婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~

「では、まず最初はバージンロードを並んで歩いて来るシーンから行きます」

監督の指示に、私は綾斗さんの隣に並ぶ。すると、綾斗さんがスッと腕を差し出してきた。

「……っ」
「エスコートする形で歩く。自然にしろ」

綾斗さんが静かに言う。

自然に……。わかっているけど、でも腕を絡めるなんて……。

ドキンドキンと鳴る心臓の音が伝わってしまいそうだと感じながら、私はおずおずと綾斗さんのい腕に手を添えた。
それを綾斗さんがそっと引き寄せる。さらに距離が縮まって、タキシードの肩がすぐ真横に来た。

どうしよう……、近い……。

戸惑いが伝わったのだろうか、綾斗さんがボソッと呟く。

「力を抜け。カメラに伝わるぞ」
「……はい」

そうだ、仕事中。集中しなきゃ。

深呼吸を一つ。綾斗さんの腕の温もりを感じながら、ゆっくりと歩き始めた。

「いいね、そのまま! 凄く自然ですよ」

監督の声とBGMの音楽が遠くに聞こえる。意識しない様、私はただ前を向いて歩くことに専念した。
そしてふと気が付いた。

あ……、もしかして……。

そっと綾斗さんを盗み見る。
涼しい顔で前を見ている綾斗さんだが、どうやら歩く歩幅を合わせてくれているらしい。あの時の、デートの時と同じように。

そのことに気が付いた瞬間、胸の奥がキュッと締め付けられた。

「次は祭壇の前で向き合うシーンをお願いします。見つめ合う感じで」

向かい合う……? 正装をしてバッチリ決めた綾斗さんと……? 

言われた通り、バージンロードの先にある祭壇の前で私たちは向かい合う。そっと見上げると、綾斗さんが真っすぐ見ている。

こ、これは……。

「目を逸らすな」

低い声が落ちてくる。

「逸らしていません」
「今逸らしかけただろ」
「……してません」

小声で言い返すと、綾斗さんの口角がわずかに上がった。

ずるい、そんな顔しないでほしい。破壊力が凄くて本当に目を逸らしてしまう。
そもそもこんなに格好いい綾斗さんを前に、向かい合うなんて難易度が高すぎるのよ。

私の内心など知らない監督は、「もう一歩、距離を縮めてください!」と指示を飛ばす。

それに従い、綾斗さんが一歩私に近づいた。見上げる角度が急になり、首が痛いくらい。目を逸らしたい、でも逸らせない。

綾斗さんは真っすぐ、静かに私を見下ろしている。

これが仕事……。
頭ではわかっているの。でも、胸の奥がうるさくてたまらない。苦しくてたまらない。

「綾斗さん……」

気が付いたら、周囲に聞こえない程度の小さな声で綾斗さんの名前を呼んでいた。

「何だ」
「……緊張します」
「知っている」
「助けてください」
「……だから俺を見ていろと言っただろう」

穏やかな声だった。
いつもの仕事中の冷たい響きはなく、帰省中のあの夜に聞いた、あの声と同じだった。

泣きそうなほど、切なくて胸が苦しくなる。

勘違いしてはいけないわ、茉白。
これは演技よ。仕事だから、カメラの前だからこうして優しくしてくれているだけ。帰省中の時だってそうだったでしょう?
……わかっているのに、どうしても心は揺れ動いてしまう。

「そう言えば、宿題は出来たか?」
「あ……、いえ……」

気を紛らわせるためなのか、綾斗さんが思い出したかのように言ってきた。
そう言えば、そんな話をしていたな……。正直、全くわからない。
すると、綾斗さんはふっと笑った。

「わからないか。まぁいい」
「え、教えてくださいよ」
「教えたら、もっと緊張するだろう?」
「え……、どういう……」

こくんと首を傾げると、綾斗さんは楽しそうな笑顔を見せた。
この仕事の担当に私を指名した理由、教えてくれないの? 凄く気になるんだけど……。自分で宿題にしておきながら、答えてくれないなんてずるい。

「不満そうだな」
「当り前です」
「花嫁がそんな顔するな」
「じゃあ教えてください」
「……答えは、俺が茉白と仕事がしたかった。ただそれだけだ」
「え……」

目を丸くすると、優しい視線が下りてくる。

私と仕事がしたかった? それってどういうこと?

もっと詳しく聞こうとした時。

「最高です! では次のシーンに移りましょう!」

監督の声でハッと現実に引き戻される。
綾斗さんが視線を外し、スタッフの方を振り返った。もうこのことはそれ以上は話さないと言った空気をまとって。私はこっそりと息を吐いた。


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