婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~

撮影は順調に進んだ。
バージンロードのシーン、祭壇でのシーン、窓際で並ぶシーン等、どれも監督が「自然だ」「いい!」と声をかけてくれる。
広報のSNS用の撮影やインタビューは、途中から来てくれた主任が代わりに行ってくれた。
だから私は撮影の方に集中できている。

休憩時、私はドレスの裾を踏まない様気を付けながら隅の椅子に腰を下ろした。

なんだかまだ頭の中がふわふわしている。

「お疲れ様です」

真田さんが静かにやってきて、飲み物を差し出してくれた。

「あ、ありがとうございます」
「……ドレス、良く似合っていますね」
「え……」

真田さんにそんなことを言われるとは思わなかったので少し驚く。感情の読めない横顔はまっすぐ前を向いていた。

「……真田さんは出なくて良かったんですか? その、モデル……」
「私は専務の側で支えるのが仕事です。その役割を放棄するわけにはいきません」
「そうですか……」

側で支えるのが仕事。その言葉にドキッとする。

それって……、仕事としてってこと……だよね?

「桃瀬さん」

真田さんがこちらを向いた。いつもの落ち着いた目。でも、その奥に何かある気がして私は息を呑んだ。

「専務はご自分の感情を表に出すことは滅多にありません」
「……はい」
「だからこそ、そういう方が珍しく見せる表情は……、見ている方にはよくわかるんです。……私にはよくわかる」
「え……?」

真田さんはそう言うとスッと顔を背け、そのまま綾斗さんの元へと戻って行った。

今の……、どういう意味?  珍しく見せる表情……。

私は飲み物を握ったまま、真田さんの言葉がしばらく頭の中で繰り返されていた。


休憩が終わると、最後のシーンとなった。

「最後は少しロマンティックな雰囲気でお願いします。専務が花嫁さんの手を取る感じで」

監督に指示されながら、私たちは再び祭壇の前に立つ。

「手を出せ」

綾斗さんに言われ、私はそっと右手を差し出した。その手を綾斗さんが包み込む。

大きくて温かい手……。

ふと思う。帰省したあの夜、思い浮かべた「手を伸ばしたらどうなるのだろう」という疑問の答えが、ここにあるような気がした。

どうにもならない。わかっていた。でも、こんなに温かいなんて……思わなかった。

なぜか泣きそうな気持になっていると、綾斗さんフッと小さく笑った。

「……緊張しているな」
「してません」
「手が冷たい」
「……寒いんです」
「そうか」

綾斗さんはそれ以上何も言わず、ただ私の手を包む力を少しだけ強めた。それだけの事なのに、目の奥が熱くなる。
見上げると、綾斗さんが穏やかに微笑んでいた。仕事中なのにそれは私の知る綾斗さんだった。

「カット! 素晴らしいです! いいシーンが撮れました」

監督の声に我に返る。周囲が拍手する中、椎葉さんが嬉しそうに駆け寄ってきた。

「ずっと見てたけど最高だったよ、二人とも! 特に最後のシーン! 本物のカップルみたいだった」
「ありがとうございます」

そうお礼を言って綾斗さんの手をそっと離した。
温もりが消えた手のひら。私はそれをそっとドレスのスカートに押し付けるようにして隠す。

本物のカップルみたい……か。

そんなはずないのに、少しだけ嬉しくて少しだけ胸が痛い。

「茉白」

着替えのために控室へ戻ろうとした時、後ろからそっと綾斗さんに呼び止められた。他のスタッフに聞こえないように名前を呼ぶのは綾斗さんなりの配慮なのだろうか。

振り返ると、綾斗さんが静かにこちらを見ていた。

「……お疲れ様」
「お疲れ様でした」
「巻き込んですまなかったな」
「いえ……、これも仕事の一環ですから」

笑顔を作ってそう言うと、綾斗さんは少し間を置いてから「そうか」と呟く。

「ドレス、良く似合っていた」
「え……」

綾斗さんは微かに口角をあげると、すぐにスタッフの方へ向きなおして立ち去って行った。

私はしばらくその場に立ち尽くす。

似合っていたって……、今頃言うの? 始めに言ってくれても良かったのに……。

心臓がコントロールできないくらいにうるさい。ニヤニヤ緩む口元を隠すので精一杯だ。

「桃瀬さん、着替えましょうか」
「あ、はい」

スタッフに声をかけられ、やっと足が動き出す。
控室の鏡の前でドレスを脱ぎながら、私はぼんやりと自分の顔を見た。この頬の赤さはチークだけではない。

「……だめだ、茉白」

小さく呟く。
忘れようとしていたのに、距離を置こうとしていたのに……。

私は自分の手を見つめる。綾斗さんの手の温もりが、まだ消えないでいた。



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