部長と私の秘め事
「身代わり」
尊さんが戻ってきたかと思うと、枕にTシャツを着せた物を布団の中に入れてきた。
「ん?」
しかも枕には透明な布テープで紙が貼られてあり、その紙には尊さんの自画像らしき、らくがきが描かれてあった。
「んふふ……っ。なにこれ、可愛い」
「俺がいない間、分身と仲良くしてくれ」
「……尊2……ミコトゥー」
「ミコトゥーにあまり過激な事をしないように」
尊さんは私の頭を撫で、熱を確かめるために首筋に触れてから耳を摘まんだ。
「何か食いたいもんあるか? アイスとかヨーグルトとかプリンとか」
「……尊さん」
ポソッと冗談を言うと、彼は苦笑いする。
「そいつは体力がある時じゃないと完食できないから、軽い奴で頼む」
「えっちっち」
「俺はドスケベだよ」
ニヤリと笑って答えてから、尊さんはまた私の頭を撫でてきた。
「……じゃあ、帰り朱里の好きそうな冷たいもん、適当に買ってくるよ。もしリクエストあったら、メッセージ入れてくれ」
「はい」
彼はまだ熱で赤い私の顔を見て、心配そうに溜め息をつく。
「早く良くなりますように」
祈るように呟いてから、尊さんはまた私の額にキスをし、今度こそ出勤していった。
「……ミコトゥー、……宜しくね」
私は尊さんのTシャツを着た枕をギュッと抱き締め、彼が描いたらくがきに話しかける。
ちょっと無愛想っぽい表情をしている所とか、まんま尊さんだ。
「んふふ」
胸の奥がほっこりと温かくなった私は、ミコトゥーのいい匂いを嗅いで目を閉じた。
そのあと目を閉じているといつの間にかウトウトしていたらしく、気がつくとカタン、カタンと小さな音が立つのを耳にして目が覚めた。
(町田さんかな?)
モソリと起き上がると、ミコトゥーをポンポンと撫で、スリッパを履いてリビングダイニングに向かう。
「あら、上村さん、起こしてしまいましたか? すみません」
町田さんは掃除をしていたらしく、片手にハンディモップを持ってテレビ台付近を拭いていたところだった。
足元ではお掃除ロボットのルン太が動いていて、私は彼のために道を空ける。
「基本的に寝てるので、あまり眠たくなくて」
「寒くありませんか? 何か上に羽織る物を着ていたほうが……」
「あ、いえ。インフルうつしたら悪いので」
遠慮したけれど、彼女はにこやかに笑って言った。
「リビングダイニング、キッチン合わせて四十畳以上ありますから、そう接近しない限りうつらないと思いますよ。お互いマスクもしていますしね。それにお一人じゃ心細いでしょうし、話し相手がほしくありませんか? 私なら問題ありませんので、何か上に羽織ってお座りください」
町田さんに言われ、私は「ありがとうございます」とお礼を言って一度部屋に戻り、尊さんから借りた紺色のカーディガンを着てリビングに戻った。
戻る頃には町田さんが気を利かせたのか、テレビがついて朝の情報番組が流れていた。
「速水さん、とても心配されていたので、具合が悪いと思ったら無理せず寝てくださいね」
「はい」
ソファに体育座りをした私は、町田さんの働きぶりを眺めつつ尋ねた。
「尊さんとはどれぐらいのお付き合いなんですか?」
「速水さんが一人暮らしを始められたのが十八歳の時で、当時は自炊されていたみたいです。ですが『忙しくなるから』と仰って、速水さんが二十歳の時に働かせていただくようになりました。なので、もう十二年でしょうか」
「はぁ……、そんな早い時期から」
「当時は今ほど気軽にお話する関係ではなく、指定された時間にご自宅に向かって、掃除をし、作り置きのおかずを作って、すべき事を終えたら帰る感じでした」
そっか、まだ当時は殺伐としていたし、家政婦さんと仲良く話す心の余裕がなかったのかもしれない。
「社会人になられてからはさらにご多忙になり、体を痛めつけるような働き方をされていて、お酒ばかり飲んでご飯をあまり食べず……と心配になる時期もありました」
恐らくそれが宮本さんを失った時期なのかな、と思うと、チクンと胸が痛んだ。
「ですが少しずつ穏やかに生活されるようになっていきました。……落ち着いた……というよりは、諦めた雰囲気がありましたが、一介の家政婦が口を出せる立場ではありませんので、やはり何も言えず……」
町田さんは少し悲しそうに微笑む。
四十代半ばの彼女は普通の中年女性で、ショートヘアに細身の体をしていて、動きやすいようにトレーナーとジーンズという姿だ。
こうやって見ると、一人暮らしの息子の家で家事をする普通の母親に見える。
(でもさゆりさんはもういないし、怜香さんに〝母〟を求めてはいけない)
私は『尊さんは世間の人がいう〝母親〟像をあまり理解していないのでは』と思う事が時々あった。
けれど彼が町田さんを十二年も継続して雇っていた事を思うと、きっと彼女は尊さんが求める〝何か〟を満たしていたんじゃないかと感じた。
その時、町田さんが私を見て、優しく笑いかけてきた。
「つい最近ですよ。速水さんがガラッと変わったのって」
それを聞き、ドキッと胸が高鳴る。
「二十代の女性が好きそうな料理を尋ねてきたり、写真映えしそうな物は作れるか尋ねてみたり、すぐに『恋をされてるんだ』と分かりました。そのうち、照れくさそうに『恋人を家に上げるようになるかもしれない』と言われて、私、自宅で一人で祝杯を挙げてしまいました」
町田さんが本当に嬉しそうに言うものだから、私は照れて真っ赤になってしまった。
「それで、やっと上村さんにお会いできたもので、年末は嬉しくて嬉しくて……。つい初詣で『速水さんと上村さんが幸せになれますように』ってお祈りしてしまいました」
「ありがとうございます……」
私たち二人の仲を、ここまで祝福してくれる第三者を初めて見たような気がして、つい照れてしまう。
「今までの速水さんの無関心な目を知っているだけに、上村さんを見る速水さんの優しい目を見たら……!」
そこまで言い、町田さんは「きゃーっ」と華やいだ声を上げて両手を合わせる。
乙女だ……!
「ほ、本当ですか? う、嬉しいな……」
髪を弄りつつ照れると、町田さんは私を見て「可愛い……」とニヤニヤする。
「ですからもう、私は第二のおかんの気持ちになってお二人を見守っているんですよ」
「こ、これからも宜しくお願いいたします……」
頭を下げると、町田さんは「あらやだ、お喋りしすぎましたね」と、ごまかし笑いをしてまた手を動かし始める。
「……そうだ、一つ質問してもいいですか?」
仕事を再開したのに申し訳ないけど、一つだけ確認しておきたい事があった。
「はい?」
「尊さんって、この家に女性を上げた事はありますか?」
「ありませんね」
町田さんは即答し、私はその答えの速さに少し驚きながらも、頼もしい返答に喜んでしまった。
「厳密に言えば私が出入りしていますが、あとは身内の方もご友人も、私が知る限り誰も上がった事はないと思います」
「そうなんですか……」
てっきり怜香さんや、ちえりさんとかなら上がってるのかと思いきや、かなり徹底しているらしい。
嬉しくなった私はデレデレして黙ってしまった。
その時、スマホがピコンと鳴ってメッセージが入った事を知らせる。
アプリを開いた私は、ちょっと失念しつつあった名前を目にして瞠目した。
「……春日さん」
風磨さんのかつてのお見合い相手、三ノ宮グループの令嬢、三ノ宮春日さんから連絡が入っていた。
尊さんが戻ってきたかと思うと、枕にTシャツを着せた物を布団の中に入れてきた。
「ん?」
しかも枕には透明な布テープで紙が貼られてあり、その紙には尊さんの自画像らしき、らくがきが描かれてあった。
「んふふ……っ。なにこれ、可愛い」
「俺がいない間、分身と仲良くしてくれ」
「……尊2……ミコトゥー」
「ミコトゥーにあまり過激な事をしないように」
尊さんは私の頭を撫で、熱を確かめるために首筋に触れてから耳を摘まんだ。
「何か食いたいもんあるか? アイスとかヨーグルトとかプリンとか」
「……尊さん」
ポソッと冗談を言うと、彼は苦笑いする。
「そいつは体力がある時じゃないと完食できないから、軽い奴で頼む」
「えっちっち」
「俺はドスケベだよ」
ニヤリと笑って答えてから、尊さんはまた私の頭を撫でてきた。
「……じゃあ、帰り朱里の好きそうな冷たいもん、適当に買ってくるよ。もしリクエストあったら、メッセージ入れてくれ」
「はい」
彼はまだ熱で赤い私の顔を見て、心配そうに溜め息をつく。
「早く良くなりますように」
祈るように呟いてから、尊さんはまた私の額にキスをし、今度こそ出勤していった。
「……ミコトゥー、……宜しくね」
私は尊さんのTシャツを着た枕をギュッと抱き締め、彼が描いたらくがきに話しかける。
ちょっと無愛想っぽい表情をしている所とか、まんま尊さんだ。
「んふふ」
胸の奥がほっこりと温かくなった私は、ミコトゥーのいい匂いを嗅いで目を閉じた。
そのあと目を閉じているといつの間にかウトウトしていたらしく、気がつくとカタン、カタンと小さな音が立つのを耳にして目が覚めた。
(町田さんかな?)
モソリと起き上がると、ミコトゥーをポンポンと撫で、スリッパを履いてリビングダイニングに向かう。
「あら、上村さん、起こしてしまいましたか? すみません」
町田さんは掃除をしていたらしく、片手にハンディモップを持ってテレビ台付近を拭いていたところだった。
足元ではお掃除ロボットのルン太が動いていて、私は彼のために道を空ける。
「基本的に寝てるので、あまり眠たくなくて」
「寒くありませんか? 何か上に羽織る物を着ていたほうが……」
「あ、いえ。インフルうつしたら悪いので」
遠慮したけれど、彼女はにこやかに笑って言った。
「リビングダイニング、キッチン合わせて四十畳以上ありますから、そう接近しない限りうつらないと思いますよ。お互いマスクもしていますしね。それにお一人じゃ心細いでしょうし、話し相手がほしくありませんか? 私なら問題ありませんので、何か上に羽織ってお座りください」
町田さんに言われ、私は「ありがとうございます」とお礼を言って一度部屋に戻り、尊さんから借りた紺色のカーディガンを着てリビングに戻った。
戻る頃には町田さんが気を利かせたのか、テレビがついて朝の情報番組が流れていた。
「速水さん、とても心配されていたので、具合が悪いと思ったら無理せず寝てくださいね」
「はい」
ソファに体育座りをした私は、町田さんの働きぶりを眺めつつ尋ねた。
「尊さんとはどれぐらいのお付き合いなんですか?」
「速水さんが一人暮らしを始められたのが十八歳の時で、当時は自炊されていたみたいです。ですが『忙しくなるから』と仰って、速水さんが二十歳の時に働かせていただくようになりました。なので、もう十二年でしょうか」
「はぁ……、そんな早い時期から」
「当時は今ほど気軽にお話する関係ではなく、指定された時間にご自宅に向かって、掃除をし、作り置きのおかずを作って、すべき事を終えたら帰る感じでした」
そっか、まだ当時は殺伐としていたし、家政婦さんと仲良く話す心の余裕がなかったのかもしれない。
「社会人になられてからはさらにご多忙になり、体を痛めつけるような働き方をされていて、お酒ばかり飲んでご飯をあまり食べず……と心配になる時期もありました」
恐らくそれが宮本さんを失った時期なのかな、と思うと、チクンと胸が痛んだ。
「ですが少しずつ穏やかに生活されるようになっていきました。……落ち着いた……というよりは、諦めた雰囲気がありましたが、一介の家政婦が口を出せる立場ではありませんので、やはり何も言えず……」
町田さんは少し悲しそうに微笑む。
四十代半ばの彼女は普通の中年女性で、ショートヘアに細身の体をしていて、動きやすいようにトレーナーとジーンズという姿だ。
こうやって見ると、一人暮らしの息子の家で家事をする普通の母親に見える。
(でもさゆりさんはもういないし、怜香さんに〝母〟を求めてはいけない)
私は『尊さんは世間の人がいう〝母親〟像をあまり理解していないのでは』と思う事が時々あった。
けれど彼が町田さんを十二年も継続して雇っていた事を思うと、きっと彼女は尊さんが求める〝何か〟を満たしていたんじゃないかと感じた。
その時、町田さんが私を見て、優しく笑いかけてきた。
「つい最近ですよ。速水さんがガラッと変わったのって」
それを聞き、ドキッと胸が高鳴る。
「二十代の女性が好きそうな料理を尋ねてきたり、写真映えしそうな物は作れるか尋ねてみたり、すぐに『恋をされてるんだ』と分かりました。そのうち、照れくさそうに『恋人を家に上げるようになるかもしれない』と言われて、私、自宅で一人で祝杯を挙げてしまいました」
町田さんが本当に嬉しそうに言うものだから、私は照れて真っ赤になってしまった。
「それで、やっと上村さんにお会いできたもので、年末は嬉しくて嬉しくて……。つい初詣で『速水さんと上村さんが幸せになれますように』ってお祈りしてしまいました」
「ありがとうございます……」
私たち二人の仲を、ここまで祝福してくれる第三者を初めて見たような気がして、つい照れてしまう。
「今までの速水さんの無関心な目を知っているだけに、上村さんを見る速水さんの優しい目を見たら……!」
そこまで言い、町田さんは「きゃーっ」と華やいだ声を上げて両手を合わせる。
乙女だ……!
「ほ、本当ですか? う、嬉しいな……」
髪を弄りつつ照れると、町田さんは私を見て「可愛い……」とニヤニヤする。
「ですからもう、私は第二のおかんの気持ちになってお二人を見守っているんですよ」
「こ、これからも宜しくお願いいたします……」
頭を下げると、町田さんは「あらやだ、お喋りしすぎましたね」と、ごまかし笑いをしてまた手を動かし始める。
「……そうだ、一つ質問してもいいですか?」
仕事を再開したのに申し訳ないけど、一つだけ確認しておきたい事があった。
「はい?」
「尊さんって、この家に女性を上げた事はありますか?」
「ありませんね」
町田さんは即答し、私はその答えの速さに少し驚きながらも、頼もしい返答に喜んでしまった。
「厳密に言えば私が出入りしていますが、あとは身内の方もご友人も、私が知る限り誰も上がった事はないと思います」
「そうなんですか……」
てっきり怜香さんや、ちえりさんとかなら上がってるのかと思いきや、かなり徹底しているらしい。
嬉しくなった私はデレデレして黙ってしまった。
その時、スマホがピコンと鳴ってメッセージが入った事を知らせる。
アプリを開いた私は、ちょっと失念しつつあった名前を目にして瞠目した。
「……春日さん」
風磨さんのかつてのお見合い相手、三ノ宮グループの令嬢、三ノ宮春日さんから連絡が入っていた。