婚約者のフリをしてください、専務~冷徹御曹司の溺愛は嘘から始まる~
シャワーを浴びて自分の服に着替えてリビングへ行くといい香りがした。キッチンを覗くと、スエットに半そでのTシャツ姿のラフな綾斗さんが私に気が付いてニコッと微笑む。
私服は見たことあるけど、ここまでリラックスした姿は初めて。これもまた格好良くて目が泳いでしまう。
「もう出来るから少し待ってろ」
「ご飯、作ってくれたんですか?」
「簡単な物だけどな」
お皿にはトースト、目玉焼き、サラダ、コーンスープが用意されている。
「腹減っただろ?」
「はい。ありがとうございます」
お皿を並べるのを手伝いながら、部屋の広さに驚いていた。
タワマンなので窓からの景色もいいし、揃えてある家具はシックだけど高級そう。物が少なく、さっぱりとした部屋だ。
ベッドルームも黒やグレーを基調とされていたが、リビングも同じように城、黒、グレーの三食がメインで使われている。
男性の部屋って感じだな……。
テーブルに向かい合っていると、綾斗さんが「なんだ?」と首を傾げた。
「綾斗さん、朝食は食べないんじゃなったんですか?」
「もう朝食って時間じゃないだろ。それにあれだけ運動すれば、さすがに腹は減る」
「っ……そうですか」
わざとらしく意味深な言い方をする。頬が熱くなって俯くと、綾斗さんは頬杖を突いてこちらを見た。
「茉白はすぐ赤くなるな」
「し、仕方がないじゃないですか」
「会社ではそんな反応するなよ? 一応、会社では上司と部下だ。公私混同はしない」
「わかってます」
一瞬、専務の顔がのぞく。
でもそんなこと言われなくても、混同したりなんてしない。……たぶん。
そもそも、仕事で一緒になることもあまりないし、顔を合わせたところで気軽に話ができる空気でもない。すれ違ってあいさつ程度だろう。少し寂しい気がするが、そこは今まで通りでいいと思う。
「仕事は仕事、ですよね」
頷いてニコッと微笑むと、綾斗さんは「ただし」と少しだけ身を乗り出すと私の頬をそっと撫でた。
「仕事が終わったら俺のものだ」
「……っ」
「文句はあるか?」
「ありません……」
「なら決まりだな」
口角をあげてコーヒーを口にする綾斗さん。けれど私は顔があげられなかった。
今、俺のものって……。そんなこと、サラッと言わないでほしい。心臓がもたない……!
心臓が早鐘を打ち、呼吸が苦しい。もう顔が赤くなるどころではない。本音は叫び出したくなるくらいだ。
そのうち呼吸が出来なくて息が止まるのではないだろうか……。
だがしかし、ふと思い出して「ん?」と首を傾げる。
「なんだ?」
「公私混同……してましたよね? 前」
「……何の話だ」
綾斗さんが軽く咳払いする。
あ、これ何の話か分かっているな。
「一回目の帰省の後。会議室で私の名前を読んだり、距離が近かったり……。個別でメールして執務室へ呼び出したりランチに誘ったり……。あれって……」
言いかけると、綾斗さんは目を逸らしながら気まずそうに立ち上がった。
「よし、俺もシャワーしてくるからゆっくり食べてろ」
「ふふ、はい」
思わず吹き出してしまう。
一番できていないのは綾斗さんじゃないか。
「あの頃は、俺も茉白となんとか接点を持ち続けたかったんだよ」
「え……」
どこか恥ずかしそうに呟いてリビングを出て行く綾斗さん。
今度こそ、私が完膚なきまでにノックアウトされた。