超近距離恋愛は遠回り
「どんな人が好みなの?」

誰かに聞かれる度に、

「そうねぇ⋯⋯小さい頃からひとつ屋根の下で育った、弟みたいなアイツかな」

決まってそう答えてきた。

アイツも、誰かに同じことを聞かれたら、

「んー⋯⋯物心つく前からひとつ屋根の下で育った、妹みたいなお嬢様」

そう答えていることは、互いに知っている。

幼い頃も、18になった今も、それは同じ。

まさに、相思相愛。

変わらぬ想い。エヴァーラスティング・ラブ。

妙なのは、同じ日に、同じ病院で生まれたにも関わらず、互いに自分のほうが上だと思っている点ぐらい。


「なーんだ、最初からハッピーエンドじゃない!あ、さては、ハッピーエンドから始まって、どんどん愛が壊れていく物語?そんな悲しい話は嫌だから、ここで読むのをやめるわ」

ちょっと待って!読者の皆さま!

私自身、そんなことになるなんて、絶対に嫌だから!


「痛っ!アリゼちゃん、相変わらず寝相悪すぎ⋯⋯」

「あ、直樹⋯⋯おはよ。ごめん、蹴った?」

「おはよう。思いきり蹴られました」

曇天の週末。

張り替えたばかりの畳は気持ちいいねぇ⋯⋯などと言いながら、和室でゴロゴロしていたら、いつの間にか、二人して眠ってしまっていたらしい。

直樹は、まだ少し寝ぼけ眼のまま、こちらに腕を伸ばす。

「髪、乱れてるよ」

きつめのパーマとハイトーンのカラーで傷んだ私の髪を、遠慮がちな手つきで直してくれる。

「ありがと」

特に意識していないかのように装っているが、本当はかなりドキドキしている。

一体、どういう関係なのかと思われるかもしれないから、少し整理しないとね。

私の名前は、中原アリゼ。漢字は有瀬。完全な当て字。

老舗呉服店の娘で、我が家はなかなかの大所帯。

両親と兄、それ以外にも“家族同然”の人々が、ひとつ屋根の下で暮らしているから。

今、隣で眠っていた“相思相愛のアイツ”は、残間直樹。

記憶こそないけれど、直樹には悲しい過去がある。

もともと、直樹のお父さんは、会社の社長だったのだが、その会社は倒産。

お父さんは、社員とその家族に「死んでお詫び」をしてしまった。

苦渋の決断、などという言葉では足りないほど苦しんだのだろう。

最愛の奥さんと、まだ赤ん坊の一人息子を残して、ひとり旅立ってしまったのだから。

私の母と直樹のお母さんが親友ということもあり、当時から、母子でこの家で暮らしている。

直樹のお母さんは、今や中原呉服店の優秀な社員であり、家族同然。

つまり、直樹も家族同然なのだが、そこがネックになっている気が⋯⋯。


「あ、そうだ。今日から来る新しい使用人、もうじき駅に着くはず。私が迎えに行こうかな」

「僕も一緒に行こうか?荷物持ちぐらいにはなれるから」

直樹はまだ自分の車を持っていない。

「じゃあ、お願いするわ」




「ちょっとちょっと!あまりにも左に寄り過ぎだよ!」

ボコボコに凹んだ、昔ながらの33ナンバー車の助手席で、直樹が言う。

「あー!ぶつかるって!」

「騒がないで!これでも私、無事故無違反なのよ!?」

「でも、自損事故は既に数えきれないよね?あっ!またそんな危ない走り方!」

「文句言うなら直樹が運転してよ!」

「それは無理だよ。本人限定の保険になってるし」

愚にもつかないことを言い合っているうちに、駅の立体駐車場に到着。

バックで駐車する際、何かにガツンとぶつかる音がした。

「⋯⋯まーた、やっちゃったね」

直樹が呆れたように言う。

後ろをチェックしたところ、ぶつかったのはコンクリートで、傷ついたのは車だけなので、大丈夫。


駐車場から、約束していた場所まで二人で向かう。

「どの人だろう⋯⋯?着いたら、携帯に電話くださいって言っておいたんだけど」

大勢の人が行き交う上に、互いに顔を知らない。

「アリゼちゃんからかけてあげたら?」

「その人、携帯持ってないみたいで」

「ふーん。アリゼちゃんのレアな仲間だね」

私は自分のスマホを持っておらず、いま持ってきているのは、店の業務用携帯。

「その新しい使用人の名前は知ってるの?」

「えーとね⋯⋯鈴木喜子さん。あ、そうだ!すずきさぁぁぁん!すずきよしこさぁぁん、いらっしゃいますかぁぁ!?中原呉服店です!」

大声で叫ぶと、直樹は慌てて私の口を塞ぐ。

「急に叫んだりしたら、怪しまれるよ!」

「だって、しょうがないじゃない。鈴木さぁぁん!」

「あ、あのう⋯⋯中原さんだすか?」

そんな声に振り向くと、お下げ髪の娘がおずおずと尋ねてくる。

【わたしが・棄てた・女】のミツを思わせる、素朴な雰囲気だ。

「ええ。もしかして、あなたが鈴木喜子さん?」

「はい⋯⋯でも、ほんまに中原さんとこのお嬢様だすか?」

「そうよ。どうして?」

「だ、だって⋯⋯そう見えんかったもんで⋯⋯」

すると、直樹が吹き出した。

「確かに!老舗呉服店のお嬢様が、黒の革ジャンと革パンで迎えに来るとは思わないよね。荷物、重いだろうから持ちますよ」

そう言って直樹は、鈴木さんの大きなボストンを持とうとするが、何故か彼女は怯えた様子。

「お嬢様⋯⋯このおあんさん、誰ながですか?」

「ああ、彼はね、残間直樹くん。国立高専の4年生。色々あって、小さい頃からお母さんと一緒に私の家で一緒に暮らしてるの。ま、弟みたいなものかな」

ずっと、弟みたいなままでは困るんだけどね⋯⋯と、心の中で続ける。

「初めまして。でも、今の紹介はちょっと違うなぁ。僕は、アリゼお嬢様の弟というより、兄貴分ですから。誕生日は一緒だけど、僕のほうが何時間か早くに生まれてるので」

「何を言ってるの!私のほうが姉よ。だって、直樹は予定日よりも早くに生まれてるでしょ?私は遅れたけど。つまり、先に受胎したのは私。それに、小さい頃の直樹は小柄で、いつも私のあとを追いかけてたじゃないの」

今では、20センチ以上の差をつけられてしまったが。

「そうだっけ?姉貴にしては、あまりにも頼りないなぁ」

「私、兄貴は二人もいらないわ」

いつも通りのやり取りをしている私たちのことを、鈴木喜子さんはポカンと口を開けたまま見ていた。

「あ⋯⋯ごめんなさいね。車で来てるから、行きましょ」

「鈴木さんは、運転席の後ろに乗るといいですよ。あと、相当荒い運転だから、シートベルトも必ず⋯⋯」

「直樹!なんか言った!?」

「ん?後部座席の人もシートベルトは着用しないと、って言っただけだよ」


全員、車に乗り、駐車場から左に出ようとした矢先のこと。

「うわっ!」

異口同音に小さく悲鳴を上げる。

外で何かが折れる音がし、何故か車は動かなくなってしまった。

「アリゼちゃん!歩道のポールを巻き込んで折ったよ⋯⋯」

右からの車ばかり見ていたせいで、左折に失敗してしまった。

思えば、教習所でも、巻き込み確認を忘れ、仮免で落とされたのだ。

ポールを折った上に、タイヤが縁石に乗り上げて動かなくなり、後ろからは激しいクラクションの嵐。

「ちょっとあなた!何をしてるんですか!」

少し離れたところに居た交通誘導員が駆けつけてきて、慌てて後続車の誘導をしている。

「直樹⋯⋯110番通報、お願いします」

「了解、お嬢様」

後部座席の鈴木喜子さんは、何も言わないが、明らかに狼狽している様子。

「心配しないで。いつものことだから」

私は笑顔でそう言い、彼女を安心させようとした。

「アリゼちゃん⋯⋯それは事実だけど、逆効果」

数分後には警官がやってきて、事情聴取され、写真を撮られ、やっと帰れることに。

賠償費用の請求は後日とのことだが、何万もするので、また父親は怒るだろうな⋯⋯。

今の車も、父のお下がりだが、ぶつける度に修理していては追いつかないので、傷も凹みも放置している。

裕福な人間ほど、お金には細かいものだ。

「初日からごめんなさいね。ええと、鈴木さんじゃ堅苦しいし、よっちゃんって呼んでもいい?」

「はい、お嬢様」

「やだなぁ、お嬢様なんて。よっちゃんはおいくつなの?」

「ハタチです」

「あ、年上だったのね!ごめんね、若く見えたから」

「大丈夫だす、お嬢様」

訛りがなければ、まるでAIのような受け答えだ。

「ふふ⋯⋯アリゼでいいってば」

「はい。アリゼさんて、珍しい名前だすね」

「まあ、あんまりないかも?フランス語で貿易風って意味なの」

「ボウエキフウって何だすか?」

「あら、学校で習わなかった?」

「うち⋯⋯普通の学校じゃなかったから」

「普通じゃないって、商業とか家政とか?」

「いえ⋯⋯」

その時、私は彼女の言わんとしていることを理解した。

最初に会った時から、どことなく、あれ?と感じてはいたのだが。

私は心理学部ではないが、今まさに、大学の一般教養で、心理学の授業を履修中。

だから、彼女がこれから我が家で働く上で、何らかの合理的配慮の必要な人だということは、わかった気がする。

ただ、なんでもかんでも障害という言葉で片付けてしまうのは、どうなのだろう?

本人がそのほうがいいなら、いいのだけれど⋯⋯。


運転中に携帯電話が鳴り、私が頼む間もなく、直樹がスピーカーにしてくれた。

「ありがと。もしもーし?」

『おい!お前、何処で油売ってるんだ!』

車中に、長男である兄の怒声が響き渡る。

「うるさいな!鈴木さんのお迎えに行って帰る途中だっつの!」

『それに何時間かかってるんだって聞いてるんだ』

「足止め食らってたんだから、仕方ないでしょ!直樹、もう切っちゃって!」

『おい!勝手に⋯⋯』

そこで電話は切れた。

「よっちゃん、ごめんね?今の偉そうな奴、うちの兄なの」

「お兄さん⋯⋯?」

「ええ。ビックリしたかもしれないけど、大丈夫よ。弱い犬ほどよく吠えるのと同じで、実際は軟弱で、私に対して威張り散らしてるだけ」
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