マルベリーの木の下で、あなたはわたしの全てを奪う

第13話 魂を灼かれて

 その夜、皆が寝静まってからリヒャルトはそっとベッドから抜け出した。
 足音を忍ばせて廊下の少し先にあるヴィルヘルムの寝室へ向かう。
 ヴィルヘルムは子供の頃から寝室のドアの鍵を掛けなかった。だからきっと……

 カチリ、とほんの微かな音を立ててドアが細く開いた。だがリヒャルトの視覚よりも聴覚のほうが早く反応した。

 ヴィルヘルムの寝室の奥から、明らかに()()と分かる喘ぎ声が洩れていた。

「あ、あ……ヴィル……」
「エレノア……愛してるエレノア……」

 初めて聴く、女としてのエレノアの声だった。リヒャルトの体が熱くなった。

 本当はドアの隙間から二人の営みの様子をすべて見届けてやるつもりだった。だが、リヒャルトの心を凍りつかせるには微かに洩れてくる密やかな喘ぎ声だけで充分だった。気がつくとリヒャルトは廊下に(うずくま)って両手で耳を塞いでいた。

 もう止めよう、こんなこと。自分が惨めになるだけだ。リヒャルトはそっと立ち上がって自分の部屋へ戻ろうとした。
 その時、扉の奥から聞こえてきたエレノアの短い言葉が、鋭いナイフのようにリヒャルトの胸を抉った。

 エレノアはこう言ったのだ。

「行かないで、ヴィル……戦場()()()に行かないで……」

 翌朝ヴィルヘルムは、土色の軍服に背嚢(はいのう)を背負い、困ったような顔でアッシェンバッハ家を出発していった。
 ヒルデガルド夫人がヒステリックな声で子供の躾のような的外れな指示を息子に与えている横で、エレノアは一言も言葉を発さず、ただ静かに立っていた。

 それから二日間は、何事もなく過ぎた。リヒャルトは幼馴染達に会うのだと言ってほとんど屋敷にいなかった。
 明日はいよいよリヒャルトも部隊に戻るという休暇の最終日の午後、裏庭の畑でエンドウ豆を収穫していたエレノアにリヒャルトは声をかけた。

()()()()()()()()、ちょっといいかな。ヴィルのことで話がある」
「何かしら?」

 エレノアは収穫の手を休めず、リヒャルトのほうを見ずに返事をした。

「……ここじゃ話せない。崖の上のマルベリーの大木で待ってる」

 半時ほどして、リヒャルトは照りつける夏の午後の陽射しの中、眩しさに目を細めながら速歩きで坂道を登ってくるエレノアの姿を認めた。

「ヴィルヘルムの話って、何?」

 マルベリーの大木の幹にもたれて瞳を閉じ、腕を組んでいたリヒャルトが目を開けた。

「……風が強くて聞こえない。もう少しこっちに寄って」

 仕方なくエレノアは一歩リヒャルトに近づいた。

「ヴィルヘルムが、何なの?」

 一刻も早く会話を終わらせてここから立ち去りたいという意思があからさまなエレノアにゆっくりと近寄りながらリヒャルトは尋ねた。

「この前の晩のヴィルはどうだった? 大層お楽しみだったみたいだけど」
「!! ……あ、あなた……」
「君はそういう女だったんだね、エレノア」

 巧妙に体の向きを変えてエレノアの背中をマルベリーの大木の幹に押し付ける。だが目元に恐怖を浮かべながらも彼女は静かな口調でリヒャルトの問いに答えた。

「……人は変わるのよ、リヒャルト」
「へえ、で?」
「……あの頃のわたしはもういないの。私達は終わったのよ」

「……終わった、だって?」

 リヒャルトの瞳が怒りに燃えた。

「あんな手紙一通で、何が終わるんだ? 僕の中では何も終わってなどいない」
「……お願い、もう何も言わないで」

 絞り出すように言葉を発したエレノアの唇が震えているのに気がついて、思わずリヒャルトはエレノアを抱きしめた。だがエレノアから返ってきたのは短い拒絶の言葉だった。

「放して、リヒャルト」

「……放してほしいか?」

「お願いよリヒャルト。放して。大声を出すわよ」

「……出せばいい。こんなところでどれだけ叫んでも、誰にも聞こえない」

 次の瞬間、リヒャルトはエレノアのドレスの胸元をぐっと引き下げた。そのままコルセットの中に手を差しこむとエレノアの胸の頂きを思い切りつまんで(つね)り上げた。

「……! 痛い、リヒャルト、止めて、痛い!」
「痛い、だって? 僕の心はもっと痛かったぞ」
「く……うっ……リヒャルト、嫌よこんなの……」

 心の底から湧き上がってくる怒りの感情に、リヒャルトは完全に支配されていた。
 片手でエレノアの顎を掴み、自分のほうに向けさせるとゆっくりと告げた。

「終わりにしたいんだろ? 望みどおりにしてやるよ。ただし、代償は払ってもらう」

 自分でもぞっとするほど冷たい声で告げると、リヒャルトはエレノアのスカートを(まく)り上げ、膝の下から腕を差し込んで片足を高く上げさせた。
 そしてはだけた胸の頂きを強く吸いながら、リヒャルトはエレノアと体を繋げた。

「あああ……っ!」

 エレノアが悲鳴とも愉悦ともつかない叫び声をあげる。

「……ヴィルに抱かれる時もそんな声を上げるのか……?」
「や……めて……リヒャ……」
「どうしてこんなに感じてるんだ? ヴィルじゃ満足できないのか?」
「ちが……感じてなんか……ああ……っ」

 エレノアが頭をぐっと反らせて鋭い叫び声をあげた。リヒャルトがエレノアの腰を抱え直すと奥深くまで届くよう一気に腰を突き上げたのだ。

「こんなに濡れて(うごめ)いて僕を奥へと誘ってるじゃないか。感じてるんだろ?……言えよ。ヴィルと僕とどっちがいいんだ? なあ、同じ顔をした二人の男に抱かれる気分はどうだ? 言えよ、ヴィルか? 僕か? なあエレノア!」

 思いつく限りの屈辱的な言葉を投げかけながらリヒャルトは腰を打ちつけ続けた。

「あ…ああ……やめ……て……リヒャルト……ちが……ちがうの……は……ぁっ」

 エレノアの目尻に涙が滲む。

「何が違うんだ? 言えよ、君は元帥夫人にはなりたくないと言ったくせに男爵夫人の名前には尻尾を振ったよな? その結果がこれか、いいザマじゃないか」
「あ……っ……ああ……許してリヒャルト……わたしを許して……ああああーーーっ!」
「エレノア……君を汚してやる。僕を受け止めろ……う…っ!」

 エレノアが泣きながら許しを請う声を遠くに聞きながら、リヒャルトは思いのたけをエレノアの奥深くへ放った。時を同じくして、マルベリーの幹に押し付けられたエレノアの上半身がビクッと跳ね、白い喉元が引き攣ったように震えた。リヒャルトに持ち上げられて固定された足が痙攣し、やがて力が抜ける。

 エレノアは生まれて初めての絶頂を迎えていた。

 だがリヒャルトはがっくりと動かないエレノアを突き放すと、身支度を整えながら冷たく言い放った。

「許して、だって?……残念だけど、僕にとって君など許すか許さないか考えるまでの価値もないよ。……思い上がるな」

 翌日、屋敷の人間が目覚めた時にはもうリヒャルトの姿はどこにもなかった。彼は別れの挨拶も家族への手紙も一切残さず去っていった。

 二ヶ月後、エレノアは体の異変に気づいた。妊娠していた。
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