部長と私の秘め事

四年前、六本木で

 四年前に私が篠宮フーズに入社した時には、尊さんはすでに〝部長〟だった。

『二十八歳で部長ってどういう事』と興味を持ったけど、イケメンな上に綺麗どころの先輩たちが狙っていたから、近づかないほうが吉だとすぐに理解した。

 だから彼は、同じ部署に配属された恵と『ちょっと近寄りがたいけど、顔は格好いいね』とたまに噂をする程度の〝遠い人〟だった。

 当時の尊さんは、今よりずっと捉えどころのない人だった。

 今もだけど、仕事のレスポンスが物凄く速くて指示も適切なのに、いっさいの情熱とやる気が感じられない。

 人当たりはいいけど、スンッと黙っている姿を見ると、どこか近づきがたい感じがあった。

 常に何かに対して怒っているような雰囲気があり、『私なら二人きりになったら絶対逃げたくなる』と思っていた。

 入社して一年目の私は、仕事を覚えるのに精一杯な日々を過ごし、あっという間に年末を迎えた。

 四年前、二十三歳になる十二月一日は、日曜日だ。

 誕生日が週末にかかるので、私は昭人と金曜日の夜に待ち合わせをして、お泊まりデートをし、土曜日には恵も加わって一日遊び倒した。

 夜は六本木でご飯を食べてお酒を飲んだあと、二人は別方向に帰り、私は彼らに『バイバイ』を言ったあと地下鉄で帰る事にした。





『ねぇ、アレやばくない?』

 歩いていると、前方から来た女性二人組とすれ違った。

『なんだ?』と思っていると、斜め前方の壁際に男性が座り込み、周りなど気にせずに泣いている。

 ――うわ、やばい奴だ。

 しかもその男性は、ボロボロになった仏花を持っていた。

(……やばい人かもしれないけど、訳アリなのかな。……悲しいから泣いてるんだろうけど、関わらないほうが……)

 そう思いながら通り過ぎようとした時、男性が顔を上げて涙を拭ったのを見て、足を止めてしまった。

(部長だったああああ!!)

 人は物凄いショックを受けた時、つい口が開いてしまうのはどうしてだろう。

 私は目を見開いて口も開けたまま、彼から少し離れたところで立ち止まってしまった。

 でも部長は私に気づかず、周りを気にせず嗚咽している。

 どうやら泥酔しているみたいで、私は自分の上司のそんな姿を見て『うわああ……』とドン引きしてしまった。

(……でも、何かあったのかな。部長に人前で醜態を晒すイメージはない。よっぽどの事があったんだろうか。それに仏花って……)

 私だって父を亡くした時、世界が終わったような感覚に陥った。

 中学一年生のあの時から、私の人生は大きく変わったと言っていい。

 だから、他人にも相応のドラマがあったとしても驚かない。

(このまま他人のフリをして通り過ぎるのは簡単だ。誰にだってできる)

 けど、嘆き悲しんでいる部長を前にして、どうしても無視する事はできなかった。

 私自身、最も絶望していた時に、見知らぬ人に救われた事があったからだ。

 それに優しい父が生きていたなら、知らない人でも声を掛けて話を聞いたに決まっている。

(タクシーに乗せて家に送るぐらいなら)

 そう決めた私は、ゆっくりと部長に近づいた。

 すぐ側にしゃがんでも、彼は私に気づかず嗚咽していた。

『部長、もう十二月になるんですから、風邪ひきますよ』

 あーあ、せっかくの綺麗な顔、グシャグシャにして……。

 私は溜め息をつき、バッグからポケットティッシュを出す。

『ほら、部長。洟拭いて』

 私はティッシュを広げて二つ折りにすると、彼の目元を拭い、高い鼻を摘まむようにして洟を拭く。

 泥酔した人の介抱なんてまっぴら御免だけど、なぜか部長相手だとそれほど抵抗はなかった。イケメンの成せる技か……。

『……悲しい事があったんですか?』

 彼の顔を覗き込んで尋ねると、うつろだった部長の目に微かな光が宿る。

『あかり……』

 そして彼は、震える唇を動かして私の名前を呼び、抱き締めてきた!

(えええええええ!?)

 私は無言で目を見開き、体を硬直させて驚愕する。

『あかり……っ、すまない……っ』

 部長は私を誰かと間違えているようで……、いや、でも私の名前を呼んでいて!?

 とにかく、上司に抱き締められるなんて思ってもみなかったから、何が何だか分からない。
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