婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~

ひとしきり話した後、父が旅館の部屋【萩の間】を取ってくれたので、私たちはそこで夕飯を食べることにした。

用意された食事は他の宿泊するお客さんと同じ、おひつに入った白米に丁寧に出汁を取った味噌汁、地魚を使った煮つけや天ぷら、山菜の盛り合わせなど豪華なメニューである。

「美味いだろう!」
「はい、どれも美味しいです。お父さんが作っているんですか?」
「いや、ちゃんと料理人がいる。でもメニューは俺も考えているんだ」

父は上機嫌で綾斗さんにお酒を注ぐ。

いやいや、どうしてここにいるの!

私は食事をしながらこっそりため息をつく。父は料理を運んできてくれた後、そのまま居座り綾斗さんとお酒を飲みだしたのだ。

「これも地元の酒で……」
「お父さん」

私は父に声をかけた。

「仕事戻らなくていいの?」
「少しくらい大丈夫だ。泰介も奈々さんもいるし、それに、せっかく来てくれたのに何もおもてなししないのは失礼だろう」

とか言いつつ、一緒にお酒が飲みたいだけでしょう……。魂胆丸見え。
でもなんだかんだ、二人で楽しそうにお酒飲んでいるからそれ以上何も言えなくなってしまった。

「茉白は昔から出来は悪くないが要領が今一つでね。心配していたんだよ。さっさと結婚すればその心配も減ると思ってね。それに女の幸せは結婚だろう?」
「そういう人もいますよね。茉白さんはとてもしっかりしている女性です。今の時代に、結婚なんてしなくても十分に幸せになれる人は多いと思いますよ」
「まぁ、そうかもしれんが……、茉白に関してはそう思えなくてねぇ」

父は露骨にため息をついて見せた。

ほら、始まった。

父のこういう価値観が昔から嫌だっが、綾斗さんは穏やかにそれをそっと否定してくれる。
私が言うといつも喧嘩腰になってしまうけど、不思議と綾斗さんから言われると父は強く反論しない。綾斗さんがお客さんだからだろうか。

「でも、茉白がこんなにいい男を連れてくるなんてな。近所のおばちゃんたちの目がハートになっていたぞ!」
「あー……、なってたね」

噂を聞きつけたおばちゃん達が覗きに来ていた。おばちゃんネットワークは何よりも早い。

「茉白ちゃんは凄いねぇ~なんて言って! 昨日まで独身の娘がいるって笑いものにしていたくせになぁ! 調子がいいんだ!」

ああ……、笑われていたんだ、私……。

「ハハハ……」

引きつった笑いしか返せない。
都会でバリバリ働く独身娘は、裏を返せば妬みに近い存在でもある。父も近所の人たちにチクチクと嫌味を言われていたのだろう。

早く結婚しろとも言いたくなるか……。

少しだけ申し訳なさも感じる。
すると、部屋のチャイムが鳴り、外から母の声がした。

「失礼しますね」

入ってくるなり、母は申し訳なさそうな顔で私と綾斗さんを見る。

「食事中、ごめんなさいね。実は……」
「何かあったの?」
「今さっき組合から連絡があって、電車が事故の関係で運休してしまったらしいのよ」
「えっ!?」
「しばらくは動かないって……」

運休!? 困ったな、どうしよう……。時間的にこの田舎ならこのまま終電まで止まっているだろう。

「お母さん、車出してもらえない?」
「そりゃあ、新幹線の駅まで車出してあげたいけど……、これから忙しくなる時間だから人手が出せないのよ」
「じゃぁ、タクシーで……」

そう言いかけた時、お父さんが大きな声を出した。

「もう遅いし! この辺は夜道暗いし、危ないし! 綾斗君、泊って行ってくれ!」
「いやいや、待って! 何言っているの! 綾斗さんは明日も予定があるんだし無理だよ! タクシー呼ぶから!」

今日だって、忙しい合間をぬって時間を作ってくれたのだ。
そんな無理はさせられない。

「タクシーなんてこんな田舎じゃつかまらねぇよ!」
「呼べば来るって」
「どんだけ時間かかるかもわかんねぇし、泊まったほうがいいって! 泊まれ!」

強引な父に困って綾斗さんを見ると、立ち上がってスマホでとこかへ電話をかけていた。

「もしもし、俺。明日なんだけど……」

微かに聞こえる女性の声。

あ、もしかして……。電話の相手って真田さんかな?
明日の予定を確認しているのかもしれない。だとしたら、秘書なんだから連絡を取るのは当然なんだけど……、なぜだか胸がチクリと痛む。

”もしもし、俺”……か。

親しみのある言い方に余計に胸が痛い。

「そう、それで予定はリスケして……、いや、その件はまとめて……、ああ、そうだな。頼む」

スマホを切って私を振り返った。

「明日の予定は全てリスケした。時間ができたし、ゆっくり茉白の故郷を見ていこうかな」
「えっ、それはいいですけど……、綾斗さん、大丈夫なんですか!?」
「心配いらない。お父さん、お母さん、すみませんが一泊させてください」

綾斗さんの言葉に母は頷く。

「部屋はこの萩の間でもいいかしら。ご飯食べたらお布団を敷くから、その間にお風呂にでも入ってきて」
「う、うん」
「茉白は母屋でいい?」
「もちろ……」
「茉白はこの部屋だろ! 婚約者なんだしな!」

父は当然とばかりに言い放つ。

「えっ!? いやいや、さすがにそれは……」
「何が困ることある? 別にいいだろ。母屋のお前の部屋は布団も干してないし埃だらけなんだし」

そうかもしれないけど、表向きは婚約者だが、さすがに同じ部屋は……。しかし、この状況で嫌とは言いにくい。でもずっとごねていると怪しまれる。
チラッと綾斗さんを見ると、仕方ないとでもいう風に軽く肩をすくめられた。

「……うん、そうだね」

私が渋々頷くと母がチラリとこっちを見た。

「わかったわ、用意するわね」

そう言うと、母は「ほら、あなたはいつまでもさぼっていない!」と父も連れて部屋を出て行った。
やっと出て行った。
一気に部屋が静かになった後、私は慌てて綾斗さんを振り返った。

「綾斗さん、こんなことになってすみません。予定の方は大丈夫でしたか?」
「ああ、真田に何とかしてもらった」
「真田さん……」

やっぱり電話の相手は真田さんか。

「信頼しているんですね」
「秘書だからな」
「ですよね……」

わかっている。当然のことなのになぜもやっとするんだろう。胸がスッキリしない。

「良かったのか? 部屋」
「……さすがに父の前でノーとは言えません。ごねたら怪しまれますから」

綾斗さんは目を逸らし、「そうだな」と苦笑した。

「じゃぁ、せっかくだし風呂でも入ってくるか」
「あ、はい。大浴場は一階です。私も準備したら行きますので」

綾斗さんは軽く手を上げると部屋から出て行った。

一人残された私は畳の上に崩れ落ちる。

どうしよう!! どうしよう!!
お父さんの手前、平気なふりしちゃったけど綾斗さんと同じ部屋に泊まるの!? この部屋、そこまで広くないよ!?
婚約者って言ったって、偽物なんだから同じ部屋はまずいでしょう!? 

「今からでも変更を……」

……したら不自然だよね。婚約者同士なのに同じ部屋が嫌って意味わかんないし。なにより、ここでバレたくはない……。
もしバレたら騙したことに怒った父に、明日にでもお見合いセッティング&強制結婚させられそう。

「……布団を離せばそこそこ距離が出来る……かな?」

動揺しないで、茉白。綾斗さんとは同じ会社の上司と部下だ。今後の仕事にも影響するし、何か起きるなんてことはないだろう。
というか……、綾斗さんのような人が私に手を出すなんてまずありえない。
きっと今頃、迷惑で仕方ないって顔しているのかも。ため息ついているかも。

「……バカみたい、私」

冷静になって考えたら、1人で動揺しているのが馬鹿らしくなった。

あーあ。私も久々に旅館の方のお風呂に入ろうかな。ゆっくり温泉に浸かるのもいいだろう。

私は少しヤサグレた気分で大浴場へ向かった。

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