通り読んでますから」

 照明の影になった舞台袖の柱のそば。二人で台詞を交わす。ぎこちない声は、繰り返すうちに少しずつ柔らかさを帯びていく。

「……君がいたから、僕はここに立てているんだ」

 その言葉を口にしたとき、大地の表情がふっとほどけた。
 作り物ではない、不器用で確かな温度を宿した笑顔。

(……今の……)

 優香の胸がきゅっと鳴る。

 その瞬間――舞台奥の暗がりに黒い影が立った。
 腕を組み、冷たい目でこちらを見つめる三島。気配だけで、空気が凍りつく。

(……見られてる。ちゃんと“大地”でいないと……)

 大地の笑顔が、一瞬にして消えた。
 次の瞬間には、完璧な仮面の笑みが貼りついていた。

「……ありがとうございます、岡崎さん。助かりました」

 さっきの素直な声音は、もうどこにもない。

「……いえ。お疲れさまです」

 優香は目を見開き、その変化に胸を締めつけられた。

 大地は何事もなかったように照明の下へ歩き出す。背中はテレビで見た“理想のアイドル”そのもの。
 けれど、ほんの一瞬だけ見えた“素顔”が、優香の胸に深く残っていた。

(……もう一度、あの笑顔が見たい)

 自分でも驚くほど強く、そう思った。



 
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