部長と私の秘め事
「おはようございます」

 まだ掠れた声で挨拶をすると、ワイシャツにベスト姿の尊さんがキッチンに立っていた。

「おう、おはよ。熱はどうだ?」

 彼はいつも通りピシッとした姿なのに、私はヨレヨレのパジャマ姿というのがアンバランスで情けない。

「まだ下がりきってないみたいです」

「そっか。お粥やスープを作ったから、食えるだけ食ってくれ」

 尊さんはキッチンで自分用の普通のご飯を用意しつつも、私用の食事も作ってくれていたみたいだった。

「忙しいのにごめんなさい」

「いいって」

 サラッと言って笑った尊さんは、今日も輝かんばかりに格好いい。

 パジャマ姿の私がヨボヨボしている分、彼の爽やかさがいっそう際立っているように思える。

「寒気は?」

「まだあります」

 両腕で自分を抱くようにして答えると、尊さんは「ちょっと待ってくれ」と言ってサッと廊下の向こうに消え、すぐにカーディガンを持って現れた。

「ちょっとでかいけど、温かさは保証する」

 そう言って彼はローゲージの濃紺のカーディガンを私に羽織らせ、袖を通して着せるとボタンを留めてくれた。

 メンズのビッグシルエットカーディガンは、私が着るとブカブカだ。

 けれど空気を含むのと毛糸の質がいいからか、一枚羽織っただけでとても温かくなった。「あったかい」

「だろ」

 尊さんは微笑むと、「おっと、火忘れてた」と言ってキッチンに急ぐ。

 ダイニングテーブルの上にはこぶし焼きの器に盛られた白粥があり、ホカホカと湯気を立てている。

 梅干しをはじめ、数種類の漬物を盛った小皿もあり、鍋敷きの上の小さな土鍋にはまだ沢山お粥が入っていた。

 尊さんがコンロで温めている野菜スープは、キャベツや人参、ピーマン、ベーコンなどがパスタと一緒に柔らかく煮込まれた物だ。

 どちらも炭水化物が入っているけれど、少ししか食べられなくても栄養になるようにと気遣ってくれての事だと思う。

 彼は自分用に普通の白米をお茶碗に盛り、グリルで魚を焼いている。

 レンジでは、恐らく作り置きらしい煮物が温められていた。

 やがてすべての準備ができたあと、二人で食卓についた。

「食欲ないのは分かってるから、無理して完食しなくていいからな。でも薬を飲むために、なるべく頑張れ」

「はい」

 尊さんは手を合わせて「いただきます」を言ったあと、綺麗な箸使いでパクパクとご飯を食べていく。イケメンは食事風景も絵になる……。

 私はそんな事を思いながら、木製の匙を使ってゆっくりお粥を食べ始めた。

「そうだ。係長にお休みもらうって言っておきました」

「そっか。なら、安心して休めるな」

 尊さんは自分の事のようにホッとした顔をし、野菜スープを飲む。

 ……今さらだけど、純和風の食事をしているのに、汁物だけお味噌汁じゃなくてコンソメベースの野菜スープで、なんだか申し訳ない。

「九時から十時には町田さんが来るはずだから、何か頼み事があったら彼女に言ってくれ。スポドリのペットボトルは冷蔵庫にあるから、タンブラーとかに入れて自由に飲んで」

 彼が示したほうを見ると、キッチン台の隅っこにベージュ色の保冷タンブラーがあった。

「未使用だけど、一応煮沸消毒しておいた。あとで可愛いの買っておくから、今はとりあえずあれで」

「いえ、ベージュ大好き」

 私はお粥をちびちび食べていたけれど、高級梅干しが美味しくて思っていたより食が進んでいた。

 それでもお粥と野菜スープの半分ぐらいでギブアップしてしまい、気がつくと熱でボーッとしながら目を閉じてしまっていた。

「朱里」

 声を掛けられ、ハッとして目を開けると、いつの間にか尊さんが側にきていて床に膝をついていた。

「もう飯はいいから、薬を飲め」

 そう言って、彼は水の入ったコップと、薬のシートを手渡してくる。

「ん……、んく」

 薬を飲むと、尊さんが「偉いぞ」と頭を撫でてくれた。

 尊さんはすでにご飯を食べ終わっていたみたいで、チャチャッと片付けをすると、食器類を食洗機に入れた。

 情けないけど、私はダイニングテーブルで縦になっているのがつらくて、フラフラとソファに向かうと寝転んでしまった。

 目を閉じてつらさをやり過ごしている間、尊さんは洗面所に向かい歯磨きをして出かける支度を調える。

 そして「朱里」と私の顔を覗き込み、髪を撫でてからグイッとお姫様抱っこしてきた。

 ボーッとしている私は彼に抱きつき、「しゅき……」と呟く。

「ん、俺も好きだよ」

 体調がガタガタになって弱っていた心に、優しい言葉が染みてポロッと涙が零れてしまう。

 尊さんは私をベッドに寝かせたあと、「眠くないかもしれないけど、横になってろ」と頭を撫でてきた。

 ふぅ、ふぅと息をする私を見て、尊さんはつらそうに目を細めていたけれど、腕時計を確認して立ちあがる。

 ――行っちゃう。

 寂しさと心細さを感じた私は、つい涙ぐんで彼のスラックスを掴んでしまった。

「……行かないで」

 呟くと、尊さんは溜め息をついてまたしゃがむ。

 そして困った顔で微笑み、私の手にキスをした。

「本当に行きたくなくなるな。……なるべく早く帰ってくるから、いい子で待っていてくれ」

 そう言って彼は私の額にキスをし、サラリと髪を撫でてから静かに部屋を出ていった。

(あーあ……)

 心の中で溜め息をつき、少し零れてしまった涙を拭った時――。

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