部長と私の秘め事
「……あの時、すげぇムシャクシャしてた。酒を飲んで忘れようと思って、行きつけのバーに向かったらお前がいて、ちょっと怒りが冷めた。人間って自分より正体失ってる奴を見ると、冷静になるもんだな」
「え、ちょっと酷い」
ボソッと突っ込むと尊さんは小さく笑い、溜め息混じりに言った。
「前日、母親の命日だったんだよ」
それを聞き、私はハッとなった。
彼が篠宮家で暮らすようになったのは、十歳の冬からだ。
だとすれば、彼のお母さんが亡くなった時期も冬近くだと考えていいだろう。
十二月といえば自分の誕生日、クリスマス、年末年始ぐらいしか認識がなくて、そこまで考えられなかった。
(今だって、尊さんにとっては一番つらい季節なんだ。二十二年前、本当はお母さんと過ごすクリスマスを、楽しみにしていたかもしれないのに……)
そう思うと、胸の奥がズキンと痛くなった。
(何やってるんだろ。誕生日にフラれたとか、そんな事どうでもいい。尊さんは大切な家族を喪っていたのに……)
私が昭人の愚痴を言っていた時、尊さんは黙って話を聞いてくれていた。
そして私を励まし、自分を愛するよう迫ってくれた。
その優しさと「愛してもらえている」という悦びの中に、気づかなければならない事があったはずなのに……。
(もっと早くに気づくべきだった)
無言で落ち込んでいると、尊さんはさらにポンポンと頭を撫でてくる。
「またゴチャゴチャ考えてるな。お前は被害者なんだから、余計な事を考えなくていい」
「っ被害者とか言わないでください! 確かに強引だったかもしれないけど、私は受け入れていました。あれが犯罪だったみたいな言い方をしないでください」
尊さんを睨むと、彼は私を見て苦笑いし、遠い目で言った。
「……あの女、傷口に塩を塗るのが大好きなんだ。命日に墓参りに行って、家に帰ったらあの女がいた。
『こんな時間まで出歩いて、女遊びでもしてるの?』と言われたから、母の命日だったと伝えた。……あの女は母の命日を誰より知っているはずなのにな」
そう言って彼は「ハッ」と嘲笑する。
「そしたらこう言われた。『いい歳して独り身で、決まった恋人もいない。このまま結婚もできずに子供もできなかったら、篠宮家の恥さらしだ』。…………『でもあなたの子供なんて、生まれないほうが世の中のためだから、丁度いい』とも言われた」
「なにそれ!」
私は大声を上げ、ジャケットをはね除けて立ちあがった。
「……っ信じられない……っ」
私は自分が下着姿なのも忘れ、目を見開いてワナワナと唇を震わせ、拳を握る。
「どうしてそんな事を言う権利があるんですか? そりゃ、夫が浮気した相手も、その子供も憎いかもしれないけど……! そんな……っ、――――そんな事、人間が言ったら駄目な言葉です!」
私は絞り出すように言い、ボロボロと涙を零した。
「うぅー……」
尊さんは泣き始めた私を見て苦笑いし、立ちあがる。
そして私を抱き締め、背中をさすった。
「悪かった。泣かせるつもりはなかった」
「ちが……っ、私が聞きたがったから……っ」
私は涙声で言い、ブンブンと首を横に振る。
尊さんは私の顔を覗き込み、指で涙を拭ってから、チュッと私にキスをしてきた。
「……こうなると思っていたから、今まで謝りたくても言えずにいた」
「全部言ってください! あなたが面倒な男だって事、とっくに分かってるんです。今さら私に遠慮しないでください……っ」
泣きながら訴えると、彼は切なげに笑って「そうだな」と頷いた。
「……だから俺は、ムシャクシャして朱里に当たっちまった。『女ぐらい抱ける。悦ばせられる』と思って、お前を強引に抱いた」
後悔に満ちた声を聞き、もっと悲しくなる。
「……あれは、私にとって尊さんとのきっかけだったんです。結婚するのにきっかけなんてどうでもいいって言ったの、あなたじゃないですか。そりゃ最初は尊さんの事が嫌いだったけど、結局は好きになったし、あなたと結婚したいと思うようになった。~~~~っ、あなたが、私たちの出会いを否定しないで……っ」
彼に抱きついて嗚咽し始めると、尊さんは私を抱き締め、また背中をさすった。
「悪かった。……そうだよな。あれは俺たちの出会いだった」
尊さんはメソメソと泣く私を、黙ってあやしてくれる。
落ち着いたあと、私はジャケットから香る彼の香りに包まれながらボソッと言った。
「これからも、ムシャクシャしたら抱いてくださいよ。パートナーの役目だと思ってますから」
「アホか。恋人同士だろうが、怒りに任せたセックスを許容したら駄目だ。お前は俺の大切な女なんだから、そんな事を言わないでくれ」
言ってから、尊さんは溜め息をつく。
「……だから、付き合うようになってお前を大切に想うたびに、どんどん言い出せなくなっていったんだ。三十二歳にもなって自分の感情を制御できず、部下に当たった。……最低だ」
彼の横顔を見て、私は唇を引き結ぶ。
尊さんほど理不尽な目に遭っている人はいない。
〝普通〟に生きてこられなかった彼は、怜香さんに踏みつけられる人生から脱却して、私と結婚し、幸せになると決意した。
でも否定され続けた彼の価値観が、すぐに普通の人のようになる訳がない。
彼は期待したら裏切られると教え込まれたけれど、今、私に期待してくれている。
尊さんは何度も間違えて手ひどい結果を迎え、それでも幸せになりたいと足掻いている。
私だって未熟だし、三十二歳で部長職の尊さんだって、人生百年を思えばまだ小僧だ。
――私たちは、これからも何度だって間違える。
でもそのたびに、厳しい罰を設けなくたっていい。
間違えたら正解を知って、何回だってやり直していけばいいんだから。
彼を罰していい存在なんていやしない。
もし尊さんに「生きている事そのものが罪」なんて言う人がいたら、私がぶっ飛ばしてやる。たとえそれが、怜香さんであっても。
私は傷付いた彼を見て、バッと両腕を広げた。
「……なんだよ。ハグ?」
私はいぶかしむ尊さんに笑いかけ、ギュッと彼を抱き締めた。
「許します!」
言ってから少し顔を離すと、彼は目を丸くして驚いていた。
「私は尊さんを許します! あなたが申し訳なく思った相手は私。その私が『許す』と言っているんだから、これ以上悩む必要はありません」
「……でも……」
「悪いと思うなら、今度お肉とお寿司、スイーツをご馳走してください。それで完璧にチャラ!」
彼は少しの間ポカンとしていたけれど、屈託なく笑い始めた。
「……っ、お前……、最高だな! やっぱ好きだわ」
いつも皮肉っぽい笑い方しかしない尊さんが、心の底から笑ってる。
勝った!
彼を捕らえているドロドロとしたしらがみ、過去に、とりあえず一勝した。
尊さんを笑わせられた事が、こんなにも嬉しい。
私は偉業を成し遂げた気になり、めちゃくちゃどや顔をした。
「え、ちょっと酷い」
ボソッと突っ込むと尊さんは小さく笑い、溜め息混じりに言った。
「前日、母親の命日だったんだよ」
それを聞き、私はハッとなった。
彼が篠宮家で暮らすようになったのは、十歳の冬からだ。
だとすれば、彼のお母さんが亡くなった時期も冬近くだと考えていいだろう。
十二月といえば自分の誕生日、クリスマス、年末年始ぐらいしか認識がなくて、そこまで考えられなかった。
(今だって、尊さんにとっては一番つらい季節なんだ。二十二年前、本当はお母さんと過ごすクリスマスを、楽しみにしていたかもしれないのに……)
そう思うと、胸の奥がズキンと痛くなった。
(何やってるんだろ。誕生日にフラれたとか、そんな事どうでもいい。尊さんは大切な家族を喪っていたのに……)
私が昭人の愚痴を言っていた時、尊さんは黙って話を聞いてくれていた。
そして私を励まし、自分を愛するよう迫ってくれた。
その優しさと「愛してもらえている」という悦びの中に、気づかなければならない事があったはずなのに……。
(もっと早くに気づくべきだった)
無言で落ち込んでいると、尊さんはさらにポンポンと頭を撫でてくる。
「またゴチャゴチャ考えてるな。お前は被害者なんだから、余計な事を考えなくていい」
「っ被害者とか言わないでください! 確かに強引だったかもしれないけど、私は受け入れていました。あれが犯罪だったみたいな言い方をしないでください」
尊さんを睨むと、彼は私を見て苦笑いし、遠い目で言った。
「……あの女、傷口に塩を塗るのが大好きなんだ。命日に墓参りに行って、家に帰ったらあの女がいた。
『こんな時間まで出歩いて、女遊びでもしてるの?』と言われたから、母の命日だったと伝えた。……あの女は母の命日を誰より知っているはずなのにな」
そう言って彼は「ハッ」と嘲笑する。
「そしたらこう言われた。『いい歳して独り身で、決まった恋人もいない。このまま結婚もできずに子供もできなかったら、篠宮家の恥さらしだ』。…………『でもあなたの子供なんて、生まれないほうが世の中のためだから、丁度いい』とも言われた」
「なにそれ!」
私は大声を上げ、ジャケットをはね除けて立ちあがった。
「……っ信じられない……っ」
私は自分が下着姿なのも忘れ、目を見開いてワナワナと唇を震わせ、拳を握る。
「どうしてそんな事を言う権利があるんですか? そりゃ、夫が浮気した相手も、その子供も憎いかもしれないけど……! そんな……っ、――――そんな事、人間が言ったら駄目な言葉です!」
私は絞り出すように言い、ボロボロと涙を零した。
「うぅー……」
尊さんは泣き始めた私を見て苦笑いし、立ちあがる。
そして私を抱き締め、背中をさすった。
「悪かった。泣かせるつもりはなかった」
「ちが……っ、私が聞きたがったから……っ」
私は涙声で言い、ブンブンと首を横に振る。
尊さんは私の顔を覗き込み、指で涙を拭ってから、チュッと私にキスをしてきた。
「……こうなると思っていたから、今まで謝りたくても言えずにいた」
「全部言ってください! あなたが面倒な男だって事、とっくに分かってるんです。今さら私に遠慮しないでください……っ」
泣きながら訴えると、彼は切なげに笑って「そうだな」と頷いた。
「……だから俺は、ムシャクシャして朱里に当たっちまった。『女ぐらい抱ける。悦ばせられる』と思って、お前を強引に抱いた」
後悔に満ちた声を聞き、もっと悲しくなる。
「……あれは、私にとって尊さんとのきっかけだったんです。結婚するのにきっかけなんてどうでもいいって言ったの、あなたじゃないですか。そりゃ最初は尊さんの事が嫌いだったけど、結局は好きになったし、あなたと結婚したいと思うようになった。~~~~っ、あなたが、私たちの出会いを否定しないで……っ」
彼に抱きついて嗚咽し始めると、尊さんは私を抱き締め、また背中をさすった。
「悪かった。……そうだよな。あれは俺たちの出会いだった」
尊さんはメソメソと泣く私を、黙ってあやしてくれる。
落ち着いたあと、私はジャケットから香る彼の香りに包まれながらボソッと言った。
「これからも、ムシャクシャしたら抱いてくださいよ。パートナーの役目だと思ってますから」
「アホか。恋人同士だろうが、怒りに任せたセックスを許容したら駄目だ。お前は俺の大切な女なんだから、そんな事を言わないでくれ」
言ってから、尊さんは溜め息をつく。
「……だから、付き合うようになってお前を大切に想うたびに、どんどん言い出せなくなっていったんだ。三十二歳にもなって自分の感情を制御できず、部下に当たった。……最低だ」
彼の横顔を見て、私は唇を引き結ぶ。
尊さんほど理不尽な目に遭っている人はいない。
〝普通〟に生きてこられなかった彼は、怜香さんに踏みつけられる人生から脱却して、私と結婚し、幸せになると決意した。
でも否定され続けた彼の価値観が、すぐに普通の人のようになる訳がない。
彼は期待したら裏切られると教え込まれたけれど、今、私に期待してくれている。
尊さんは何度も間違えて手ひどい結果を迎え、それでも幸せになりたいと足掻いている。
私だって未熟だし、三十二歳で部長職の尊さんだって、人生百年を思えばまだ小僧だ。
――私たちは、これからも何度だって間違える。
でもそのたびに、厳しい罰を設けなくたっていい。
間違えたら正解を知って、何回だってやり直していけばいいんだから。
彼を罰していい存在なんていやしない。
もし尊さんに「生きている事そのものが罪」なんて言う人がいたら、私がぶっ飛ばしてやる。たとえそれが、怜香さんであっても。
私は傷付いた彼を見て、バッと両腕を広げた。
「……なんだよ。ハグ?」
私はいぶかしむ尊さんに笑いかけ、ギュッと彼を抱き締めた。
「許します!」
言ってから少し顔を離すと、彼は目を丸くして驚いていた。
「私は尊さんを許します! あなたが申し訳なく思った相手は私。その私が『許す』と言っているんだから、これ以上悩む必要はありません」
「……でも……」
「悪いと思うなら、今度お肉とお寿司、スイーツをご馳走してください。それで完璧にチャラ!」
彼は少しの間ポカンとしていたけれど、屈託なく笑い始めた。
「……っ、お前……、最高だな! やっぱ好きだわ」
いつも皮肉っぽい笑い方しかしない尊さんが、心の底から笑ってる。
勝った!
彼を捕らえているドロドロとしたしらがみ、過去に、とりあえず一勝した。
尊さんを笑わせられた事が、こんなにも嬉しい。
私は偉業を成し遂げた気になり、めちゃくちゃどや顔をした。