秘めやかなる初恋 〜姉の許嫁に捧ぐ淡雪〜
第11章:志穂の婚約
悠真との仕事上の接近は、雪菜の心に微かな希望の光を灯した。しかし、その光は、すぐに消えた「志穂と悠真の婚約発表」という現実に、かき消された。
ある日の午後、片桐家に一条家の家族が訪れた。両家が集まるのは、定例会とは異なる、特別な雰囲気だった。雪菜は、その日の朝から漂う、喜びに満ちた空気で気持ちが沈んでいった。
リビングルームに集まった両家の前で、片桐家の当主である父が、口を開いた。
「本日は、皆様にご報告がございます。かねてよりお話が進んでおりました、長女・志穂と、一条悠真君との婚約を、ここに正式に発表させていただきます」
その言葉が響いた瞬間、雪菜の心臓が、まるで凍り付いたかのように止まった。頭の中が真っ白になり、周囲の音が遠のいていく。
志穂と悠真は、並んで座り、穏やかな笑顔を浮かべていた。志穂の左手の薬指には、まばゆいばかりの婚約指輪が輝いている。それは、二人の未来を確約する、紛れもない証だった。
「志穂、悠真君、おめでとう!」
両親や一条家の家族から、祝福の言葉が次々と投げかけられる。
雪菜は、その光景を、ただ茫然と見つめるしかなかった。胸の奥では、何か硬いものが砕け散るような激しい痛みが走る。
「雪菜も、お姉様と悠真さんを祝福してあげなさい」
母に優しく促され、雪菜は我に返った。
「お、お姉様…悠真さん…おめでとうございます」
震える声で、ようやく言葉を絞り出す。精一杯の笑顔を作ろうとしたが、顔の筋肉は固まり、引き攣ったような表情になってしまっただろう。視界が、じわりと滲むような気がした。
志穂は、そんな雪菜の様子に気づかず、満面の笑みで悠真に寄り添っている。
「ありがとう、雪菜!いよいよ、私と悠真さんの新しい生活が始まるのよ!」
その言葉は、まるで雪菜の心の傷口に塩を塗るかのように、容赦なく突き刺さる。
悠真は、そんな志穂の隣で、穏やかに微笑んでいた。しかし、ふと、彼の視線が雪菜の顔に向けられた。
雪菜の無理に作った笑顔、そして、その瞳の奥に宿る深い悲しみ。悠真は、その全てを一瞬で見抜いたかのように、その表情をわずかに曇らせた。
彼の瞳には、祝福の場には不似合いな、心配と、そしてどこか、微かな葛藤のようなものが浮かんでいるように見えた。
だが、悠真はすぐに視線を戻し、再び志穂に笑顔を向けた。
この場で、雪菜に特別な感情を示すことなど、許されるはずがない。彼は、財閥の御曹司として、そして志穂の婚約者として、その役割を完璧に演じ切ろうとしているのだろう。
その後の祝賀の食事会も、雪菜にとっては地獄のような時間だった。
悠真と志穂の馴れ初めや、二人の将来設計について、和やかに語られる会話。
雪菜は、ただひたすらに、作り笑顔を張り付けたまま、グラスの水を口に運ぶことしかできなかった。
胃の奥がキリキリと痛み、喉が詰まるような感覚に襲われる。
夜、家族がそれぞれの部屋に戻り、静寂が訪れた後も、雪菜は眠りにつくことができなかった。
部屋の窓から、庭園を見下ろす。
今、姉の薬指には、悠真からの指輪が輝いている。
それは、二人の愛の証であり、雪菜にとっての「諦め」の象徴だった。
あの、悠真が自分に向けてくれた優しい視線。
それは、ただの勘違いだったのだろうか。
期待してしまった自分が、ひどく愚かに思える。
悠真は、やはり姉を選んだ。当然のことだ。
最初から分かっていたことなのに。
なぜ、こんなにも心が痛むのだろう。
雪菜は、ベッドの端に座り込み、両手で顔を覆った。
「もう…諦めよう」
そう、心の中で何度も繰り返す。
そうしなければ、この痛みから解放されることはない。
もうこれ以上、この苦しみを抱えて生きていくことなどできない。
雪菜の瞳から、一筋の涙が、静かに頬を伝い落ちた。
それは、淡雪のように儚く、そして、彼女の初恋の終わりを告げる、静かで悲しい涙だった。
婚約発表という現実は、雪菜の心に深く重くのしかかり、彼女の秘めたる想いを、容赦なく打ち砕いていった。
ある日の午後、片桐家に一条家の家族が訪れた。両家が集まるのは、定例会とは異なる、特別な雰囲気だった。雪菜は、その日の朝から漂う、喜びに満ちた空気で気持ちが沈んでいった。
リビングルームに集まった両家の前で、片桐家の当主である父が、口を開いた。
「本日は、皆様にご報告がございます。かねてよりお話が進んでおりました、長女・志穂と、一条悠真君との婚約を、ここに正式に発表させていただきます」
その言葉が響いた瞬間、雪菜の心臓が、まるで凍り付いたかのように止まった。頭の中が真っ白になり、周囲の音が遠のいていく。
志穂と悠真は、並んで座り、穏やかな笑顔を浮かべていた。志穂の左手の薬指には、まばゆいばかりの婚約指輪が輝いている。それは、二人の未来を確約する、紛れもない証だった。
「志穂、悠真君、おめでとう!」
両親や一条家の家族から、祝福の言葉が次々と投げかけられる。
雪菜は、その光景を、ただ茫然と見つめるしかなかった。胸の奥では、何か硬いものが砕け散るような激しい痛みが走る。
「雪菜も、お姉様と悠真さんを祝福してあげなさい」
母に優しく促され、雪菜は我に返った。
「お、お姉様…悠真さん…おめでとうございます」
震える声で、ようやく言葉を絞り出す。精一杯の笑顔を作ろうとしたが、顔の筋肉は固まり、引き攣ったような表情になってしまっただろう。視界が、じわりと滲むような気がした。
志穂は、そんな雪菜の様子に気づかず、満面の笑みで悠真に寄り添っている。
「ありがとう、雪菜!いよいよ、私と悠真さんの新しい生活が始まるのよ!」
その言葉は、まるで雪菜の心の傷口に塩を塗るかのように、容赦なく突き刺さる。
悠真は、そんな志穂の隣で、穏やかに微笑んでいた。しかし、ふと、彼の視線が雪菜の顔に向けられた。
雪菜の無理に作った笑顔、そして、その瞳の奥に宿る深い悲しみ。悠真は、その全てを一瞬で見抜いたかのように、その表情をわずかに曇らせた。
彼の瞳には、祝福の場には不似合いな、心配と、そしてどこか、微かな葛藤のようなものが浮かんでいるように見えた。
だが、悠真はすぐに視線を戻し、再び志穂に笑顔を向けた。
この場で、雪菜に特別な感情を示すことなど、許されるはずがない。彼は、財閥の御曹司として、そして志穂の婚約者として、その役割を完璧に演じ切ろうとしているのだろう。
その後の祝賀の食事会も、雪菜にとっては地獄のような時間だった。
悠真と志穂の馴れ初めや、二人の将来設計について、和やかに語られる会話。
雪菜は、ただひたすらに、作り笑顔を張り付けたまま、グラスの水を口に運ぶことしかできなかった。
胃の奥がキリキリと痛み、喉が詰まるような感覚に襲われる。
夜、家族がそれぞれの部屋に戻り、静寂が訪れた後も、雪菜は眠りにつくことができなかった。
部屋の窓から、庭園を見下ろす。
今、姉の薬指には、悠真からの指輪が輝いている。
それは、二人の愛の証であり、雪菜にとっての「諦め」の象徴だった。
あの、悠真が自分に向けてくれた優しい視線。
それは、ただの勘違いだったのだろうか。
期待してしまった自分が、ひどく愚かに思える。
悠真は、やはり姉を選んだ。当然のことだ。
最初から分かっていたことなのに。
なぜ、こんなにも心が痛むのだろう。
雪菜は、ベッドの端に座り込み、両手で顔を覆った。
「もう…諦めよう」
そう、心の中で何度も繰り返す。
そうしなければ、この痛みから解放されることはない。
もうこれ以上、この苦しみを抱えて生きていくことなどできない。
雪菜の瞳から、一筋の涙が、静かに頬を伝い落ちた。
それは、淡雪のように儚く、そして、彼女の初恋の終わりを告げる、静かで悲しい涙だった。
婚約発表という現実は、雪菜の心に深く重くのしかかり、彼女の秘めたる想いを、容赦なく打ち砕いていった。