秘めやかなる初恋 〜姉の許嫁に捧ぐ淡雪〜

第22章:志穂の知る時

雪菜の告白と、悠真の苦悩に満ちた真実。二人の心が通じ合った喜びは、しかし、志穂を裏切るという罪悪感と、越えられない壁の存在によって、すぐに打ち砕かれた。悠真は、自らの感情と責任の狭間で激しく揺れ動き、雪菜は、彼の苦しむ姿に、ただ胸を締め付けられるばかりだった。

その日以来、悠真は、雪菜を避けるようになった。オフィスで顔を合わせても、彼は視線を合わせようとせず、必要最低限の会話しか交わさない。雪菜は、彼の態度の変化に、胸の奥がキリキリと痛み、再び孤独の淵に沈んでいった。

一方、志穂は、悠真と雪菜の間に流れる張り詰めた空気にも、悠真の苦悩にも、全く気づいていなかった。彼女の頭の中は、悠真との結婚式の準備でいっぱいだった。ブライダル雑誌を広げ、ドレス選びに夢中になっている志穂の姿を見るたび、雪菜の胸は、二重の痛みで締め付けられる。

「ねぇ、雪菜。今度の週末、悠真さんと一緒に、ウェディングドレスを見に行くのよ!あなたも一緒に来てくれないかしら?」
志穂は、満面の笑顔で雪菜に尋ねた。
「私…ですか?」

雪菜は、耳を疑った。愛する人が、自分の姉と結婚するためのドレスを選ぶ場に、自分も同行しろというのか。
「ええ、もちろんよ!あなたも大切な家族なんだから。それに、雪菜の美的センスは、私よりもずっと優れているもの。私の運命のドレスを、一緒に選んでほしいの」

志穂の言葉には、一点の曇りもない。彼女は心から、雪菜を信頼し、大切に思っていた。その純粋な気持ちが、雪菜の心を深く傷つける。
「ごめんなさい、お姉様。私…少し体調が優れないので…」
雪菜は、嘘をつくしかなかった。それ以上、志穂の幸せそうな笑顔を、間近で見ることはできなかった。

しかし、志穂の結婚準備は、着々と進んでいく。披露宴の招待客リスト、料理の打ち合わせ、そして、二人の新居探し。
ある日の夕方、志穂は、新しいマンションのパンフレットを広げながら、悠真と楽しそうに談笑していた。
「悠真さん、この眺め、素敵だと思わない?ここなら、二人でゆっくり過ごせそうね」
「ああ、志穂が気に入ったなら、それが一番だ」

二人の間に流れる、穏やかで幸せな空気。
雪菜は、リビングの入り口の影から、その光景をそっと見つめていた。
すると、志穂が、ふと悠真の隣に座る雪菜の写真立てに目をやった。
それは、幼い頃の雪菜と志穂が、悠真を挟んで笑顔で写っている写真だった。

「あら、この写真、懐かしいわね。雪菜もこんなに小さかったのね」
志穂は、写真立てを手に取り、微笑んだ。
そして、その写真立ての裏に、一枚の紙が挟まっていることに気づいた。

「あら?これは何かしら?」
志穂は、何気なくその紙を取り出した。
それは、悠真と雪菜が、徹夜でプロジェクトのトラブルを乗り越えた際に、雪菜が悠真に宛てて書いた、感謝のメッセージカードだった。

『悠真さんへ。この度は、大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございました。悠真さんが傍にいてくださったから、私、頑張れました。雪菜より』

そこには、雪菜の純粋な感謝の気持ちと、しかし、危機を乗り越えた二人だけの「秘密の共有」が、ほのめかされているようにも読める言葉が綴られていた。
志穂の顔から、笑顔が消えた。

彼女の瞳が、ゆっくりと、しかし確かな警戒心と、そして不信感に満ちていく。
そのメッセージカードは、雪菜の筆跡だった。
そして、その言葉の選び方、そして、悠真との間に流れた「親密さ」が、志穂の心に、これまで感じたことのない違和感と、そして不吉な予感を呼び起こした。
「お姉様…」

雪菜は、その光景を見て、全身の血の気が引くのを感じた。
「これは…何?」
志穂の声は、静かだったが、その背後には、凍り付くような怒りが宿っているのが分かった。

悠真もまた、志穂の手に握られたメッセージカードを見て、顔色を変えた。
彼の瞳には、言いようのない焦りと、そして、全てを悟られたことへの絶望が浮かんでいる。
沈黙が、重く、長く、リビングに落ちた。

春の嵐が、今、まさに、彼らの人生に吹き荒れようとしていた。
志穂が、ついに真実の片鱗を知る時が来たのだ。
彼女の愛と信頼は、今、脆くも崩れ去ろうとしていた。
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