部長と私の秘め事
「…………二十二年前の十一月三十日、母は妹をつれて買い物に行った。金曜日の夕方は、好きな菓子を二つ買っていい日だったな……。……俺は荷物持ちのために同行を頼まれたけど、……面倒で断ってしまったんだ」

 震える声で、彼はポツリポツリと過去を話す。

 私の誕生日の前日に、彼は母と妹を亡くしていた。

 あまりにやりきれなくて、私は涙を流しながら尊さんを抱く腕に力を込めた。

「……でも、『悪いな』って思ってあとから追いかけた。…………そしたら、目の前で」

 尊さんの言葉がふつりと切れ、焦点の合わない目が虚空を見つめる。

「…………母は、とっさに妹を庇った。でも、信じられないぐらい飛ばされて、……すげぇ飛んだんだ。……車が電柱にぶつかって、タイヤが空回りしてゴムが焼ける匂いがした。母も、妹も動かなくて、…………手足が変な方向に曲がってて、全身傷だらけで……」

 尊さんの呼吸が乱れていく。

「……妹の遺体を見てしまった時、大きなショックを受けた。……本当に、惨かった。だから無意識に忘れようとしたんだろうな。篠宮家に引き取られたあとの俺の精神状態も、ろくなもんじゃなかった。心を閉ざしつつも、それだけが生きがいみたいに勉強に打ち込んだ。誰にもぶつけられない怒りと憎しみを常に燃やしていて、父が『いつか自分の武器になる』と言った事を貪欲に吸収していった。その中で、つらい思い出は一時的に薄れていった。……いや、封じたと言っていい」

 彼は私の肩口に顔を埋め、嗚咽に似た息を吐く。

 私は尊さんの心の傷に触れ、眉間にギュッと皺を寄せて涙を流す。

 そして覚悟を決め、本当の彼を知るためにさらに質問した。

「私が商品開発部に配属された時、尊さんは当然私の事をフルネームで認識していたでしょう? どう思いました?」

 尋ねられた彼は、痛々しく笑った。

「……お前の事は〝分かっていた〟はずだったのに……。名前と年齢を履歴書で確認した時、それまで封じていた記憶の蓋が開いた。家族三人の楽しかった思い出が蘇って、……荒れたなぁ……」

 ――やっぱり……。

 私は唇を噛む。

 防衛本能とはいえ、尊さんはつらい思い出を忘れる事によって自分を守っていた。

 なのに私が現れたせいで、彼は地獄のような苦しみを味わう羽目になったんだ。

「……すみません。私のせいで……。…………私なんて、あなたの前に現れなければ良かった……っ」

 言った途端、彼がグッと私の肩を掴んだ。

「そんな事、二度と言うな。お前は俺にとっての唯一無二だ。……絶対言うな」

 傷付いて荒みきっているというのに、尊さんは私を気遣ってくれる。

「…………っはい……」

 彼の優しさを受け取り、私は涙を流しながら頷く。

「……それに、お前を部下にすると決めたのは俺だ。……だから本当にお前が責任を感じる事なんてねぇんだよ」

 尊さんは遠くを見るような目で笑い、小さな声で言った。

 そのあと大きく溜め息をつき、話を戻す。

「……入社してきたお前を見て、『妹が成長したらこんな感じになるのか?』と思った。顔はまったく違うのに妹を思いだして『生きていたら、今頃どこかに入社してたんだろうな』って思った。…………けど同時に、お前の誕生日が十二月一日だと知って、頭の中で何かが壊れちまったんだ。……前日に死んだ妹の魂が、…………お前に宿ってるんじゃ……と思っちまった」

 尊さんは涙を流し、今にも壊れてしまいそうな表情で笑った。

「妹に重ねて見ていたくせに、……〝朱里〟に惹かれていった。……お前が可愛くて、話してると『妹もこんな反応をしたのかな』って思った。……妹みたいに可愛がりたいって思ったくせに、お前を一人の女として見てしまう自分もいて……っ、『妹みたいに思ってるのに、〝抱きたい〟って思うのかよ。気持ち悪ぃな』って自分に嫌悪感を抱いた。……もう〝どっち〟なのか分からなかったんだ! ……たった一つ分かっていたのは、お前を幸せにしたいという気持ち。……それだけだ……」

 彼は傷付いた魂を晒すような声を出したあと、くぐもった声で言った。

「……そんな中、お前が『フラれた』って言ってるのを聞いて、本当に何かがキレた。『元彼が朱里を幸せにできなかったなら、俺がこいつをもらってもいいよな?』って。お前を幸せにできる存在は、俺しかいないと思った。…………あとはお前の知る通りだ。歯止めが利かなくなった俺は、『兄のように見守りたい』と思っていた気持ちより、男としての欲を優先してしまった。……あの女に屈辱的な言葉を浴びせられて、我を忘れちまったのもあり……、ただ一人〝女〟として見ているお前にすべてをぶつけてしまった……っ。――――最低だ……っ」

 ずっと何にも心を動かさなかった尊さんが、私の前ですべてを吐きだし、懺悔している。

 こんな彼を見るのは二回目だ。

 ボロボロになった姿を晒してくれる彼が、こんなにも愛おしい。

 私だけが彼の傷に触れていると思うと、歪んだ喜びを抱いてしまう。

 ――いいよ。全部見せて。

 ――私はすべて受け入れるから。

 私は尊さんに微笑みかけ、彼の頬を両手で包むと、優しくキスをした。

 そして彼の耳元で囁いた。

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