幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

第55章 『祐真の最後——孤独の自覚と、消えていく執着』

夕暮れの薄暗い取り調べ室。
窓のない冷たい壁。
テーブルに置かれた紙コップの水は、
ほとんど減っていない。

祐真は黙ったまま、
椅子にもたれず前のめりに座っていた。

髪は乱れ、
白いシャツの襟も少し皺になっている。

だが、目だけは焦点を失っていた。

(……なんでだ。
どうして俺は、ここに座ってる?)

頭の中はまだ整理できず、
ただ静かな混乱だけが続いている。

警察が祐真に提示した内容は、
あまりにも現実的だった。

・付きまとい行為
・不法侵入未遂
・悪質な脅迫まがいの言動
・そして、麗華との共謀の疑い

軽い罪で済む範囲だとしても、
「社会的信用」は大きく損なわれる。

祐真自身、それは理解していた。

(俺は……何をやってたんだ?)

拳が震える。

胸の奥に刺さったのは“怒り”ではなく“虚しさ”だった。



扉がノックされ、
刑事が資料を持って入ってきた。

「片岡さん、
ここにあなたが送ったメールのログと、
現場付近のカメラ映像があります」

祐真は顔を上げない。

「……別に否定しないよ。
俺がやった」

刑事は淡々とした声で言う。

「動機は?」

しばらく沈黙したあと、
祐真は小さく息を吐いた。

「……好きだったんだよ」

その声は、
痛みでひび割れたガラスみたいに壊れかけていた。

「……大学の頃からずっと。
誰よりも……
俺のこと分かってくれるのは由奈だけだと思ってた」

刑事は手を止めて、
静かに祐真を見た。

祐真は続ける。

「なのに……
あいつは先に幸せになった。
知らない男と結婚して……
“片岡由奈”になって……
俺の届かない場所に行っちまった」

握った拳が白くなる。

「……諦められるわけ、ないだろ」

祐真の声は震え、歪んでいた。

「なのに……
俺が触れようとしたら泣きやがって。
昔みたいに笑ってくれなくて……
怯えた顔して……
隼人の名前呼ぶんだよ」

祐真の目に、
初めて薄い涙が浮かぶ。

「……何だよ、それ。
どうして隼人なんだよ。
俺は……
あいつの名前より先に、
由奈のこと呼んでやってたのに……」

刑事は黙ったまま聞いていた。

祐真はかすれた声で笑った。

「……俺が勝手に、
“まだ繋がってる”って思ってただけか」

そして小さく呟いた。

「由奈は……
もう俺なんか見てなかった」

その言葉は、
祐真自身への刃のようだった。



沈黙が続いたあと、
刑事が冷静に告げる。

「あなたには
接触禁止命令が出される可能性が高いです。
由奈さんにも、片岡隼人さんにも
二度と近づけません」

祐真はうなずいた。

「……そうだよな。
俺が近づいたら……
またあいつ泣かせるだけだ」

数秒の静寂のあと、
彼はぽつりと言った。

「……隼人には、勝てねぇよ」

その声には悔しさではなく、
“認めざるを得ない現実”だけがあった。

「由奈を泣かせたのも、怯えさせたのも……
全部俺だ。
隼人のせいじゃない」

祐真はゆっくりと顔を上げた。

涙の跡が乾いた、
弱くて疲れた男の表情。

「由奈が幸せそうに見えたんだよ。
隼人の隣にいると、
大事にされてる女の顔してた」

唇を噛み、
苦笑しながら続ける。

「……俺より先に、
あんな顔を許したのが悔しかったんだ」



刑事が席を立ち、
祐真に書類を渡した。

「正式な手続きに入ります。
今日はここまで」

扉が閉まる。

取り残された祐真は、
テーブルの上の紙コップを見つめた。

水面が揺れ、
その中に映る自分の顔も揺れた。

(……もう終わりか)

目を閉じる。

その胸に残ったのは——
怒りでも執着でもなく、
ただひとつの真実だった。

“俺は由奈を守れなかった。
隼人だけが、それをできた男だった。”

祐真の指先が緩み、
紙コップが小さく揺れた。

孤独の中で、
祐真の執着は静かに溶けていった。
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