私の愛すべき人~その別れに、愛を添えて~
私が礼を言うと、彼は何も言わずに、くるりと踵を返して医事課を出て行こうとする。その背中は、いつもと変わらず素っ気ない。

「あのさ、一ノ瀬!」

ふとこの前の居酒屋での態度が脳裏をよぎり、気づけば一ノ瀬を呼び止めていた。

だが呼び止めたはいいが、なんて聞いたらいいか思いつかない。

「えっと、その……」

目をキョロキョロとさ迷わせる私を、一ノ瀬が真顔で見ている。

「この前……」
「悪い、急ぎのメンテナンスがあるんだ。また今度聞く」

痺れを切らしたのか、一ノ瀬はそれだけ告げるとあっという間にいなくなってしまった。

「えっ、一ノ瀬!?」

それはちょっと素っ気なさすぎじゃない? 私なんか悪いことした? 

なんでいつもみたいに「うるせー」「バーカ」って言わないの?

「一ノ瀬、忙しそうだね」

一ノ瀬が出て行った入り口をじっと見つめていると、背後で菜穂がぽつりとつぶやく。

「あいつこの前の居酒屋の時、なんか変じゃなかった?」
「さぁ? そうだっけ? あんたが幸せそうでよかったって言ってたよ?」

え? 一ノ瀬がそんなことを?

「あいつなりに心配してたんじゃない? なんだかんだ付き合い長いしさ」

一ノ瀬に幸せを願われるなんて思いもしなかったけど、ああみえてあいついい奴だし、相談にも乗ってくれたことあったもんね。

でも避けられているような気がしてしょうがない。いつもだったら、どうでもいいような話をたくさんするのに。

なんだろうこの気持ち。

胸の奥がうずく。寂しいって思ってる自分がいる。

「凛、病棟から入院費の件で内線入ってる」
「ありがとう。代わるね」

その気持ちが何なのかわからないまま、涼介との約束の日を迎えた。

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