溺愛は契約外です!
 「アデレイラ・マグノア伯爵令嬢。私と結婚をしてくれないか」

さして広くはない応接間。
置かれているのは古いチェストと、その上に活けられた一輪の薔薇。
同じく古い、けれど丁寧にパッチワークされたカバーがかかるソファには、ラドラル・マグノア伯爵家当主と、今名前を呼ばれたアデレイラ嬢が座る。

相対するはシルバーグレイの短髪に、深いグリーンの瞳が印象的な美丈夫バストル・グルニア侯爵家当主。
とてもプロポーズをしているとは思えない、無表情なそれは『氷の騎士』と呼ばれる彼のあだ名に良く合っている。

「お申し出は大変嬉しいのですが、先ほど父が申し上げましたとおり、我が家は伯爵家とは名ばかりの貧しさです」

恥ずかしさは一切見せず、はっきりとそう言い切るアデレイラは、その青い瞳をバストルに真っ直ぐに向けた。
 
「なので、持参金もございませんし、私は結婚適齢期の十七歳を優に超えた、十九です」
「それがどうした。私はもう二十二だ」
 
一重の瞳には、アデレイラが映る。

「それに、持参金は不要。その身一つで嫁してくれればかまわない」
 
持参金は不要。
その言葉に、アデレイラは少し表情を緩める。

(持参金は不要──! それはとっても助かるわ。でも私が結婚したら、今の私の労働賃金分だけ我が家の収入が減ってしまう)
 
マグノア伯爵家は歴史は古い家柄だが、現在非常に──貧乏だった。
そのため、アデレイラは卒業した貴族学院の講師をしては、家にお金を運んでいる。幸いにして、奨学金のために首席卒業した彼女には、講師の道という女性にとって数少ない働き口があったのだ。
 
(最近はだいぶ領地も落ち着いて、収入も上がってきたし、このままいけば楽にはなりそうではある。私一人分の食い扶持が減ることと、どっちが得かしら)
 
アデレイラの頭の中では、持参金なし結婚と自身の収入という二つの天秤が、ぐらぐらと揺らいでいる。その様子を、じっとバストルが見ていた。
とてもプロポーズとは思えない雰囲気の中、父ラドラルが笑みを浮かべる。
 
「一度、二人で話すほうが良さそうだ。アデレイラ、グルニア卿に庭をご案内なさい」
 
ラドラルはそう言うと、アデレイラの肩に軽く手を置いた。
 
「アデレイラ、我が家のことは考えず、お前の幸せがどこにあるかを確認するんだよ」
「お……お父さま。庭は……」
「なぁに。グルニア卿は、我が家の経済状況なんてご存じだ。侯爵家のような庭を期待はされてないさ」
 
父親にそう告げられ、アデレイラは苦笑いを浮かべる。庭師すらいないこの家では、庭の手入れはアデレイラと弟のゲンジェックが、できる範囲で行っているからだ。
 
「アデレイラ嬢。ぜひ案内していただけないか」
 
バストルは立ち上がり、アデレイラに手を差し伸べる。ほんの少しだけ彼の顔を見上げると、すぐに手を重ね立ち上がった。
 
「それでは……参りましょうか」
 
気付かれないように、ため息を吐きながら。

    *

マグノア伯爵家の庭は、春のこの時期、手をかけなくても花が咲く野バラ──応接室にあったバラもこれだ──と、同じく手をかけなくても咲くハーブや花たちで溢れている。
雑草の類いを抜いたり、伸び放題にならないように剪定はしているが、素人が適当にやっているものなので、大貴族の庭園のようにはならない。
 
「良い庭だな」
 
それでも、こぢんまりと、そしてすっきりと整理されたそこは、バストルには居心地が良かったようだ。変わらず無表情ではあるが、やわらかにそう口にした。
 
「ありがとうございます。私と弟のゲンジェックで手入れをしているもので、至らないところは多いかと思いますが」
「あなたが?」
「お、弟も、です」
 
アデレイラの身長は一六〇センチ。高くもないが低くもない。対するバストルは一八七センチと、アデレイラとは三十センチ近くの差がある。
バストルは少しだけかがみ、アデレイラの顔を見つめた。
 
「グルニア卿?」
「今回の婚姻、実はあなたにはお願いしたい『役割』がありまして」
「役割」
 
ぱちり、と一度大きく瞬きをしてアデレイラは言葉を返し、バストルを近くのベンチに案内する。彼は着ていたジャケットをベンチにさりげなく敷いた。
 
(紳士……! これが高位貴族というものなのね! ゲンジェックにも、この所作を教えてあげましょう)
 
アデレイラは、持参金が用意できないため、結婚というものをそもそも諦めていた。
それもあり、非常に色恋に疎く、男性とのデートやこうして二人で話すことなども、まずしたことがない。些細なこうした所作に、思わず感激してしまったのだ。
だからだろうか。
 
「ええ。今我が侯爵家には、七歳になる男の子がいまして」
 
言われたことを、うっかり聞き逃しそうになった。
 
「え、ええと。お子さんが……おられるのですね? グルニア卿には」
「いや、私の子ではない」
「けれど、七歳のお子さんがいらっしゃると」
「私の兄の子なんだ」
 
話によるとこうだ。
バストルはグルニア侯爵家の次男だった。
長男夫婦が跡を継いで、嫡男も生まれたが、夫婦二人で外出の折りに事故に遭い、一人息子だけが残ってしまった。
そして、侯爵家は次男のバストルが継ぐこととなった。
 
(そう言えば、そんな話を聞いたことがあったわね)
 
ふと、アデレイラはここ半年ほどで良く耳にした噂を思い出す。
 
(でも、噂ではそのお子さんは、どこかに養子に出しているとか……。だから侯爵になったグルニア卿は、今かなりの好物件と言われていたハズ……)
 
小首を傾げながらバストルを見ると、彼は言葉を続けた。
 
「両親もすでに鬼籍で、私はご存じの通り、王太子殿下付きの近衛騎士をしている」
 
元々侯爵家の次男だったため、ゆくゆくは近衛騎士として騎士爵を得て、身を立てていくつもりだった。
 
(そうそう! だからグルニア卿ったら、体格も良いし、見目も良いし、で学校の同窓生たちからの憧れがすごかったのよね)
 
アデレイラは思わず学生時代を思い出す。
結婚するつもりがなかった彼女は、友人たちの楽しそうな話題を聞きながら、内職の編み物をしていたのだ。
 
「ゆくゆくはその子に、侯爵家を譲りたいと思っている」
「なるほど」
 
でもそれならば、別に結婚する必要もないのでは? ますます疑問が深まる。
 
「失礼ですが、グルニア卿と私は、面識はなかったかと存じます。何故今回、私に結婚のお話を……?」
 
迂遠な聞き方をしていたら、日が落ちてしまう。
はっきりと口にし、この話をなかったことにしようと彼を見れば、どこか寂しそうな瞳を一瞬だけ浮かべる。だがそれはすぐに消え、いつもと変わらない無表情となった。
 
「その、やはり私とグルニア卿では、結婚する意味がないと言いますか」
 
彼女のその言葉に、バストルは少しだけ逡巡し、口を開く。 
 
「アデレイラ嬢。この結婚は、契約結婚と思ってくれて構わない」
「結婚は、全て契約かと思いますが」
「あぁいや、そうではなくて」
 
バストルの言葉は硬い。表情も硬い。そして、それはその次の言葉をも硬くした。
 
「私との愛は、考えなくて構わない」
 
空は青く、鳥が鳴いていた。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


マグノア家の庭に向かう途中、バストルはアデレイラの手に軽く触れながら、にまにまと笑みが零れそうになるのを必死で抑えていた。
抑えているが故、いつにも増して表情が硬くなる。

そっと彼女を見遣れば、柔らかくウェーブのかかったブルネットの髪が揺れていた。そのたびにちらりと見える白いうなじに、バストルは唇を寄せたくなる衝動を堪える。
時折バストルの様子を伺うアデレイラの顔が、バストルの瞳に映った。
バストルが初めてアデレイラを見たときと変わらないそれに、記憶は十数年前へと飛ぶ。

    *
 
王城の庭。色鮮やかな花が咲き誇り、美しい芝生の上にいくつもの円卓が用意されている。そこに、何十人もの幼い少年少女が集められていた。
それは現在の王太子エハルトが第一王子として、側近と婚約者を選ぶための茶会。誰もが着飾り、第一王子の目に留まろうと、笑顔を振りまいている。

「バストル、君は誰が好ましいと思う?」

すでにエハルトの近衛の一人として、十歳にして内定していたバストルは、彼の少し後ろに立って子どもたちを見ていた。
美しい金の髪は肩より少し上で切りそろえられ、長い睫毛の影で瞳にはどこか憂いがあるように見えるエハルトは、その見た目とは真反対に、楽しげな声でバストルに尋ねる。

「側近としての立ち居振る舞いですと、スミレのテーブルの三番、それからダリアの六番がよろしいかと」
「ふむ。婚約者としては」
「ナデシコの一番、四番、シャクヤクの五番、でしょうか。それと……」

それぞれの花名は、各テーブルに置かれたもの。番号はそれぞれの椅子にかけられた布の印から右回りに、密かに振られている。家名を口にすると、誰かにそれを読み取られては困るため、そうした配慮がされていた。

「それと?」

バストルが言いよどんだことで、会場を見ていた瞳が彼に向けられる。

「いえ……。なんでもありません」

一箇所にとどまっていた視線が、すぐに横に振れた。エハルトは、すぐにバストルが最初に視線を止めた先を確認する。

「スズランの二番、か……?」
「っ! ち、違います。そうじゃなくて」

顔を赤くしてそっぽを向くバストルに、エハルトは楽しげに笑う。

「ふはっ。君のそういうところ、初めて見るかもしれないな」
「その……。他のご令嬢のような華美さはないのに、どこか芯のようなものを感じて」

どうにか表情を戻し、バストルは再び会場全体を見渡すように──したかったが、目がどうしても『スズランの二番』に向かってしまう。
それが、マグノア伯爵家の長女アデレイラであると知ったのは、その少し後のことだ。

その頃すでに、マグノア家は天候異常による不作で困窮していた。それでも全貴族の一定年齢の子女が参加しなければならないこの会には、当時まだ元気だった母親と共に、出席していた。古いドレスのリメイクだったので、他の令嬢たちとの差が歴然としていたが、本人は一切気にしていないようで、周囲の令嬢と楽しげに話をしている。

「まぁ! マヌカ様のご領地では養蜂をされて? どんな風に?」
「ドレイヌ様のご領地のお茶、とても香り高いと伺っております。何か特別なことを?」
「スレーラル様のご領地、水路が発達しているとか。どんな管理をされて」

耳を澄ませてみれば、アデレイラは令嬢たちと、領地の特産などの話をしているではないか。
他のテーブルでは、令嬢たちはドレスや宝石、ケーキの話をしているし、子息たちは剣術の話か狩猟の話ばかりで、誰も領地の話などはしていない。
アデレイラに話しかけられた令嬢たちは、自分の領地の話になると、どこか嬉しそうに会話を続けていく。それが故に、スズランのテーブルは、誰もが自領地の話をするようになっていた。

「あそこのテーブルは良いね。最初にスズランのテーブルに行こうか」
「そ……れが良いかと」
「君、その顔直しておけよ。令嬢が困るだろう」
「直すもなにも、俺は」
「うん。もう赤くない。大丈夫だ」

二人はスズランのテーブルに着き、席にいる令嬢たちと会話をする。
アデレイラは最初の挨拶以外、穏やかににこにこと微笑むだけで、積極的にエハルトに話しかけることはなかった。

第一王子の妃になるということは、莫大な持参金が必要になるということだ。アデレイラにとってそれは、領地領民を犠牲にしてまで成す必要のあることではない。万々が一のことを考え、目立たないように、黙っているのだろう。
だが、エハルトはバストルが彼女を気にしていることをわかっている。つまり──

「アデレイラ嬢は今、何に夢中になっているのかな」

バストルが彼女を知る機会を、増やそうとした。
この会の間は、子どもたちに互いに爵位を意識させないため、家名ではなく名前で呼ぶこととなっていた。アデレイラは逡巡したのち、はっきりと口にする。

「我が領地は、先の天候異常により不作が続いております。そのため、土地と育てる作物について、改善策がないかを調べることを日々行っております」
「……そうか。領民の暮らしは厳しいのか」
「王家の皆様からは、ご支援をいただき感謝しております。ですが、それでもなかなか難しく」

エハルトは彼女の言葉に頷く。

「失礼いたしました。ところで殿下。マジェス様のご領地では、それは美しい織物が織られているそうなのですよ」

この場でこれ以上エハルトの口から、領地について何か言うことはできないだろう。
アデレイラはそう判断し、話題を切り替えた。エハルトもそれにすぐに気付き、話題の転換にのり、その場は明るい会話で終了する。
散会した後、エハルトとバストルは参加者の振り返りをしながら、アデレイラを評していた。

「アデレイラ嬢は、確かまだ七歳だったな」
「それなのに領地のことをあそこまで考え、あの機転ですか」
「女性の側近を選ぶことができないのは──今後変えていきたいな」
「妃には」
「彼女の振る舞いをみただろう? 妃候補には絶対にならないという決意を、感じなかったか?」

エハルトが笑いながら言うそれに、バストルも頷く。

「マグノア伯爵家は今、困窮しているからね。天候異常前は、まぁ可もなく不可もなしな領地運営だったみたいだけど、それが悪い方に転がったな」

大きく傾いた領財政を正常化するためには、娘を王家に差し出す余裕はないだろう。

「それに」

ちらり、とバストルを見て茶を飲む。

「私の妃候補にしたら、君が困るだろうからね」
「なっ! 私はなにもっ!」
「また顔が赤い。君、普段からそうだと誤解されないのに」
「そういうわけにはいきません! おいそれと表情を崩すわけには」
「今、とっても崩れてるけどね」
「ここは──二人だけですから」

バストルの回答に満足気に笑みを浮かべ、エハルトはテーブルの上のクッキーを囓った。

「アデレイラ嬢へのチャンスは、君に譲るよ」


この国では、正式な婚約は双方が十五を超えてからと決まっている。ただし、それ以前に内々に約束をすることは可能だ。多くの貴族はそうして内々に約束を交わし、十五を超えたときに書類をまとめ、国に提出をする。
しかし、バストルは侯爵家の第二子。すでに第一王子の側近兼近衛として侍ってはいるが、まだこの先どうなるかわからない。一方のアデレイラは長女ではあるが、家を継ぐ嫡男はすでに弟として生まれている。つまり、彼女は家にとって『貴族の家に嫁ぎ、縁を繋ぐ必要がある』令嬢なのだ。

それも含め、彼女はまだ七歳で、自分は十歳。近衛騎士の仕事が安定し、正式に騎士爵を賜ってから婚約の打診をするべき──そう考え、その時はやり過ごした。
その後、アデレイラが貴族学院に通う頃には、婚約者がいるとの噂が耳に入る。あれほどかわいらしく利発だったのだ。きっと領地も立て直し、良い縁が結べたのだろう。すでに近衛騎士として騎士爵を得たバストルは、その噂を聞き寂しい気持ちになったが、あれは遠い日の初恋、と諦めることにした。

(……んだが、なあ)

長男夫婦が事故に遭い、自らが侯爵家を継ぐ段になり改めて調べると、アデレイラ・マグノア伯爵令嬢は、婚約者がいたことがなかったという。

(あのときの噂を、どうして俺は確認をしなかったんだ)

噂を信じるなど、騎士として最低のことだ。

(きっと、真実を知りたくなかったんだろうな)

自分で思っていたよりも、初恋は重傷だったのだと今更ながらに気付き、マグノア家のことを調べれば、大分立て直し領民の生活は楽になってきている。その影には、彼女が八歳の時になくなった母の代わりに、ずっと領地経営を支えてきたことがあったと知った。

(これだ……)

素直に恋心を伝えるには、バストルは年齢と共にいろいろなものを、拗らせすぎていたのかもしれない。

「彼女には、役割を果たすために俺と結婚して欲しいと、そう告げよう」

その場にエハルトがいたとしたら、どうしてそうなった、そう口にしていただろう発想で、アデレイラに結婚の申し込みをしに行ったのだった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「私との愛は、考えなくて構わない」

バストルの言葉に、アデレイラは動きを止めた。

(私との愛は考えなくて構わない──それってもしかして! 白い結婚とかいうやつ?)

何度かまばたきを繰り返したあと、改めてバストルを見る。

「ああ! なるほど!」

そうして、アデレイラは笑みを返した。

「そのご子息の母親役が、必要なのですね!」

うんうんと頷き、彼女はバストルの両手を取る。

「っ、手……」

手を取られたバストルは、思わずそう口にするが、アデレイラはそれに気付かない。

(きっと他に愛する方がいて、その方に遠慮して子育てをする人を探していたのね)

そう納得すると、決意の強さなのか、その手を強く握りぶんぶんと上下に振る。
 
「グルニア卿のお気持ち、とても良くわかりました!」
「あ、いやだから、手……」
「ご安心ください! 私は母亡き後、弟を十五まで育ててまいりました。きっと甥御様も立派に育て上げましょう」

にっこりと笑みを浮かべ、ようやく手を離したと思えば、立ち上がりその場でカーテシーをする。

「グルニア卿。結婚のお申し出、謹んでお受けいたします」

しばし彼女のその姿を見ていたバストルは、慌てて立ち上がりその場に膝をつく。
目の前で跪いた彼に、アデレイラは体を起こし、バストルに立ち上がって貰おうと手を前に出した。その手を、バストルは恭しく両手で包む。

「改めて申し上げましょう。アデレイラ・マグノア伯爵令嬢。私と結婚をしてください」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」

こうしてアデレイラは、バストル・グルニア侯爵と結婚することとなった。

    *

結婚式は一ヶ月後という、通常ではあり得ない速度で執り行われた。

「ドレスは、お母さまが着ていたものを使いたい」

アデレイラのその言葉に、準備で時間がかかるものの一つ、ドレスの製作時間が不要となった。もちろん、アデレイラとしてはドレスに余計なお金をかけたくない、というのが本音だったのだが。

(お母さまの結婚式のドレスが、とても素敵なのは本当。今の私では、手に入れることの出来ない質だもの)

柔らかな絹の裾には美しい刺繍が施されている。たくさんのプリーツが入るドレス前側には、幾重にも重ねたレースがあり、そこにも刺繍がされていた。
バストル、アデレイラの父ラドラルと弟のゲンジェック。そして驚くべきことに、王太子であるエハルトが列席し、本人たちの他は、わずか三名と司祭だけの結婚式が、王都の中でも特に小さな教会でひっそりと行われた。

(この人数であれば、大聖堂よりもよっぽど良いわ。利用料も高くないし)

ここは小さいが王城に近く、森のような前庭がある、とてもかわいらしい教会だった。
式を終え、教会の扉を開けると、小さなリスが木の枝を走っているのが見える。それを見て、アデレイラは思わず笑みを浮かべた。

「バストル、おめでとう。ついに結婚か」
「殿下、余計なことは言わないでくださいよ」

二人に近づき話しかけるのは王太子エハルト。カーテシーをしようとするアデレイラを手で留める。

「今日の主役はお二人だ。礼はしなくていい」
「ですが……」
「殿下の言うとおりさ。今日一番の姫君なんだから」

バストルの台詞に、思わず目を瞬かせてしまう。

(騎士様ってすごいのね。さらっと、こんな歯が浮くような台詞がでてくるんだもの)
 
「いつ結婚するかと思っていたが……。いやぁ、本当によかった」
「グルニア卿は、結婚する気がなかったのですか?」

アデレイラの言葉に、二人の視線が泳ぐ。だが、すぐにエハルトが笑いながら口を開いた。

「まだグルニア卿と呼ばれているのか」
「そうだ! もう夫婦なのだから、私のことはバストルと」
「そうでしたわ。バストル様」
「ああ。アデレイラ」

顔を見合わせそう呼び合う二人に、父と弟、それに司祭も、穏やかに微笑む。

「私はそろそろ城に戻らねばならない。グルニア夫妻、そして伯爵家のご家族。共に良い一日を過ごしたまえ」

颯爽と迎えの馬車に乗り込むと、エハルトは去って行った。

「……殿下とお話をさせていただくのは、おそらく初めてですが、風のような方ですね」
「初めて?」
「ええ……。私は学院でも年次が一つ違いましたし、我が家の財政上、パーティなどにも参加することはありませんでしたから」

こてりと首を傾げながら言うと、バストルはいつものような無表情を浮かべる。

(どうしたのかしら)

特に続けるような話でもないし、と振り返れば、父と弟が笑顔で待っていた。

「今日は疲れただろう? 食事会は先日話していたとおり、また日を改めて行おう」
「ええ、お父さま。このドレスを汚すわけにもいかないし!」

真っ白なドレスは、それだけで緊張するのだ。
万一汚しでもしてしまったら、洗濯が大変になる。
アデレイラの言葉に、その場の全員が笑う。リスがのぞき込んでいたが、すぐに興味がなくなったのか、木のうろに入り込んでいった。

(今日は甥御さんも列席していないから、早く帰ってあげないとね)

バストルの甥の面倒を見る、とはさすがに父と弟には言えなかった。
育児のための結婚で、白い結婚であると知れば、父親は反対しただろう。アデレイラとしてはけして悲しい結婚ではないが、それを理解してもらうことは難しいかもしれない。
だから、そのことは秘密にしたいとバストルに告げた。

それとは別に、甥との対面は結婚式が終わってから、とバストルは考えていたようで、ならば、とこの人数だけの結婚式を行うこととしたのだ。
そうして二台の馬車にそれぞれの家族が乗り、結婚式はお開きとなった。
アデレイラたちが乗る馬車はほんの少し走っただけで、すぐにグルニア侯爵家の敷地へと入っていく。

(いよいよ、グルニア侯爵家のタウンハウスね。初めて来るけど……どんな感じなのかしら)

マグノア伯爵家のタウンハウスは、とても小さかった。領の財政を立て直す中で、もともとあったタウンハウスを売り払い、王都に来たときに困らない程度のサイズの家を買い直したのだ。
それでも伯爵家として、一応庭付きの小さな家は頑張って維持はしていた。
──使用人は通いの一人だけだったが。

(すごい。歴史のある邸宅だわ)
 
門から中が見えない程度のアプローチを通り、見えてきたのは大きな建物だった。
ゆっくりと馬車が止まる。扉を開けたのは、老齢の紳士。
バストルが先に降り、手を差し出す。馬車を降りると、改めて老紳士が礼をした。

「お帰りなさいませ、旦那様。奥様、お初にお目にかかります。グルニア侯爵家の家令をしております、タークリット・ゼルアと申します」
「アデレイラです。どうぞよろしくお願いいたします」

彼の後ろから、髪の毛を一つに束ねた女性が現れる。タークリットよりは若いが、それでもアデレイラの父よりは年上だろう。

「奥様、侍女長をしておりますミミア・ユートレイにございます。本日よりどうぞ何なりとお申し付けください」
「アデレイラ、疲れただろうから、楽なドレスにしてきて構わない。ミミア頼んだ」

バストルの言葉に従い、アデレイラはミミアに連れられて部屋に向かう。
侯爵邸の中は、どうにもちぐはぐな印象を受けた。
古くどっしりとした、年代物のチェストがあったかと思えば、少々品のないような派手な花瓶が飾られていたり、派手な柄のカーテンが一部にかけられていると思えば、別の場所には重厚な色柄のカーテンがかかっていたりもする。

(センスがぐちゃぐちゃだけど……大きなお屋敷ってそういうものなのかしらね)

アデレイラは人の家に訪問するということがなかった。
そのため、一般的な貴族の家がどうなのかは、あまり良く知らないのだ。

「奥様のお部屋はこちらです。お隣は旦那様と奥様の寝室。さらにそのお隣が、旦那様のお部屋となります」

ミミアの言葉に神妙に頷くが、アデレイラは夫婦の寝室は使うことはないだろうと、考えている。

(白い結婚ですものね。あぁ、でも今夜は形だけでも部屋に入らないとかしら)

ウエディングドレスを脱ぎ、室内用のドレスに着替える。実家から持ってきた、コルセットの不要な簡単なドレスだ。

「これなら、一人で着られるでしょう?」
「奥様……」
(あっ、仮にも侯爵夫人になるのだし、一人で着替えができるだなんてダメだったかも?)

しかしあくまでも、子どもの母親としての結婚なのだ。
それならば今まで通り何でも一人で出来る方が楽だと思って、実家からドレスを全て持ち込んだ。
ミミアが何故か涙ぐんでいるので、もしかしたらとんでもない女が嫁いできたと思われたのかもしれない。

「ミミア、その……」
「奥様、私感動いたしました」
「へ?」

アデレイラの手を握り、ありがとうございます、と繰り返す彼女は、言葉を続ける。

「こんな……、こんな侯爵家とは名ばかりとなった家に嫁いでくださったばかりか、一人しかいない侍女の私を慮ってくださるなんて」

ミミアの言葉に、アデレイラの表情筋が仕事をするのを、中断した。

(侯爵家とは名ばかり? 一人しかいない侍女?)

初めて聞く単語に、アデレイラの頭上に疑問符が浮かぶ。

「その、ミミア」
「はい奥様」
「この家の使用人の総数は」
「家令のタークリットと私の二人にございます」
「食事は」
「恥ずかしながら、私がどうにか……」
「なるほど……」

小さく頷くアデレイラに、ミミアは不思議そうな顔をする。
それもそうだろう。
まさか妻となる人間が、何も聞かされていないとは思わない。

(これはちょっと、バストル様を問い詰めないといけないわね)

決意を胸に、その日の夜は軽く食事を取り、早い時間にお風呂に入った。もちろん体の隅々まで磨かれ、薄いナイトドレスを着させられる。これは侯爵家で用意されたものだった。

(スケスケでちょっと……。ガウンを羽織っておきましょうか。どうせこれを脱ぐことはないのだし)

夫婦二人の寝室で待っていると、バストルが部屋に来た。
近衛騎士らしく、しっかりとした体躯が、ガウンを着ていても良くわかる。
本来であれば恥じらうところであるが、アデレイラはバストルの瞳を見て立ち上がり、口を開く。

「バストル様。お話があります」

それはとても、初夜の雰囲気ではなかった。
アデレイラの表情と言葉に、バストルは身構える。
幼い頃、母が父を問い詰めるときと、同じ表情だったからだ。

「なんだろう、アデレイラ。今夜は初夜だが……」
「そんなことより、重要なことを確認させてくださいませ」
「そんな……こと……」

バストルが呟いた言葉の欠片は、アデレイラには届いていない。

「ええ、バストル様。このグルニア侯爵家はもしや、貧乏なのでしょうか」

彼女の言葉に、バストルはすぐに気持ちを立て直した。
そして、自分の失態に気付く。

「アデレイラ……、すまない。君に伝えていなかったのは、私の責任だ」
「はっきりおっしゃってください。つまりは」
「ああ。超がつくほどの──貧乏なんだ」

その言葉を聞いた途端、アデレイラの表情が変わった。
──主に、良い方向に。
だが、バストルは肝心なことを言えていなかったことで、彼女を見ることができていない。
目を見て話していれば、すぐに気付けたというのに。

「その……幻滅しただろうか」

だから、こんなことを言ってしまったのだ。
その言葉に、アデレイラはきょとんとした表情を浮かべる。

「いいえ? むしろ気が楽になりましたわ」

それもそのはず。アデレイラは貧乏に慣れすぎていて、贅沢な暮らしなどまったく想像がついていなかったのだ。

「つまり、ド貧乏ということですね」
「ド……ド貧乏ということだ」
「でも、グルニア侯爵家といえば、暮らし向きが傾いているという話も一切聞かず、豊かな領地をお持ちのはずでは」

学生時代の、結婚したい男リストに皆がいれていた程だ。
しかも侯爵家。お金があって然るべきだろう。
バストルは自身の後頭部を撫でながら、苦笑いを浮かべる。

「とりあえず、座って話そうか」

ベッドではなく、向かい合う形のソファへと、アデレイラを誘導した。

「実は、アデレイラにお願いしたい役割は二つあったんだ」
「二つですか?」

アデレイラはローテーブルに用意されていたワインを、二人分のグラスに注ぎながらバストルを見上げる。

「ああ。一つはディラン――甥の教育係」
「結婚のお申し込みのときに、話してくださった件ですね」

バストルは頷くと、少しだけ逡巡してから口を開いた。

「もう一つは、我が侯爵家の財政立て直しの手伝いを」
「まあ! 私もお手伝いしていいのですか?!」
「むしろこちらからお願いしたいんだ」

婚約の申し込みのときには、一つの目の役割のことだけで、すっかり話がまとまってしまっていた。
そのため、バストルは財政立て直しの手伝いをして欲しい件を告げるのを忘れていたのだという。

「せっかくご実家が上向いてきたところなのに、こちらに来てもらうことになったのに、きちんと説明をしていなかったのは、私の落ち度だ。本当に申し訳ない」

ゆっくりと頭を下げるバストルに、アデレイラは慌ててしまう。

「お顔をあげてください、バストル様」
「許してもらえるだろうか」
「許すもなにも、私は気にしてませんよ!」

笑みを浮かべ、バストルの手を握る。

「それにしても、どうしてド貧乏に?」

アデレイラの直球の質問に、バストルは一つ頷くと、彼女の目を見た。

「我が家は八年前に、兄夫婦が跡を継いだんだ。というのも、両親が領地の流行病にかかってしまってね」
「流行病……」

そういえば十年ほど前から二年間ほど、王国内で酷い咳を伴う病が流行っていたと思い出す。
同じ病が、アデレイラの幼い頃にも流行した。
 
(お母さまと同じ、あの病だわ)

そこで言葉を途切れさせたアデレイラに、バストルが申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「すまない。アデレイラの母君も、もしかして」
「そうなんです。でも、あの病はもう仕方がないから」

いまだ治療方法の確立していないその病は、罹患しないように気を付けることしかできない。
領地に病が発生したときに、対応に駆け回る領主一族は罹患しやすいのだ。

「私の母も、バストル様のご両親も、領民のために動いた結果――そう思います」
「……うん。私もそう思うよ」

アデレイラが重ねたままの手に、少しだけ力が入った。
それとは反対に、彼女はやわらかく微笑む。

「それで、兄夫婦が侯爵家を継いだんだ。私は学園の寮に入っていたのでそのまま寮で生活し、卒業後も兄夫婦の邪魔にならないよう王城の近衛兵団の寮で過ごしていた」

バストルのその行動は、なんら不思議はない。
すでに兄が侯爵家を継ぎ、その妻もいるのであれば、その邸に弟が住んでいたらお互い気を遣ってしまう。

「それが、よくなかったんだ」

どういうことだろうか。
アデレイラは、バストルの言葉の続きを待つ。

「義姉はゼセール侯爵家の出身で、とても美しいが浪費家。兄はそんな妻に惚れ込んで、彼女の欲しいというものを全て買い与えていた」
「それは……」

(ゼセール侯爵家のご令嬢といえば、お一人だけね。とても美しい我が儘姫だと、有名だったという……)

「兄はそれでも頭は悪くなかったはずなんだが、どうも数字が弱かったようでね」

バストルの言に、アデレイラは微妙な表情を浮かべてしまう。

(それは頭が悪くないとは……言えないのでは)

領主は数字を理解していないといけない。
細かな計算や決算書の作成などは、使用人にやらせるとしても、最終的な決済や領政の判断は、その数字を元に領主が行うからだ。

「家令や使用人たちは、何も言わなかったのですか?」

紹介された家令のタークリットは、年齢的にも経験が豊かだろう。
他にも、侯爵家ともなれば優秀な使用人は数多くいたはずだ。

「恥ずかしい話なんだが……、兄はその、階級主義が酷くてね。使用人の言うことをまったく聞こうとしなかったらしい」

そうして妻である侯爵夫人は、お金を使うことを辞めるようにと声を上げる使用人たちをどんどん解雇し、湯水のように浪費していった。
まさか実家がそんなことになっているとは思わなかったバストルは、年に数度実家に帰り数時間を過ごすだけなので、気付きもしない。

「家の中の雰囲気が変わったとは思っていたが」
「もしかして、家の中の装飾がやたらとちぐはぐなのは……」
「義姉の趣味だ」
「それはなかなか悪しゅ……ンンッ!」

うっかり本音を言おうとして、さすがに失礼だと慌てて咳払いをする。
ほぼ言い切ったも同然なので、バストルはそれを受けて笑った。

「いや、私もそれには同意だ。帰宅する度に軽薄な雰囲気を纏っていく家の中に、困惑していたからな」

(なるほど。では、この家の中は自由に変更してもよさそうね)

アデレイラは、やりたいことリストを脳内に作っていく。

「そんなわけで、半年前に兄夫婦が事故で亡くなったと聞いて臨時で家を継いだ私が見た侯爵家の財政は――酷いものだった」
「バストル様、それは領地経営もでしょうか」

領民の生活が現状どうなっているのか。
侯爵家の豊かな土地が、困窮していたらさすがに王国内でも話題になりそうではある。
だが、これまでにそんな話は聞いていない。

「幸い、私が引き継いだときにはまだ領地経営に必要な予算は無事だった。が、それも時間の問題だったようで、侯爵家で使う分の年予算のみならず、換金可能な資産が相当額減っていたんだ」

アデレイラは思わず天井を仰ぎ見た。
侯爵家としての資産といえばかなりのものだ。 
それがかなりの額減っているとは、いったいたった八年でどれだけの贅沢をしたのだろうか。
 
「侯爵家の資産は、領地に何かあったときのために保管しているものだ。これ以上減らすわけにはいかない」

バストルの言葉に、アデレイラも頷く。
そうした余剰金の大切さは、彼女は嫌というほど知っている。

「それで、家内の使用人も減らしているのですね」
「ああ。アデレイラには迷惑をかけるが」
「いいえ! 我が家も使用人は殆どいませんでしたから、大丈夫です。それに」
 
アデレイラはバストルから手を離し、ポンと手を叩いた。 

「だから私なんだな、って改めてわかってよかったです」
「アデレイラ……。いや、それだけじゃなくて」

(私がやるべきは、甥御さんであるディラン様の母親兼家庭教師、それに侯爵家の財政健全化。うん、領地の収入があるから、今までよりも楽だわ)

脳内がすっきりと整理されていく。

「私も精一杯お手伝いしますから、できるだけ早く財政を立て直して、バストル様もお好きな方と改めてご結婚なさってね」
「好きな? いや、他にそんな女性はいないのだが」

アデレイラの言葉に、バストルは驚いて否定をするが、彼女は笑みを浮かべる。

「バストル様。私はどうせ結婚は諦めていたんですし、お気になさらず」

そこまで言うと、アデレイラは目の前のワインをぐい、と一気に飲みこんだ。

(あら、目がまわる……?)

「アデレイラっ!」

昼間の結婚式の疲れもあったのだろう。
時間も、もう遅い。
眠気とアルコールで、アデレイラはそのまま気を遠くに手放してしまった。

   *

「他に好きな方、と言ったか?」

一瞬にして寝落ちてしまったアデレイラをベッドへと運ぶと、バストルはその横に座り彼女の髪をそっと撫でる。

「君の他に、好きな女性なんているわけがないのに」

一体どこで勘違いをしてしまったのか、と思い返す。

「あれか……。私が、契約結婚なんて言ってしまったから」

彼女の家にプロポーズをしに行った日に、口にした言葉。

――私との愛は、考えなくて構わない。

「どうしてあんなことを言ってしまったのか」

彼女とどうしても結婚したかった。
けれど、世話をしないといけない甥っ子がいて、さらに侯爵家は貧乏。
そんな男がどうして彼女に愛を囁けよう。

「せめて、私のことを無理に愛そうとしなくても良いと――そう告げたかっただけなのに」

どうやらアデレイラはあの言葉で、バストルには他に愛する女性がいると勘違いをしてしまったらしい。

「……初夜なんて、図々しいよな」

まずは彼女に、自分が愛しているのはアデレイラであることを告げなければ。
そう思うも、この状況で今更告げたところで信じてもらえるのか。

「急いじゃダメだな。私のことを、きちんと信頼してもらわねば」

かすかに寝息を立てるアデレイラと、少しだけ距離をとりベッドに入る。

「彼女にきちんと納得してもらってから、初夜を迎えよう」

抱きしめて、キスをして、思い切り甘やかしたいけれど。
今の自分には、そんな資格はないのだ。

「お休み、アデレイラ」

明日はディランをアデレイラにひきあわせよう、と思いながら、彼女の髪の毛の先に口付けをして、バストルは瞳を閉じた。
それが新たな嵐になることとも思わずに。
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