婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~

綾斗さんが連れて行ってくれたのは、グランフィオーレの敷地内にある和食レストランだった。

「いつもくるんですか? ここ」
「たまにな。静かだから」

個室の窓から見える日本庭園は綺麗に手入れがされていて美しい。まだ仕事でも入ったことがない場所に、私は少しワクワクしていた。
私がここを広報として紹介するなら、どんなふうに記事にして紹介するだろう。そんなことも考える。

表情がほころぶと、綾斗さんがふっと笑った。

「仕事のこと考えているだろう」
「あ……、わかりましたか」

照れ笑いしていると二人分のランチが運ばれてきた。おいしそうな和食御前である。当然、綾斗さんの分も。

「お昼はちゃんと召し上がるんですね」
「まぁな」
「やっぱり朝は食べないんですか?」
「今朝は食べた」

意外な言葉に少し目を丸くする。
朝はコーヒーだけだって言っていたのに。

「何を食べたんですか?」
「トーストを少し」
「少しって何枚ですか?」
「……半分」
「半分!?」

思わず声が出ると、綾斗さんがやや気まずそうに目を向けた。

「そんなに驚くことか?」
「驚きますよ、それで午前中動けるんですか?」
「動けている」
「顔色が悪い時がありますよ」
「そんなことはない」
「あります。先週の会議のときとか」

じろりと見られてしまった。言い返せないのか、綾斗さんは少し拗ねたように黙る。私はそれがおかしくてクスッと笑ってしまった。

「何が可笑しい」
「いえ……、専務でも言い返せないことがあるんだなと思って」
「……茉白は口が達者だな」
「誉め言葉として受け取っておきます」

そう返すと、綾斗さんがふっと笑った。
そして笑みを浮かべたまま、低い声を出す。

「会議中、俺をことをよく見ているんだな」
「え……、あ、それはあの……」
「俺も茉白を見ていたら、ずっと目が合ったままなのか」

悪戯っ子のような目で私を見ながら微笑む綾斗さんに、私は赤面しながら慌てて首を振る。

「か、からかわないでください」
「事実だろう」

また楽しそうに穏やかな顔を見せる。
ああ、まただ。仕事中には見ることがない表情。この顔を見ると、帰省時を思い出してしまうから厄介だ。
しかも茉白って名前で呼んでくるし……。
綾斗さんにとってこの時間は仕事中ではないんだ。

「実家の方は落ち着いているか?」
「はい、父もいつも通りみたいです」
「そうか。また何か言われたりしていないか? お見合いとか、結婚の事とか」
「まだ何も。綾斗さんを紹介したことで、安心したのかもしれません。しばらくは大丈夫だと思います」
「ならいいが」

綾斗さんはお茶を一口飲んで窓の外に目を向けた。

穏やかな横顔。
ああ、やっぱり好きだなと思った。思ってしまった。

心の中で呟いた途端、胸がぎゅっと痛くなる。

好き。うん……、私この人が好きなんだ。諦めようと思ったけど、好きだって自覚してしまった。
不毛な恋なのにね。どうにもならないってわかっているのに……。

「……もう少ししたら父に綾斗さんと別れたって連絡します」

ボソッと呟くと、綾斗さんが目線だけ私に向けた。
でも、もともとそういう話だったし……。
ただ『別れたって』と自分で言った言葉が辛いのは、私が綾斗さんを好きだって自覚しているからだろう。

すると綾斗さんは低い声で呟いた。

「まだいいだろう」
「え……?」
「帰省からまだそんなにたっていない。すぐに連絡したら怪しまれるから、連絡するのはまだまだ先にした方が良い」
「あ……、はい」

そんなこと言われると思わなかった。
だって両親からしたら綾斗さんは婚約者のままなんだもの。嫌だろうなって思ったからああいったのに、まだいいだなんて……。
そんなこと言われたら勘違いしそうになる。
綾斗さんにとって、私が『婚約者』という立場にいることが迷惑ではないって。このままでいいって思われているかもって。
まだ繋がれている。そんな気がしてしまう。

「どうした」
「……何でもないです」
「顔が赤いぞ」
「熱いものを食べたので」
「味噌汁か」
「そうです」

嘘だけど。
綾斗さんは少し目を細めたが、それ以上は何も追求しなかった。

ああ、この時間がもう少し続けばいいのに……。

窓の外を見ながらそんなことを想う。
どうせいつかは終わるのに。
少しでも長く……。そう持ってしまうのだから我ながら困ったものである。



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