甘く香るあなたと、唯一無二の。
 * * *
 
 
 あー、今日も我ながら頑張った。そこそこに残業をすませ、そろそろ帰るかとパソコンの電源を落とし、うんと背伸びをして首と肩の凝りを腕を回してほぐしていく。身支度を調え、会社のエントランスを出ると「おー、奈々お疲れ。お前も今帰り?」聞きなじみのある、男にしては高音な声に嫌々ながらも振り返る。
「気安く奈々って呼ばないでって何回言えば理解するの、泉!」

 同期の泉優樹だ。

「仕方ないじゃん、お前、実家で飼ってる犬の”ナナ”に似てるんだもん」
「どこが仕方ないのよ、全っ然理由になってないし」
 自分の方が垂れ目で童顔の断然子犬っぽい見た目しているくせに、泉は私の事をこうやっていつもからかってくる。失礼な奴だ。
「まぁそう目くじら立てんなって。そういや、奈々は今度の同期会来るよな?」
「……。行くけど?」こいつに呼び方についてこれ以上言及してもはぐらかされるのはもう分かっているから相手にするだけ無駄だ。
「楽しみだな。 同期会も久しぶりじゃね?」
「まぁ四年目にもなると皆それぞれ忙しそうだもんね」
 何となくなりゆきで泉と肩を並べて駅まで向かう。
「だなー。幹事の阿部がなんか同期会で重大発表する、とか意気込んでたぜ?」
「え? まさか、阿部君会社辞めちゃうの?」
「わっかんねー。けど、阿部の様子だと付き合ってる彼女と結婚の可能性もあり得るくない?」
「そっちなら全然良いんだけどさ-。もし辞めるとか言い出したら悲しいかも」
「俺は辞めないから安心して、奈々」
「どうだかね。そう言ってる人ほどあっさり転職先決めて辞めていったりするじゃん」
「俺、奈々には嘘つかないよ」
 不意に真剣な泉の瞳とかち合ってドキリとする。
「なんてな。じゃあ、俺こっちだから。また」


 駅に着いた私達。泉は自由気ままに自分の路線の方へと踵を返していく。ああやって泉は気まぐれに私の心をかき乱すような事を言ってくる天然タラシだ。だから私はあまり泉と近付きたくない。昔の傷を思い出すから。泉のつけているムスクの香水が、私の古傷をえぐってくる。それに泉から漂ってくる後悔の気持ち。今はまだ蓋を開けられる気がしないから余計に近付きたくない。スーツの似合う泉の華奢な背中を見つめながら、私はきっと苦虫をかみつぶしたような表情をしていただろう。
< 2 / 15 >

この作品をシェア

pagetop