部長と私の秘め事
「ありがとうございます」

 自分でもあざといと思うが、俺は感じよくニコッと笑う。

「こちら、どうぞ召し上がってください」

 そう言って、俺は菓子折を差しだす。

「あら~! ありがとうございます! 気が利く男はいい男よ」

 彼女はそう言ったあと、「ちょっとお話しましょうか」と外を指さした。

 緊張しながら廊下に出ると、佳苗さんは溜め息をついてから微笑み、頭を下げた。

「今回は娘が危ないところを助けてくださり、ありがとうございます」

「い、いえ! ……僕は彼女の危機に間に合いませんでした。お礼を言われる筋合いはありません」

「でも、三日月さんがいらっしゃらなかったら、恵は酷いトラウマを抱えて、今日も出勤して、平気なふりをしていたかもしれません。……あの子、割とあけすけに言うようでいて、肝心なところでは我慢してしまうタイプですから」

 まさにその通りな事を言われて黙ると、佳苗さんは微笑んで続ける。

「今日朱里ちゃんと一緒に会社を休んで、三日月さんのお宅でゆっくり過ごすように言ってくださったのも、あなたの判断なんですよね? 今あの子が親友と安全な場所でゆっくりできているなら、親としてお礼を言わなければなりません」

「……友人が発案し、僕が場所を提供しました」

 俺は曖昧に微笑み、自分の手柄だけではないと伝える。

 本当は何もできなかったという無力感、悔しさのほうが強いのに、佳苗さんにそう言われてしまっては反論できなくなる。

「きっと三日月さんは、私や恵が思っている以上に自分を責めているでしょう。それで十分なんですよ。事件が起こる前に察知して止めるなんて、スーパーマンみたいな事は誰にもできないんですから」

「……ありがとうございます」

 お礼を言うと、彼女はニコッと笑った。

「……あっ、すみません。遅れましたが、僕はこういう者です」

 名刺を渡していない事を思いだして慌てて差しだすと、彼女は「あら私も」と自分の名刺をくれた。

 そのあと、佳苗さんは俺の名刺を見て「あらあらあらあら……、まぁぁ……」と声を上げる。

 それから俺をしげしげと見たあと、屈託なく笑った。

「恵ったら凄いわね。こんな極上の御曹司を射止めるなんて。……三日月さん、正直に言って、あの子のどこが良かったです? 母のイチオシは塩対応なんですけど」

 ヒソヒソと言われ、俺はつい笑う。

「まさにその塩対応にやられました。……ご想像の通り、女性から好かれやすい見た目、立場ではあるのですが、まったく目もくれない恵さんを見て、グラッときてしまいまして」

「あの子、変わってるのよ。普通の女性が喜ぶような事には興味を持たないの。『服を買う』って言って出かけたら、アウトドアショップに行って防寒具を買って、冬のソロキャンの装備を整えているのよ。……モデルの母としては、もうちょっとお洒落に目覚めてほしいんだけど……」

「そういう所が魅力的で堪りません。僕もアウトドア大好きでして、国内海外問わずあちこち行っています。海外ではバックパッカーの経験もあって、なかなかサバイバルには自信がありますよ」

「あらやだ素敵。今度みんなでキャンプしたいわね。うちの愚息共も集めて、三日月さんの爪の垢を飲ませたいわ」

「はは、そんな……」

 佳苗さんと話していると、いつの間にか緊張がとれていた。

 話していると、彼女は器の大きな人に思える。

 ちょっとやそっとの事では動じず、娘が事件に巻き込まれたと知っても落ち着いている。

 本当はいてもたってもいられないだろうが、まず恩人であり、恵ちゃんの恋人と名乗った俺にきちんと対応しなくてはと、気丈に振る舞っているのだろう。

「恵さんは今僕の家にいるのですが、朱里さんと家政婦さんと一緒です。今朝一緒に食事をした時も、かなり落ち着きを取り戻しているように思えましたので、ご安心ください」

「ご丁寧にありがとうございます」

 佳苗さんは微笑み、少し遠慮がちに尋ねてきた。

「……娘が心配なのですが、本当にこのあと三日月さんのお宅に伺っても宜しいんですか?」

「勿論です。僕はまだ仕事があるので同行できないのですが、秘書の上条に案内させます。家主が不在で落ち着かないかと思いますが、今後は恵さんの住まいにもなる所ですので、どうか寛いでください」

「ありがとうございます」

 チラッと腕時計を見ると、そろそろ会社に戻らないといけない時間だ。

「すみません、次の予定がありますので……」

「ええ、ご多忙な中、丁寧なご挨拶をありがとうございます。また、夜にゆっくりお話しましょう」

「失礼いたします」

 俺は佳苗さんに一礼したあと、上条に今後の予定を軽く確認し、また車に乗って会社に戻った。



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