王位を継いだら最強でした~17歳の末姫が、王位に就いたら国が救われたようです~

第8話 静かなる衝撃

春の陽光が王都の石畳を柔らかく照らすある日、政務院に一通の封書が届けられた。

それは、隣国グランディア帝国より届いた、新王即位の正式通知であった。

政務官たちは「祝電を」と口々に言い、文官はすでに祝宴の文案を起草し始めていた。王宮でも、各国大使を迎える晩餐の準備が進められ、食材や楽師の手配に侍従たちが奔走していた。

だが、その祝意に包まれた空気は、ひとつの速報で凍りつく。

「即位からわずか十日──グランディア帝国、全貿易国に対して関税三倍の『帝国主義関税令』を施行」

その言葉は、王国の中枢を雷撃のごとく打ち抜いた。

文書を読み上げたのは、経済局長だった。

「……この一律関税引き上げは、事実上の貿易封鎖に等しいものです」

読み終えた瞬間、政務院内は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。

「各国共通で三倍だと? 我が王国の鉄輸入量をご存知か!」
「これは経済的侵略と変わらぬ。即刻抗議を──」
「いや、まずは使節団を──急ぎ外交局を動かせ!」

その場には、驚愕、怒声、動揺、そして無力感が入り混じった。

貿易統計班は即座に国庫収支への影響を算出し、複数の報告書が次々とアウレリアの卓に積まれていく。机の上は紙と記録の雪崩で埋まり、数人の書記が慌ただしくメモを走らせていた。

市場を担当する内政局の役人は、青ざめた顔で「国内鉄鋼価格、三日で二割上昇」「薬品供給、次回入荷未定」と記した速報紙を手に立ち尽くしていた。

王都の中央市場では、輸入鉄の価格が急騰。街角の薬商人は次の納品日が未定と告知し、棚を空にして客に詫びていた。職人たちは仕入れに頭を抱え、鍛冶屋では炉の火が止まり、広場には静かな焦燥が立ちこめていた。

港湾では積荷が滞り、運送業者が抗議を始めていた。小麦を積んだ商船が入港できず、パン屋が臨時休業を貼り出す。王都のパンの香りが薄れ始めると、人々の不安は日常へと侵食していった。

貴族たちは焦りの色を隠さず、臨時会議では叫ぶように提案が飛び交った。

「交渉団だ。早急に組織し、グランディアの機嫌を取る必要がある!」
「せめて我が国だけでも“例外的取り決め”を結ぶべきだ。特使を派遣しろ!」

その騒然とした空気の中心で、ただ一人、アウレリア・セラフィーナ・ヴァレリアは沈黙していた。

白磁の湯呑に注がれた冷めた茶、静かに広げられた王国の交易地図、そして三年分の輸出入統計。

その姿は静かでありながら、まるで万象を睥睨する神殿の像のような気迫を漂わせていた。

目を伏せ、数字と地図を見比べた後、彼女は筆を置き、やがてふと顔を上げた。

「……交渉はしない」

その一言に、議場が静まり返った。

「アウレリア様、それは……っ、グランディア相手に?いま手を打たなければ、損失は日ごとに膨らみます!」

それでも彼女は誰の目も見ず、地図に目を落としたまま、言葉を続けた。

「“交渉”を望む相手ならば、対話の場を持つことに意味がある。けれど、今回の関税は宣告──問答無用の通達。あの新王は、最初から取引する気などない」

その声は低く、しかし一切の揺らぎがなかった。

「こちらが使うべきなのは説得ではない。構築よ。新しい道、新しい秩序」

その言葉が、風のように政務院全体を貫いた。

貴族たちが口を噤み、補佐官たちがペンを止める中、アウレリアはゆっくりと、交易図の一角に赤い印をひとつ、淡く記した。

それは、グランディアを経由せず物資が動き得る“新たな結節点”──小国間連携の起点となる未整備の港だった。

その印に宿る意志は、まだ誰にも理解されていなかった。



グランディア帝国の関税令が実施されてから十日。王国ではすでに、複数の業界で深刻な影響が出始めていた。

鉄──最も早く打撃を受けた資源だった。鍛冶屋の炉は次々と火を落とし、王都の武具職人たちは在庫整理に追われていた。市場では鉄釘や農具の価格が倍近くに跳ね上がり、修繕を諦める農民の姿が目立つようになる。街角の鉄器店では「品切れ」の札が増え、粗悪な再鋳造品が高値で売られるなど、歪な供給の波が広がっていた。鍛冶屋の親方たちは日々相談を重ね、薪の使用量すら削る苦肉の策を強いられ、王都の路地には「修理は来月までお預け」と書かれた看板が並びはじめた。

薬品──輸入原料に依存していた調合師たちは、仕入れ停止の報を掲げて薬棚を空にし、客に謝罪する光景が日常となった。特に王都西部の治療院では、一部の薬品の代替を求めて近郊の山地に薬草を採りに行く者も現れ、薬草市場の値段すら高騰していた。貴族の邸宅で使われる高級香料も不足し、香炉に火を入れぬ朝が増えた。薬局の主人たちは、過去の在庫台帳を見直し、わずかでも使える乾燥薬草を探す始末だった。医師たちは薬効の弱い代替処方でしのぎ、診察室には「おひとり様一瓶まで」の貼り紙が増えていった。

繊維──帝国南部産の高級絹布はほとんど流通が途絶え、王都の仕立て屋では春の装いが間に合わず、貴婦人たちの間に苦情が噴出。華やかだった社交の場には、わずかに寂しさと張り詰めた空気が混じるようになり、商人たちは生地の裏側に帝国製品であることを隠すための刻印消しを始めていた。舞踏会でドレスの縫い目が裂けるたび、耳打ちで囁かれる帝国への不満が、静かに王都に溶けていった。

こうした状況の中、帝国は次の一手を打ってくる。

──「例外交渉」

グランディアは、関税の“段階的緩和”という名目で、選別した隣国との個別交渉を始めた。

「あなた方が誠意を見せてくだされば、関税は調整できる」

その「誠意」とは、領土の一部譲渡、港湾の共同管理権、政治的支援表明──要するに、経済的従属だった。

小規模な周辺国は慌て、帝国の“機嫌”を取るように譲歩を重ねた。緊急使節団が往復し、国旗の色を変える条項が秘密裏に交わされた例もあると噂された。新聞各紙は遠回しな表現でそれを報じたが、市民の間では「帝国の前で膝をついた国がまた一つ」と嘆きの声が広がった。

しかし、王国の執政庁では違う風が吹いていた。

アウレリアは連日の混乱の中でも沈黙を保ち続け、ある日突然、政務院に集まった補佐官たちの前で地図と一冊の草案を広げた。

「──これが、東部連帯市場協定案よ」

その草案は、王国の東縁に位置するタリオ、メルヴィナ、ネルク、スヴァーリという四つの小国との連携構想だった。いずれも国土は狭く、単独では経済的に脆弱だが、互いに補完し合える産業と資源を持つ。さらに、王国の港湾を“共同中継地”とすれば、帝国の通商圏を回避して物資を動かすことが可能だった。

アウレリアは、帝国依存の連鎖から抜け出す道を「沈黙と連携」によって描こうとしていた。

各国に宛てて届けられた親書には、こう記されていた。

「帝国の支配に“賢く従う”か、“静かに手を組む”か。それを決めるのは今です」

並行して、王国は自国の港湾関税を段階的に引き下げ、域外からの物流中継地としての魅力を高めていく。新設された貿易振興室では、輸送保険の引き下げ、通関手続きの簡素化、再輸出税の撤廃など、実務的な対応が次々と整えられた。

書記たちは連日夜更けまで政策文書を仕上げ、港湾管理局では新たな係船規則の改正案が立案され、王都南港の一角では夜を徹して新しい積荷倉庫の増築工事が始まった。灯の消えぬ工区では、鉄槌の音が静かな希望の鐘のように響いていた。

やがて王都の港には、初めて見る旗を掲げた中型商船が着くようになり、港湾労働者たちの間にも活気が戻り始めた。市場では、グランディア経由に頼らぬ新たな品物が並び始め、商人たちは驚きと共に新たな取り引きを模索していった。王都に生まれた新しい流通は、確かに小さくとも、自律の芽だった。

ある夜、アウレリアは灯りを落とした執務室で、書棚の地図帳に手を伸ばしながらふと呟いた。

「高すぎる壁には、道を掘ればいい。ただし、それは静かに目立たぬように」

その声は、記録帳の余白に書き留められ、やがて“構築する外交”の標語として、後に多くの外交官に引用されることとなる。



一ヶ月後──帝国の関税政策は、帝都の布告書では「成果あり」と高らかに謳われていた。

だが、その実態はすでに崩れ始めていた。

帝国南部の商都セリアでは、関税高騰による物資停滞が深刻化。輸入品を頼りにしていた商館は商品を並べられず、倉庫には積み荷だけが山のように残されていた。日雇いの港湾労働者たちは職を失い、朝から街頭で「仕事をくれ」「腹を空かせた子に何を食べさせろというのか」と訴える声が増え始めていた。

混乱の末、起こったのは民衆による小規模な暴動だった。税関施設が襲撃され、衛兵と商人の衝突が報道されたが、帝都の報道はそれを「秩序回復中」と簡素に伝えるだけだった。

物流は鈍り、物価は上昇し、帝国の経済は徐々に音を立てて歪んでいった。

一方、王国──

アウレリアの提唱した“東部連帯市場”は、着実に機能し始めていた。連携する小国からの物資は計画通りに到着し、港には各国の旗がはためいた。王都の市場には、タリオの色鮮やかな陶器、メルヴィナの濃厚な香草油、ネルクの精緻な銀細工、スヴァーリの塩干品が新たな定番となり、目にも香りにも生活に変化をもたらした。

交易船が絶えず入港する港湾では、新設された倉庫が早くも満杯になり、増築計画が前倒しされていた。かつては閑散としていた荷運び路地にも、今や朝から夜まで商人の怒号と笑い声が絶えなかった。

商業会議所では日々新たな取り引き契約が交わされ、王都はむしろ混乱の最中にこそ“経済の鼓動”を取り戻していた。

その流れに、帝国が再び動いた。

「王国に対し、特別優遇関係の構築を希望する」──そう打診してきたのは、帝国新王の特使だった。

だが、アウレリアはその書簡に対し、返書を送ることすらしなかった。

代わりに、王国は外交局を通じて、対外通信を一つだけ発信した。

「我らは交易の自由を望む者には門を開く。ただし、対等である限りにおいて」

この短い文言は、王国の姿勢をすべて言い尽くしていた。

貴族たちは驚き、保守派の中には「これは事実上の拒絶宣言ではないか」と顔をしかめる者もいた。

だが、商人たちは喜び、手を叩いた。市民たちは街角の掲示板に貼り出された文書を見つめ、若き女王が打ち出したこの静かな反撃に、自分たちの誇りと未来を重ね合わせた。

「静かなる逆転劇」──そう呼ばれ始めた外交再編の象徴に、王都の空気は確かに変わりつつあった。

帝国は激怒した。だが、激怒が届く頃には、王国の交易再編はすでに現実として定着していた。

その夜。

アウレリアは執務室の灯を消し、帳簿の並ぶ机の奥から記録帳を取り出す。

新たな万年筆のインクをひとしずく紙に落としながら、ゆっくりと綴る。

『強き声に従う必要はない。ただし、静かなる秩序は、作る者に従う』

その一文を見つめる彼女の瞳には、疲労もあったが、それ以上に揺るがぬ確信が宿っていた。

──これは、一つの勝利だった。

声高に叫ぶことなく、押し返すことなく。ただ、構築し、選び、歩んだことで得られた勝利。

静かに、だが確かに、時代が動いた音がした。
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