部長と私の秘め事
「普通に生きていたら遭遇しないだろう事が多々。……でもお互い支え合っていきたいと思っています。……どっちかというと、一方的に支えられている気がしますけど」

 苦笑いすると、綾子さんは私を少しの間見つめ、息を吐いた。

「でも本当に上村さんが生きていてくれて良かったわ。私もとてもつらい思いをして、何度も『死にたい』って思った。けど、悔しい目に遭ったら『絶対幸せになって見返してやる』って思った。現在、幸せになれてるかはさておき、負けて死んだら私を嗤っていた奴が『牧原死んだんだって』『へー、ウケる』って言って終わりにするから。それじゃあ悔しい。私の命はそんなに軽くない」

 テーブルの上の空間を見つめて言った綾子さんは、溜め息をついてから笑う。

「上村さんは、これから僻まれて色々言われると思う。でも私たちは味方だから安心して。他部署にも友達がいるけど、変な噂を聞いたら黙らせておくわ。私、目上の方々とは仲がいいの」

 綾子さんは、にっこりと凄みのある笑みを浮かべる。

「い、いや、お手柔らかに……」

 両手で「どうどう」と落ち着かせつつ言うと、恵がスパッと質問した。

「今回、誘ってきた当初、朱里から部長と恋人関係にあるって聞いたら、どう言うつもりだったんですか? 違った場合はどうするつもりだったのか気になります」

 言われて、綾子さんは曖昧に笑った。

「二人が恋人だったなら『そうか』って納得して部長の事は諦めるつもりでいたわ。なんの関係もなかったら真剣にアプローチしたいと思ったけど……、でもいま二人に言われて考えを変えた。もう少しまじめに龍一と向き合って、本音でなんでも言い合えるよう努力してみる。今までは『捨てられたら嫌だから』と思って言う事を聞いていたけど、夫婦になるなら言いたい事をきちんと伝えないと。頑張ってみるわね。気づきをありがとう」

「どういたしまして」

 彼女が一歩前に進むお手伝いができたなら何よりだ。

 その時、恵のスマホがピコンと鳴った。

 私たちは特に気にせず食事を続けていたけれど、恵がちょっと気まずそうに挙手する。

「なに? 中村さん」

 綾子さんが目を瞬かせると、恵は溜め息をついてから告白した。

「すみません。私、最初、朱里がいびられるのかと思っていたんです。だから何かあったら部長に報告できるように、スマホを通話状態にしていました」

「恵……」

 私は大きな溜め息をつく。

「……気持ちはありがたいけど、そこまでする事ないよ……。恵は心配してくれただけで、悪気はなかったんです。皆さん、不快な思いをさせてしまってすみません」

 私は恵の代わりに頭を下げたけれど、綾子さんは特に怒らなかった。

「ちょっと驚いたけど、先に怯えさせたのはこっちだから、仕方ないわ。次からもしも似たような行動を起こす時、勘違いさせないようにするわね。まぁ、実際、上村さんをいじめたつもりはないから、部長に知られても特に問題ないけど。……私の事情を知られたのはちょっと恥ずかしいけどね」

 そう言って許してくれる綾子さんは、とても大人だと思った。

「それで、部長が『お詫びに参加しても構わないか』って言ってます。『全員分奢る』とも」

 恵が言い、綾子さんたちは顔を見合わせたあと「ぜひ!」と頷いた。

 ほどなくして、少し気まずそうに尊さんが登場した。

「……なんか、悪い」

「部長~! いらっしゃいませ~!」

 尊さんを諦めて龍一さんに向き合うと決めても、やっぱり綾子さんたちは尊さんのファンらしい。

 彼女たちは一気に華やぎ、ワントーン高い声で歓迎する。

 尊さんは私の隣に座り、再度「すまん」と頭を下げた。

「牧原さん達の事を疑っていた訳じゃないが、憶測を生む異動だったのは事実だから、ネガティブな反応があるものと思っていた。で、急に飯に誘われたと聞いて心配になって、つい中村さんに頼んでしまったんだ」

 尊さんはそう言ったけれど、恵は「え」と声を出してから「違います」とハッキリ否定する。

「綾子さんたちの誘いがあったあと、私から部長に申し出たんです。私だって朱里が大切ですから。変なところで庇わなくていいですよ」

 恵に本当の事を言われ、尊さんは再度「すまん」と彼女に謝った。

 綾子さんたちはそんな私たちの様子を見ていたけれど、ニコッと笑う。

「部長、よっぽど上村さんの事が大切なんですね。今までそういう素振りを見せなかったので、全然気づきませんでした」

 そう言われ、尊さんは少し照れた表情をしたけれど、キッパリ言う。

「婚約者だし、とても大切にしている」

 普段の速水部長からは想像できないセリフを聞き、綾子さんたちは両手で顔を覆ってもんどり打っている。

「……っ、ふ、普段恋愛系の話をしない方がそういう事を言うと、威力ありますね……っ」

 綾子さんは赤面してハァハァし、瑠美さんも美智香さんも照れまくっている。

 かくいう私はニヤついてしまいそうになるのを必死に堪え、菩薩みたいなアルカイックスマイルを浮かべていた。
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