部長と私の秘め事

命日、聞かされた真実

 新入社員には朱里と中村さん、もう一人の男性の計三名が選ばれた。

 フロアで挨拶をする朱里の美女っぷりと巨乳具合を見て、男性社員の目の色が変わったのが分かった。女性社員は値踏みするように、ヒソヒソと何か言っている。

 ――こりゃあ、絶対に近づかないほうがいいな。

 自分にはそのつもりはなくても、俺は女性社員に〝イケメン部長〟として狙われている。それに朱里を巻き込む訳にいかない。

 朱里には田村クンがいるし、浮ついた奴らも彼氏がいると知れば落ち着くだろう。

 俺が朱里に部長として挨拶しても、彼女は名古屋での事を思いだしていないようだった。

 あの時は暗かったし〝忍〟と名乗った。

 八年も経ってるし、髪型や髪色も違う奴を同一人物だと思うのは難しいだろう。

 まして〝忍〟が自分の上司となって現れるなんて、想像していないはずだ。

 安心した俺は、部長の速水尊として朱里に接していく事にした。

 一般社員の朱里と話す機会はそう多くなく、仕事で接した時は淡々と対応し、個人的に話しかけるのは控えた。

 むしろ、朱里を前にすると余計な感情が溢れてしまいそうで、わざとムスッとして話しかけられないようにした。

 それで〝怖い上司〟と思ったのか、彼女は俺を避けるようになった。

 少し寂しいがそれでいい。

 そんなふうに日々を過ごしていたが、母とあかりの命日に墓参りへ行った日、それまで小康状態になっていたものが、すべて破壊された。





 その年の母と妹の命日は、土曜日だった。

 俺は起きて調子を整えてから、防音室で二人のためにモーツァルトのレクイエム、ニ短調『ラクリモーサ』を心を込めて弾く。

 毎年十一月三十日の朝は必ずこの曲をオーディオ機器で流し、可能なら自分で弾くのが決まりになっている。

 週末だったので、その日は母やあかりが好きだった曲を一日中弾き続けた。

 墓参りに行ったのは、夕方になってからだ。

『…………どなたですか?』

 青山霊園に赴くと、速水家の墓の前に誰かが立っている。

 墓を訪れるのは、俺や父、ちえり叔母さんなど、限られた人しかいないはずだ。

 なのにこちらを向いたのは、見た事のない中年の女性とその母親らしき高齢の女性だ。

『……もしかしてあなたは、速水さゆりさん、あかりさんのお知り合いですか?』

 悲愴な表情をした中年女性に尋ねられ、俺は本能的に自分に警告を出した。

 ――素直に答えるな。

『親戚です。失礼ですが、あなたは?』

 尋ねると、中年女性は俺に向かって深く頭を下げた。

『速水さゆりさん、あかりさんを轢いてしまった中山(なかやま)(しげる)の娘です』

 母と妹をひき殺した男の名前を聞かされ、ドクンッと胸が嫌な音を立てて鳴った。

『さゆりさんには息子さんがいると伺いましたが、今どちらにいらっしゃるか、ご存じですか?』

『…………遠方に引き取られました』

 俺はとっさに嘘をついた。

 息が震え、うまく呼吸ができない。だが目の前の二人に怪しまれないよう、必死に平常心を装った。

『顔も見たくないでしょうけれど、息子さんにお詫びをしたいのです。いつかお話する機会があったら、どうかお伝えください』

 侘びなんて――。

 俺が何か言いかけた時、中山の妻が涙を流し訴えた。

『夫は子供思いの善良な人なんです。息子が借金を作らなければ、あの人が篠宮怜香という女性の提案を呑んで犯罪を起こす事もなかったんです』

 ――――は?

『…………なん、……ですか? それは……。篠宮…………』

 提案?

 思考が完全にストップした俺の前で、老婦人は続ける。

『面会した時に夫が言ったんです。〝本当はブレーキの踏み間違えではなく、故意にさゆりさんと娘さんを撥ねた〟と。〝息子の借金を肩代わりしてもらう代わりに、篠宮怜香さんという人の頼みを聞いた〟……と。息子のためとはいえ、小さい子まで殺すなんて……っ』

 そう言って、老婦人は泣き崩れた。

『…………頼まれた……とは? ……金は、幾ら積まれたんですか?』

 俺の問いに、中年女性が気まずそうに答える。

『三千万円です。……私の兄が作った借金が一千万円。……残りは私たちが好きに使うように……との事でしたが……』

 ――あの女、金に困ってる老人に目を付けて、母とあかりを殺させたのか!

 ――たった三千万円で!

 ――母とあかりの命は、それっぽっちの価値だったのか!?

『…………っうあぁああああっ!!』

 信じられない事実を知った俺は、とっさに持っていた仏花を地面に叩きつけた。

 バシャッと音がし、母を思って買ったカーネーションが散る。

 女性たちは俺の反応を見て、驚いて固まった。

『くそっ! くそがっ!! ああぁあああああぁあああぁああっ!!』

 俺は彼女たちを無視し、何度も仏花を地面に叩きつけた。

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