秘めやかなる初恋 〜姉の許嫁に捧ぐ淡雪〜
第12章:遥斗の優しさ
志穂と悠真の婚約発表は、雪菜の心に深い傷を残した。これまで、心の奥底で僅かな希望を抱き続けていたが、婚約指輪の輝きは、その希望の光を完全に消し去った。もう、諦めなければならない。そう頭では理解しているのに、心は悠真への想いを手放すことができず、雪菜は日々、その矛盾に苦しんでいた。
食欲は一層細くなり、夜も眠れぬまま朝を迎えることが増えた。顔色は青白く、目の下の隈は隠しようがない。そんな雪菜の様子に、家族は婚約発表後の志穂の準備を手伝う疲労だと解釈し、深くは詮索しなかった。しかし、その変化に気づき、静かに雪菜を見守る者がいた。
西園寺遥斗だった。
会社で、遥斗は雪菜のデスクに、いつものように温かいコーヒーを置いてくれた。
「片桐さん、最近、少し元気がないように見えます。何かあったんですか?」
彼の声は優しく、雪菜の無理な笑顔の裏にある悲しみを、見透かしているようだった。
「いえ、何もありません。少し…疲れが溜まっているだけです」
雪菜は、いつものように曖昧に答えた。
「無理しなくていいですよ、片桐さん」
遥斗は、雪菜の隣に立ち、そっと言葉を続けた。
「僕には、片桐さんがいつも無理をしているように見えます。笑顔の裏で、何かを抱え込んでいるように」
その言葉は、悠真が以前言った言葉と重なった。遥斗もまた、雪菜の心の機微を敏感に察知している。
「もし、話せることであれば、いつでも僕が聞きます。仕事のことでも、プライベートなことでも。僕は、片桐さんの力になりたい」
遥斗の瞳は、優しさと、揺るぎない誠実さに満ちていた。彼の言葉は、まるで乾いた心に染み渡る水のように、雪菜の心をじんわりと温める。
その日の終業後、雪菜は気分転換にと、一人で会社の屋上庭園へ向かった。都会の喧騒が嘘のように静かで、風が心地よかった。フェンスに手をかけ、遠くの夕焼けを眺めていると、背後から足音が聞こえた。
「片桐さん、ここにいらっしゃったんですね」
遥斗だった。
「西園寺君…」
「一人でいると、色々と考えてしまうでしょう?無理に明るく振る舞わなくていいんですよ。僕は、あなたのそのままの姿が好きですから」
遥斗は、雪菜の隣に立ち、同じように夕焼けを眺めた。彼の言葉は、雪菜の凍り付いた心を、ゆっくりと解き放っていくようだった。
「私…どうしたらいいか、分からないんです」
思わず、雪菜は心の奥底に抱えていた悩みを、遥斗に打ち明けてしまった。具体的な内容は言わない。しかし、その声には、深い悲しみと、途方に暮れたような響きが込められていた。
遥斗は、何も聞かず、ただ黙って雪菜の言葉を受け止めた。そして、ゆっくりと雪菜の方に振り向き、優しい眼差しで彼女を見つめた。
「片桐さんが、今、どんなに辛い状況にあるのか、僕には分からないかもしれません。でも、あなたの傍にいることだけはできます。もし、あなたが涙を流したいなら、この肩を貸します」
彼はそう言って、優しく雪菜の肩に手を置いた。その手は、温かく、雪菜の心を包み込むようだった。
誰にも言えなかった苦しみを、こんなにも優しく受け止めてくれる人がいる。
その事実に、雪菜の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
声を出して泣くことはできなかったが、静かに、しかし止めどなく流れる涙は、雪菜の心に溜まっていた悲しみや絶望を、少しずつ洗い流してくれるようだった。
遥斗は、何も言わず、ただ優しく雪菜の傍に寄り添い続けた。雪菜の背中を、そっと撫でてくれる。その温かい手のひらは、雪菜にとって、救いそのものだった。
悠真への想いは、変わらない。しかし、遥斗のこの揺るぎない優しさが、雪菜の心を少しだけ、前向きな方向へと傾かせようとしていた。
このまま、悠真への想いを諦め、遥斗を受け入れるべきなのだろうか。
彼の優しさに甘えれば、私はきっと、幸せになれる。
頭の中を、そんな考えが駆け巡る。
遥斗は、雪菜が自分に向き合ってくれるまで、いくらでも待つと言ってくれた。
彼の存在は、雪菜にとって、暗闇の中で見つけた一筋の光のようだった。
この光を、私は掴むべきなのだろうか。
涙が止まった後、雪菜は遥斗に、感謝の気持ちを伝えるように、そっと寄りかかった。
遥斗は、何も言わず、ただ優しく彼女を抱きしめた。
彼の温もりが、雪菜の冷え切った心を、少しずつ溶かしていく。
その夜、雪菜は、遥斗の優しさの中で、微かな揺らぎを感じながら、答えの出ない問いと向き合っていた。
食欲は一層細くなり、夜も眠れぬまま朝を迎えることが増えた。顔色は青白く、目の下の隈は隠しようがない。そんな雪菜の様子に、家族は婚約発表後の志穂の準備を手伝う疲労だと解釈し、深くは詮索しなかった。しかし、その変化に気づき、静かに雪菜を見守る者がいた。
西園寺遥斗だった。
会社で、遥斗は雪菜のデスクに、いつものように温かいコーヒーを置いてくれた。
「片桐さん、最近、少し元気がないように見えます。何かあったんですか?」
彼の声は優しく、雪菜の無理な笑顔の裏にある悲しみを、見透かしているようだった。
「いえ、何もありません。少し…疲れが溜まっているだけです」
雪菜は、いつものように曖昧に答えた。
「無理しなくていいですよ、片桐さん」
遥斗は、雪菜の隣に立ち、そっと言葉を続けた。
「僕には、片桐さんがいつも無理をしているように見えます。笑顔の裏で、何かを抱え込んでいるように」
その言葉は、悠真が以前言った言葉と重なった。遥斗もまた、雪菜の心の機微を敏感に察知している。
「もし、話せることであれば、いつでも僕が聞きます。仕事のことでも、プライベートなことでも。僕は、片桐さんの力になりたい」
遥斗の瞳は、優しさと、揺るぎない誠実さに満ちていた。彼の言葉は、まるで乾いた心に染み渡る水のように、雪菜の心をじんわりと温める。
その日の終業後、雪菜は気分転換にと、一人で会社の屋上庭園へ向かった。都会の喧騒が嘘のように静かで、風が心地よかった。フェンスに手をかけ、遠くの夕焼けを眺めていると、背後から足音が聞こえた。
「片桐さん、ここにいらっしゃったんですね」
遥斗だった。
「西園寺君…」
「一人でいると、色々と考えてしまうでしょう?無理に明るく振る舞わなくていいんですよ。僕は、あなたのそのままの姿が好きですから」
遥斗は、雪菜の隣に立ち、同じように夕焼けを眺めた。彼の言葉は、雪菜の凍り付いた心を、ゆっくりと解き放っていくようだった。
「私…どうしたらいいか、分からないんです」
思わず、雪菜は心の奥底に抱えていた悩みを、遥斗に打ち明けてしまった。具体的な内容は言わない。しかし、その声には、深い悲しみと、途方に暮れたような響きが込められていた。
遥斗は、何も聞かず、ただ黙って雪菜の言葉を受け止めた。そして、ゆっくりと雪菜の方に振り向き、優しい眼差しで彼女を見つめた。
「片桐さんが、今、どんなに辛い状況にあるのか、僕には分からないかもしれません。でも、あなたの傍にいることだけはできます。もし、あなたが涙を流したいなら、この肩を貸します」
彼はそう言って、優しく雪菜の肩に手を置いた。その手は、温かく、雪菜の心を包み込むようだった。
誰にも言えなかった苦しみを、こんなにも優しく受け止めてくれる人がいる。
その事実に、雪菜の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
声を出して泣くことはできなかったが、静かに、しかし止めどなく流れる涙は、雪菜の心に溜まっていた悲しみや絶望を、少しずつ洗い流してくれるようだった。
遥斗は、何も言わず、ただ優しく雪菜の傍に寄り添い続けた。雪菜の背中を、そっと撫でてくれる。その温かい手のひらは、雪菜にとって、救いそのものだった。
悠真への想いは、変わらない。しかし、遥斗のこの揺るぎない優しさが、雪菜の心を少しだけ、前向きな方向へと傾かせようとしていた。
このまま、悠真への想いを諦め、遥斗を受け入れるべきなのだろうか。
彼の優しさに甘えれば、私はきっと、幸せになれる。
頭の中を、そんな考えが駆け巡る。
遥斗は、雪菜が自分に向き合ってくれるまで、いくらでも待つと言ってくれた。
彼の存在は、雪菜にとって、暗闇の中で見つけた一筋の光のようだった。
この光を、私は掴むべきなのだろうか。
涙が止まった後、雪菜は遥斗に、感謝の気持ちを伝えるように、そっと寄りかかった。
遥斗は、何も言わず、ただ優しく彼女を抱きしめた。
彼の温もりが、雪菜の冷え切った心を、少しずつ溶かしていく。
その夜、雪菜は、遥斗の優しさの中で、微かな揺らぎを感じながら、答えの出ない問いと向き合っていた。