記憶喪失令嬢と仮面公爵
一話
「悪魔の子よ!悪魔の子!」

ハリージュ伯爵家の長女であるクラリスは継母マリアから罵られる日々に飽き飽きしていた。
自分と血の繋がりのある妹ユリアは非常に可愛がるのに、血の繋がらない前妻の娘であるクラリスには全く興味がないどころか、日々の鬱憤をぶつける。
しかし、クラリスは妹のユリアとは違い、非常に頭が良く、要領がいい。
言われたことは直ぐに覚え、何でもこなしてしまうのだ。
その頭の良さも、マリアの反感を買ったのかもしれない。
ある日、マリアはクラリスに無理難題をもちかけた。
クラリスは冷静に“それは無理”だといった。それがマリアにとって反発と捉えたのだろう、体罰を与えた。
クラリスはこのままでは死んでしまうと思い、やり返してしまったのだ。
持っていた棒を奪い、反撃したのだが、それが屋敷中に広がってしまった。
『あの子は!悪魔の子です!まるで何かに憑依されたようにわたくしに暴力を振るってきました』
マリアだけではなく、傍で笑っていたユリアも同じように突然クラリスが暴力を振るったのだと父親に告げ口した。
マリアたちの発言の方を信じ、クラリスは幽閉されてしまった。
それから時がたち、誰とも会うこともなく、外に出ることもなかったクラリスだったが、18歳の時、突然両親から呼ばれ、何年ぶりに部屋を出ることが出来た。

「突然だが、一か月後にお前を嫁がせることにした」
「…はぁ、どこですか?それは」

久しぶりに見る父親は老けたように見えたが、相変わらず偉そうな態度をしており、その髭を引き抜いてしまいたい衝動に襲われる。

「ファイフ公爵家だ。時期公爵となるクロス・サンロインに嫁ぐことになる。そのため、お前にはある程度の教養を一か月で叩き込んでもらう」
「分かりました」
「お前、読み書きは出来るのか?」
「できます」
「そうか。ならば、今日から一般教養含め、公爵家に嫁ぐために様々なことを勉強しておくように。恥をかかせるなよ」
そう言った父親の隣に座るマリアは口元に手を添え、うふふ、と意味深に笑った。
「まぁ、いつまでいるかわかりませんけどねぇ。一人は死亡、もう二人は一か月で逃げ帰ったと噂のある公爵家に嫁ぐなど…でも、決して戻ってはこないように。あなたの居場所はこの家にはありませんよ。悪魔の子にあるわけなどないでしょう」
それを聞いてクラリスは会得した。
ファイフ公爵について、その名はクラリスでも聞いたことがある。筆頭公爵であり、昔の大戦の際に大いに国に貢献したとされ、それ以降、領地も拡大している。
ファイフ公爵に嫁ぎたい者は大量にいるだろうが、“訳あり”なのだろう。
この情報は流石に大量に積み上げられたあの古い書物には書いてなかった。
クラリスは幽閉されていた身ではあるが、たまたま見つけた古い書蔵庫があり、することもないのでそこでありとあらゆる知識を詰め込んだ。
腕を組み、クラリスを見下ろしているユリアは、勝ち誇ったように口元に笑みを浮かべ、片方の眉を上げ、言った。

「お姉さまの婚約相手は仮面を被っているらしいのよ?知ってた?」
「そうなの」
興味無さそうに返事をされると、ユリアは口をへの字にして不服そうに睨みつける。
「噂では顔が醜いという噂よ」
「心が汚いあなたたちよりマシでは?」
飄飄とそう言ってのけるクラリスに、ユリアはテーブルに置かれてあった紅茶の入ったティーカップを手にしてクラリスの顔めがけて掛けようとした。
しかし、それを父親に制された。

「ファイフ公爵家との婚約はうちにとってもメリットしかないんだ。今、クラリスの顔にやけどの跡でもつけてしまえば、それが取りやめになってしまうかもしれない。今は止めておきなさい」
「……わかりましたわ」
悔しそうに顔を歪めるユリアを無表情で見上げるクラリスは、ようやくこの屋敷から出られるのかとそっちの方に気が向いていた。
とりあえず、暫くは教養を学ぶことから始まり、食事もある程度栄養のあるものを与えられるだろうと思った。
嫁いできた女ががりがりで色白、髪の艶もなく、異常に不健康な見た目をしていたら、これまでの悪事がバレてしまうだろうから。
クラリスの予想通り、部屋も移され、翌日からは食事も普通のものとなった。
とはいっても、家族団欒の場に呼ばれることもなく、使用人以外とは口を開くことはなかった。
だが、クラリスにとってその方が都合がいい。
どうせ会っても嫌がらせを受けるだけだから、だ。
この一か月の間、公爵家に嫁ぐための教養を身に着けることになるが、それだけではユリアたちの鬱憤が溜まるのだろう。
使用人たちと一緒に屋敷の掃除や食事の準備をするように言われたのだ。
この屋敷で働く使用人たちは、それはそれは憐れんだ目でクラリスを見ていたのだが、クラリスは意外と自分に家事スキルがあることを知り、生き生きとして楽しんでいた。
これがのちに、“勘違い”の始まりになるのであった。

今日は、いよいよファイフ公爵家へ嫁ぐ日だ。
今まで着たことのないドレスに身を包み、動く度に足元のシフォン生地が揺れる。
薄紅色のドレスはクラリスの顔色をよく見せている。
首元に光るパールのネックレスを鏡越しに見つめると、何だかいよいよ新たな人生が始まるかと自然に背筋が伸びた。
「分かってるわね?この結婚、絶対に逃げ出すことないように」
「そうよ?お姉さまにお似合いじゃない!醜い時期公爵様のお相手なんて」
「逃げ出しませんよ。ここよりはいい環境でしょうし」
そう言ってのけるクラリスについ怒りの感情が沸点に達し、頬が腫れるほどに叩かれてしまった。
ここ一か月、体力づくりのために筋トレも毎日行っていたのだが、長年の栄養失調、日光不足等が重なり、力強い手のひらは、簡単にクラリスの体を倒してしまった。
「それ以上は辞めておきなさい!おかしな噂が立てば困る」
「…ぶつけたとか適当に言っていきなさい!」
クラリスは地面についた膝を立て、起き上がった。
思いっきり叩かれた為、音がおかしく聞こえる。ジンジンと熱を持つそこに手をやり、クラリスは悪魔のような三人に目をやる。
悪魔悪魔と言われてきたが、お前たちの方が悪魔ではないか、と思った。
そして、そのまま口に出していた。
「な、なんて…、ことをっ…!」
「流石にそれ以上のことをしたら、相手方に不自然に思われるのでは?というか、勘違いしないでください。これから私は最悪死ぬかもしれない公爵邸へ嫁ぎます。私があなたがたのこれまでしてきたことを流布してもいいのですよ?」
「…っ!なんてことを!お前は…っ!これまで育ててやった恩を忘れたのか」
「忘れていないから、こうして黙って嫁に行くと言っているのです。それなのに最後までこういう扱いなのですねぇ。まぁ、いいでしょう。お元気で」
クラリスはそう言って三人を一瞥すると屋敷を出る。
その間、後ろを振り返ることはなかった。

屋敷の前に停まっている馬車に乗り込む。
本来であれば、使用人の一人は嫁ぎ先へも同行するものなのだが、もちろんクラリスにはいない。使用人以下の生活をしてきたからだ。
ファイフ公爵家での生活は一体どんなものになるのだろうか。
クラリスはあの日々の生活に比べれば、どんな生活だって耐えられると思っていた。
マリアたちが速足で馬車の付近まで来る。
お見送りでもしてくれるのかと思ったが、そうではないようだった。
罵詈雑言をここに来ても浴びせている。
馬車が発進した。クラリスは無表情で手を振って見せた。
妹のユリアが下唇を噛み、地団駄を踏んでいる。
はぁ、と小さく声が漏れ出る。

…―…


公爵邸までは、それなりに距離があるようだ。
到着までに約一日かかると聞いている。
そのため、途中の中間地点で宿泊する予定だった。
ボーっと馬車から外の眺めを見ている。揺れと連動して視線も上下しているうちに、クラリスはウトウトと瞼を閉じていた。
目を覚ますと、自然豊かな山奥に来ていた。

「クラリス様、少しここで休憩してから出発します」

辺りを見渡していると、御者の男性がクラリスにそう呼びかける。
どうやら、御者の男も休憩したい様子だった。
クラリスは頷き、馬車から出る。高いヒールはまだ履きなれていない。
澄んだ空気を吸い、ゆっくりと吐いた。
とても気持ちがいい。

「すみません、少し歩いてきますね。すぐに戻ります」
「ええ、わかりました」
クラリスはそう言うと、ドレスの裾を掴みながら、ずんずんと前に進む。
「うわぁ、綺麗…」
ある地点でクラリスは足を止めた。
そこは少し先に川が見える小高い丘だった。
長らく幽閉されていたクラリスにとってこのような綺麗な自然に惹かれるのは当然だった。
大きく背伸びをして、深呼吸をしたとき、不慣れなヒールのせいか、足を滑らせてしまった。
あ、と声を出し、視界がぐるぐると回り、激痛に見舞われた。
それがクラリスにとって最後の記憶となる。
 
目を覚ますと、クラリスの衣服はボロボロで、既に周囲は真っ暗だった。
「…ここは、どこ?私は…―」
全身を殴打したクラリスは軽くパニックに陥るが、すぐに全身を動かすことが出来るかチェックした。
とりあえず、頭から血を流しているなど、致命傷になりうる状況ではないことを確認すると、自分が誰で、ここはどこなのか記憶がなくなった状態ではあるが眠ることにした。
クラリスは、草原の上で寝転がり、瞼を閉じた。
草の匂いを感じながら、目を閉じると直ぐに眠りにつくことが出来た。


ファイフ公爵邸にて
「どういうことだ。まだ見つからないのか」
「…はい、どうも相手方の虚言ではないようでして。なんせ、相手にとってはメリットしかない縁談でございますので」
クロスは深く椅子に腰かけながら、腕を組んだ。
婚約相手であるクラリスが失踪したと聞いて一週間が経過していた。
随時、報告は受けているが、未だ見つかっていないようだ。
当初は、クラリス側のハリージュ伯爵家の虚言だと思っていたのだがどうやらそういうわけではないようだった。
クロスは顔半分を覆ってある仮面をしているため、使用人たちも未だにどういう顔をしているのか見たことがない。
側近であるアルノですら、その素顔を見たのは幼少期のころまでだ。
目元から顔半分を、仮面で隠していることから、周囲からは醜い顔をしているのではないか、顔に傷があるのではないか、と憶測を呼んでいる。
しかし、クロス本人は全く気にしていないようだった。
むしろそれを面白がっている様子だ。
掴みどころがなく、何を考えているのかさっぱりわからない時期公爵であるクロスは、顎に手をやり、窓の外に視線を向ける。
「どうせ逃げ出したんだろう。ここへ来るのは嫌だったんじゃないか」
「そうでしょうね。おそらく見つからないかと思いますが」
「どうする。ハリージュ伯爵には婚約はなかったことにすると伝えるか」
「そうしたいのですが、あちら側はそれはどうしても嫌みたいですね」
ふぅん、と興味なさそうに返事をした。
様々な令嬢が公爵邸にやってきては逃げ出した。
それはクロスの態度のせいだろう。クロス本人に結婚意欲は全くない。
相手を思いやる気持ちもなければ、結婚そのものに興味がない。
クロスの父親は現在病気を患っており、地方の別邸で暮らしている。
そのため、もう時期クロス本人が公爵を継ぐことになることから、結婚を急かされているのだ。
しかし、幼少期に“色々”とあった過去から人を信用しないクロスは、仮面を被るようになった。
そうしているうちに、醜い顔をしている、傷があるなど根も葉もないうわさが流れた。
案の定、ファイフ公爵に嫁ぎたいというものは限られていた。
クロスは心の中でほくそ笑んでいた。
それでもファイフ公爵に嫁ぎたいと申し出るものもいたが、どこも訳ありの令嬢ばかりで中には暗殺を試みるものもいた。
寝室にやってくるや否や、刃物を突き立てクロスを殺そうとしたその令嬢の名も顔ももう覚えていないが、すぐに暗殺に気付き、それを回避したことは覚えている。
殺してやっても良かったが、あまりに怯えたような表情を見せる為、そのまま実家へ帰した。
当時はくだらない派閥やしがらみが多かったことから、このようなことも良くあった。
王家派は特にファイフ公爵家に対して警戒していた部分も多かった。
現在は、何とか均衡を保ってはいるが、それもいつどうなるかはわからない。
「今回の令嬢もどうせ逃げたのだろう。黒い噂が多いこの家に来るのは誰だって嫌だろう」
「どれも事実ではございませんが」
「いや、俺にとってはその方が都合がいい。どうせ“目に見えるもの”だけで判断し、近づいてくる愚かな者しか寄ってこないのだから」
不敵に口角を上げ窓の外に目をやりながら、そう言った。
だが、クロスは「何だ、あれは」と窓に近づき、外の様子を伺う。
それを見て、アルノも同様に窓に近づき、遠くに目をやる。
使用人数人が人を運んでいる光景が飛び込んでくる。
「なんだ、あれは」
「急病人でしょうか。少し様子を見てきます」
「俺も行く」
たまたま時間があったクロスは、この場にいるようにと制するアルノを無視して執務室を出た。
カツカツと革靴の音が響く中、外からざわつく声が聞こえた。
中央中庭に出ると、「意識はあるのかしら」「ないのよ。酷い栄養失調よ」「どうしましょう」と声が飛び交う。
「どうしたんだ」
クロスの声に反応するように立ち往生する数人の使用人が顔を上げ、お互いに目を合わせる。その表情には、狼狽の色が浮かぶ。
「実は、敷地内にこの女性が倒れておりまして。意識がないのです」
1人がそう報告した。
顔色の悪いその少女は薄着のワンピースを着ており、手足は棒のように細かった。
使用人に見守られるように中心に寝かされている。
「どうしましょう。息はありますが…」
クロスは腕を組み、その少女を見下ろす。
使用人たちは、クロスの表情が仮面のせいで全く読めないことから(口元しか見えていない)両手を合わせ、狼狽えていた。
そもそもクロスに許可なく、ここへ運ぶことも本来であれば褒められた行いではないのだ。
「ここで見殺しにするのは流石に違うだろう。医者を呼んでくれ。すぐに治療を」
「わ、わかりました!」
使用人たちの顔色が明るくなった。
直ぐに医師を呼び、治療をすることになった。
端的に言うと、その少女は栄養失調により倒れていたようだった。
加えて、短期間での脱水症状ということだった。
医師は寝台に寝かされる少女を見ながら言った。
「しかし、元々栄養失調気味のようですね。倒れたのは脱水症状によるものでしょう。これはしっかり休養をとり、栄養のあるものを食べれば次第に回復するはずです。ただ気になることがありまして…」
白髭を生やした、ファイフ公爵専属の医師である男は首を捻る。
「背中や腹、足にもですが、傷があります。これは相当昔の傷でしょうが…」
語尾を濁してそう伝えた医師に、クロスは深く息を吐いて宙に視線をやる。
「なるほど。“訳あり”というわけか」
「まぁ、そういうことでしょう。どこかで使用人として酷い扱を受けていたのかもしれませんね」
「……」
医師はそう言うと、腰を上げ「それでは」と言って部屋を出ていった。
使用人たちの使用している部屋の一つを倒れていた少女の療養のために使っている。
目覚めたときに、聞きだせばいいと思った。
赤みを帯びたブラウンの髪はとても状態がいいものではない。
長期間の栄養失調は本当なのだろうと思った。
この少女を今度どうするかは彼女が目覚めてから決める、そう側近であるアルノにも伝えた。
だが、状況は周囲の予想に反するものとなる。
その少女は、目覚めてすぐに言った。
「ここはどこ?」
クロスだけではない、その場にいた全員が顔を見合わせ、口をあんぐりとさせた。
まさかこの少女が、クロスの婚約者としてやってくるはずだったクラリスだと誰も思わなかった。




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