仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

Scene8 優しさの行き先

 ドアが閉まった瞬間、廊下の空気がひどく冷たく感じられた。
 耳の奥には、まだ三島の低い声が、重い残響のようにこびりついている。

 優香は早足で廊下を進みながら、胸の奥のざわめきを抑えきれなかった。
(……あんな言われ方、して大丈夫なの?)
 庇いきれなかった悔しさ。そして今、彼がどんな顔をしているのか。気がかりでたまらない。

 その背後から、重く引きずるような足音が近づいてくる。
 青ざめた顔で、蓮――“宅麻大地”が出てきた。
 眉を深く寄せ、視線は床に落ちたまま。まるで何かを背負いすぎて、歩くことさえ重たくなっているようだった。

(……このまま、ひとりで帰すのは嫌だ)
 胸の奥でそっとつぶやく。
 彼の心が、今にも折れそうな音を立てている気がしてならなかった。

「……大地くん?」

 思わず声をかける。
 彼は立ち止まりもせず、ちらりとこちらを見ただけで、すぐに目をそらした。
 何も言わずに通り過ぎようとしたその腕に、優香はそっと手を添えた。

 触れた瞬間、大地の体がわずかに強張る。
 その硬さに、優香の心臓がきゅっと痛む。

「ねえ、このまま帰るの?」

 言葉を選びながら、優しく問いかける。声はかすかに震えていた。

「少しだけ……うちに寄っていかない?」

(今、彼をひとりにしたら――また、あの冷たい目に戻ってしまいそうな気がした)
 自分の家が、今の彼を少しでも温められる場所になるなら。
 そんな願いを込めて、優香は彼をまっすぐ見つめた。

 大地は、しばらく何も言わずに立ち尽くしていた。視線は床に落ちたまま。
 耳の奥にはまだ、三島の言葉が残っている。

 ――“宅麻大地”を演じ続けろ。死ぬまでな。

 胸の奥が、鉄のように重たい。喉に言葉が詰まって出てこない。

(……こんな顔、見せたくねぇ。けど……ひとりでいるのも、もう、しんどい)

 ほんの一瞬、彼の視線が優香と交わった。
 その瞳の奥に揺れたものを、優香は確かに見た。

 それは、助けを求める声にならない叫び――
 あるいは、かすかな希望の光。
 その光が、優香の胸の奥にまで、そっと届いた気がした。


 
< 48 / 55 >

この作品をシェア

pagetop