各務課長が「君の時間を十分ください」と言った結果
 突然課長が軽く腰を軽く折って、顔を寄せてきた。ビクッと肩が跳ねて後ずさりそうになったが、さりげなく背中に手を添えられ、制される。

「佐伯さん、付き合ってもらえますか?」
「は……え?」

 今なんて……? まさか各務課長が私に告白……うそ……。

 両目を見開いたまま動きを止めていると、課長が眉根を寄せる。

「どうやら園田嬢が離れたビルの陰から、こちらを伺っているようです」
「えっ!」

 とっくにいなくなったと思っていた園田嬢が、まだいたなんて……。

 驚いてすぐ、ハッとした。今の『付き合って』という発言は、〝恋人の振りを続けてほしい〟という意味だったんだ。
 告白されたと思うなんて、自意識過剰もいいところだ。勘違いが恥ずかしすぎて、みるみる顔が熱くなっていく。
 でも『手料理を食べたい』というようなセリフを言われてからの『付き合って』だ。勘違いしてもおかしくない気もする。

 イケメンの思わせぶりに惑わされてはだめ!

 自分にそう言い聞かせ、少しの冷静さを取り戻す。

「約束があるようでしたので、無理にとは言いませんが」

 課長の顔にははっきりと『困っている』と書いてある。彼がこんなふうに心情を表に出すのは珍しい。本当に困っているだろう。そうでなければ偶然出会った部下に恋人の振りなんて頼むはずがない。

 今も昔も課長にはお世話になりっぱなしだ。ここで恩を少しくらい返しておかなければバチがあたるというもの。悲しいかな、約束ならついさっき消え去った。

「わかりました。乗りかかった舟ですから」
「ありがとうございます」

 課長はそう言うなり、私の手を取った。

「ひゃっ」

 指という指の間をくまなく埋め尽くす節くれだった感触に、全身の体温が一気に上昇した。

「じゃあ行こうか、実花子」

 いきなり変わった口調と名前呼びに心臓が跳ねる。柔らかな微笑みを浮かべた課長は、私の手を引いて歩きだした。


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