部長と私の秘め事

一月六日、過去に決着をつける

「社会的に見れば、褒められた行動ではなかったと思います。浮気相手との間に子供ができたなんて聞けば、ほとんどの人は眉をひそめるでしょう。でも亘さんの行動を否定すれば、尊さんの存在を否定する事になります。私は亘さんの選択を『仕方がなかった事』だと思うしかないと感じました。……世の中、仕方ない事って沢山あるんです。社会のルールなんかじゃ縛る事ができない事が沢山……」

 嗚咽しないように我慢していたけれど、声が震えてしまう。

 そんな私の肩を抱き、尊さんが言った。

「俺はずっとあんたが嫌いだった。母との間に無責任に子供を作り、『責任を持つ』と言って金や物だけは貢いだが、夫、父親としての自分は与えなかった。母が死んだあとになって『家族になろう』と言ったかと思いきや……。……あの家で過ごした八年間は、俺にとって地獄そのものだった」

 厳しい表情で言った尊さんの言葉を聞いても、亘さんは何も言わなかった。

 八年という事は、尊さんは十歳から高校卒業までは篠宮家で過ごしていたんだろう。

「……だが『あんたと〝家族〟にならなければ良かった』とは言わない。環境が恵まれていた事には感謝しているからだ。学費の掛かる大学に行かせてもらえたし、金の作り方も教わった。篠宮ホールディングスに留まるしかなかったとはいえ、そのお陰で朱里と出会えた。……だから、あんたを悪の化身として、すべてを否定するのは違うと思っている」

 こうやって感情的にならず、きちんと物事を考えられる尊さんを、心底尊敬している。

 尊さんは大きな溜め息をついたあと、腕を組んだ。

「あんたが周りの皆に罪悪感を抱いていた事ぐらい、分かっていたよ。あの人がキレた時、あんたは俺の味方はしなかったけど、怒りの矛先が自分に向かうようにしていた。俺の肩を持てば、あの人がさらに怒り狂うと分かっていたからだろう。……あんたは敢えて〝弱い夫〟を貫く事で、周囲とのバランスをとっていた。……そういうやり方をするのは、兄貴と同じだな」

 話題に出され、風磨さんは苦笑いした。

「十歳の俺にだって、自分のせいで篠宮家が混乱した事ぐらいぐらい分かっていたよ。……でもどうしようもなかった。〝父親〟に引き取られた俺は、何も選択できない状態であの家に住むしかなかった。そこでどんな目に遭おうが、起こるべき運命だったと思うしかない」

 そこまで言ったあと、彼は姿勢を正し、まっすぐ父親を見て言った。

「文句を言って運命が変えられるなら、どんだけでも言うよ。だが過去は改ざんできない。俺たちが変えられるのは、これからの出来事だ。俺は幸せになるために、朱里と結婚すると決めた。……今日あの人と決着を付けたら、今後は前向きに過ごしていきたいと思っている」

 そう言った彼は、いつもの皮肉っぽい表情ではなく、とても穏やかな顔をしていた。

 諦めた目ではなく、覚悟を決めた眼差しだ。

「親父は自分の選択が引き起こした結末を、しっかり受け入れてくれ。然るべき償いをしたあと、何度でもやり直していけばいい」

 それから尊さんは、少しだけやるせない顔をした。

「再生の前には破壊が必要だ。篠宮家の全員がリスタートするために、親父も兄貴も痛みを受け入れてくれ」

「尊、お前は一体……」

 風磨さんが弟の抱えているものを知ろうとした時、尊さんが腕時計を見た。

「そろそろだな。今聞かなくてもすぐに分かる」

 彼が立ちあがったので、私たちも席を立った。

 時刻は彼が〝時限爆弾〟を仕掛けた十四時になろうとしていた。





 全員でロビーに出た時、たった今ホテルに入ってきた客が不自然に立ち止まった。

「ん?」と思ってそちらを見ると――、怜香さんが四十代後半の男性と腕を組み、笑顔のまま固まっているところだ。

「えっ」

 思わず声を漏らした私は、ハッとして亘さんを見る。

 彼も驚いて瞠目していたけれど、その表情には覚悟が宿っていた。

 直前まで尊さんが思わせぶりに言っていた事を思いだし、すべてを察したのだろう。

「怜香……」

「ち……っ、違うわ!」

 怜香さんは慌てて男性から距離を取り、亘さんを見て顔を青ざめさせる。

〝時限爆弾〟ってこういう事か……。えげつない。

 尊さんは動揺した怜香さんに微笑みかけ、歩み寄る。

「何も〝違う〟事はありませんよね? あなたは接待だのママ友とランチだの理由をつけて、イケイ食品の社長、伊形啓士(いけいけいじ)さんとホテルで密会していた。期間は……もう十年になりますっけ? 出会いはあなたが四十五歳、伊形社長が三十七歳の時。……そして俺が篠宮ホールディングスに入った時期だ」

 怜香さんは顔を引きつらせ、化け物でも見るような目で尊さんを睨む。

 尊さんは冷ややかな笑みを浮かべたまま続けた。
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