想いと共に花と散る
 それを知らされたのは、まだ太陽が顔を出していない夜明け前だった。
 空が白み始めるにはまだ早く、障子の向こうは深い藍色に沈んでいる。
 遠くで鶏が鳴いた気がしたが、それも本当かどうか分からないほど静かな朝だった。
 その静けさを破ったのは、控えめな足音。

「土方歳三殿は、こちらにおられるか」

 戸口に立つ男は、旅装のまま背を正していた。息も乱れていない。
 急いできた様子はなく、ただ“役目を果たしに来た”という顔をしている。

「は、はい。今お呼びします」

 戸惑いつつも、雪は部屋で文机に向かう土方を呼び出す。
 少しして部屋から出て男の前に立った土方は、怪訝な表情を浮かべた。

「……何の用だ」

 男は土方に向かって一礼し、懐から一通の書付を取り出した。
 それを差し出す仕草が、あまりにも丁寧で、あまりにも淡々としていて。
 雪は、胸の奥がひどく嫌な音を立てるのを感じた。

「本日――」

 男は、そこで一度言葉を区切った。
 間を置いたのではない。読み慣れた文をなぞるために、息を吸っただけだ。

「――……午前、板橋刑場にて。近藤勇、斬首」

 その瞬間、世界の音が一斉に遠のいた。
 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
 “本日”、“午前”、“斬首”。言葉ははっきりしているのに、意味だけが頭に入ってこない。
 雪は、ゆっくりと首を動かして土方を見る。土方は、動かなかった。
 書付を受け取るでもなく、拒むでもなく、ただ男を見据えている。
 その目は怒ってもいなければ、悲しんでもいなかった。
 男は一瞬だけ、居心地が悪そうに視線を逸らす。

「……以上が、正式な通達です」

 それだけ言って、男は踵を返した。
 使命は果たした。もうここに用はないと言わんばかりに。
 戸が閉まる音が、やけに大きく響いた。
 男の背が完全に見えなくなって、雪はようやく息を吸った。

「……土方、さん?」

 声が、自分のものとは思えないほど震えていた。
 土方は、ようやく視線を落とした。
 向けられた瞳に光はない。彼の瞳には雪すらも映ってはいなかった。

「準備しろ」

 長い間を開けて発された言葉は、それだけだった。
 急げとも、間に合うとも、希望を抱かせるようなことは何も言わない。
 けれど、その一言に込められた意味を雪は痛いほど理解してしまった。
 本日。午前。
 もう、時間は残されていなかった。
< 395 / 492 >

この作品をシェア

pagetop