婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~
この人……。確かあの船上婚活パーティーで綾斗さんと一緒に来ていた人だ。なんでここに……?

「お前、何言っているんだ」

手を振り払う綾斗さんは不機嫌さが滲んでいたが、当の椎葉さんは全く意に介さない様子だ。

「やあ、久しぶり! 今日のドレス、俺のデザインなんだよね。どんな仕上がりか確認しに来たら、ちょうどいいタイミングじゃないか!」
「おい、椎葉」

綾斗さんの声を無視して椎葉さんは人懐っこい笑顔で周囲を見渡した。婚活パーティーで見た時のやさぐれた表情とは別人のように明るい。

「男性モデルは綾斗で決まりだね! で、女性の方は……」

椎葉さんの視線がスタッフたちの間をぐるりと巡る。真田さんの方へ向きかけた時、スタッフの何人かが視線を交わした。
確かに真田さんなら見た目も申し分ない。そういう空気が漂い始める。

私も同じことを思った。

真田さんなら絵になる。スタイルが良いから綾斗さんの横に立っても違和感がないし……。むしろ、ここに居る誰よりも似合うだろう。

椎葉さんと目が合った真田さんはそっと一歩引いた。

「私は撮影中も専務のスケジュール管理、電話対応がございますので」

静かで、しかし明確な一言。事実だろうし、誰も反論できない。
すると、真田さんの視線が私の方へと流れた。感情のない瞳、だけど一瞬だけ瞳の奥が揺れた。

「じゃあ、そこの君!」

椎葉さんの指が真っすぐ私を指す。

「え……、え!? 私ですか!?」
「そう、君! 雰囲気がいい。ちゃんとメイクすれば綾斗の隣に立っても映えると思う!」
「いや、待ってください! 私は広報担当なのでモデルは……」
「大丈夫、大丈夫! 俺がそう言うんだから間違いない」

椎葉さんはあっけらかんと言い放つ。
そんなこと言われても、モデルなんてしたことがない。私にできるはずがない。

「椎葉、いい加減にしろ」

綾斗さんが低い声で制止した。しかし、椎葉さんはひらひらと手を振る。

「綾斗、考えてごらんよ。今日ここで撮影を終わらせた方が全員にとって得でしょう? 日程の組み直しだって大変だし、その分予算だってかかる。そもそも、いつまでもPR動画が公開されないままなのは会社にとっても得ではないでしょ? そこの所、経営者としてどう見る?」

綾斗さんは不快そうに眉を寄せたままため息をついた。それが、椎葉さんの言葉が正論だということを示している。

プロデューサーが恐る恐る口を開いた。

「あの……、では椎葉様がそうおっしゃるなら、ドレスのサイズ確認をしてみましょうか。もし合うなら……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

私は慌てて手を上げた。

「無理です! 私モデルなんかしたことないし、そもそもドレスだって合うはずがないじゃないですか! 他に適任の方が……」
「君名前は?」
「え……?」
「名前」

椎葉さんは私の言葉を遮ってニッコリ微笑みながら名前を聞いてきた。笑顔なのに何となく圧を感じるのは気のせいか……。

「桃瀬茉白です」
「茉白ちゃん、可愛い名前だね。俺がいれば、ドレスのサイズくらいあっという間に直せるから心配ないよ」
「でも……」
「茉白ちゃん、あのね……」

椎葉さんは急に真剣な表情になって私をじっと見つめた。

「ドレスを着る花嫁さんたちが等身大に感じる様なモデルって、実はすごく大事なんだよ。こういうPRの場合、特に身近に感じる様なモデルの方が良い。それに、俺はデザイナーとしてドレスを着る人の雰囲気を大切にしている。綾斗の隣に立つ人間は華やかさじゃなくて、温かさが必要なんだ。君にはそれがある」

温かさ……?

予想外の言葉に何も言い返せなくなってしまった。

「それに……」

椎葉さんは綾斗さんを振り返って意味ありげな顔でニヤッと笑う。

「綾斗も嫌ではないだろ?」
「……余計なことを言うな」

綾斗さんは椎葉さんの視線から逃れるようにそっぽを向いた。

否定……しないの?

その事実がじわっと胸に広がった。







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