大好きだった元彼と再会しましたが、私はもう結婚しています。
そして、ずっと胸につかえていた母にも、きちんと報告して謝った。
母をがっかりさせるかもしれない……そんな気持ちでいっぱいだったのに、返ってきたのはまったく予想外の言葉だった。
「謝るのは私のほうよ。ごめんなさい」
「……え? どうして?」
「私の会社の社長の息子だったでしょう。断れなくて、あなたに変なプレッシャーをかけたのよね。本当にごめんなさい。でも、千紘が幸せならそれでいいと思ってたの。だからあなたが幸せでなかったなら離婚できてよかった」
「……うん」
「それとね、あなたが早々に入籍した理由、あったでしょ?」
私は昔の記憶を思い出す。
「匡輔さんのお父さんの病気……だよね? 治らないかもしれないって」
「……あれ、嘘だったのよ」
息が詰まった。
そんな嘘、つく意味があるのだろうか。理解が追いつかない。でも、母が嘘をつく理由のほうがもっとない。
「倒れたのは本当だけど、ただの胃潰瘍だったの。命にかかわるような状態じゃなかった。でも、二人はそう思わせるように話していたみたい」
「ちょっと待って、ほんとに?」
「ええ。結婚後、『結婚を決めてもらうための嘘だった』なんて軽く言われたの。でも当時のあなたはもう結婚していたし、言ったら関係がこじれるだけだと思って黙ってたの」
「でも……なんでそんなことまでして結婚したかったんだろう。だって、早々に浮気してたんだよ? 好きじゃないなら、結婚なんてしなければよかったのに」
「匡輔くんは、千紘を好きではあったのよ。それは間違いないわ。ただ千紘ったら、紹介したとき、何度かそれまで彼に会ってるのに全然覚えてなかったでしょう? 彼、ショック受けてた。あれはちょっと可哀想だったわよ」
「それは……そうだったかもしれないけど」
でも浮気されて離婚した今の私には、彼が私を心から好きだったとは到底思えない。
それを伝えると母は少し考えるようにした。
「好きな人を手に入れる方法が結婚だと思っちゃったんじゃないかしら? しかもお父さんの『男は結婚して一人前』っていうプレッシャーが酷かったし」
「庇うつもりはないけど……それはちょっと気の毒だね」
「千紘は匡輔くんを好きで仕方なくて、結婚したわけじゃない。それを彼はもちろん頭では理解してたと思うのよ。でも現実に目の当たりにしたら辛かったんでしょうね。好きだったから余計に」
その言葉に、私は母の顔を見つめた。
「一番好きな人同士で結婚しないことは悪いとは思ってない。そういう夫婦だってたくさんいるわ。でも、最初に嘘までついて結婚したんだから、彼は好きになってもらえるように努力すべきだった。努力しなきゃ、人の気持ちは動かないのよ。それを諦めた匡輔くんは、浮気や虚勢で誤魔化していったんだと思う。そもそもが自業自得でしょ。千紘が気の毒になんて思わなくていいの」
どうしよう。母がこんな辛らつなのは、初めて見た。
驚いていると、母はふっといつものように笑った。
「そうだ。私ね、匡輔くんのお父さんの会社、辞めたの」
「……え、辞めたの⁉」
「ええ。病気が嘘だって知ってすぐにね」
「長く働いてたよね……。本当にいいの? お世話にもなってたんじゃ……」
「助けられたことはあるけど、嘘で娘を巻き込んだ人と一緒に働くなんて無理よ」
母の言葉は柔らかいけれど、芯に強い怒りがあった。
「お母さん、生活は大丈夫? ……あのさ、私、そっちに戻って一緒に暮らしても――」
「何言ってるの! 私はひとりで大丈夫。もう新しい職場も決まって働いてるんだから!」
「えぇ、ほんと⁉」
「しかも前より給料いいのよ」
母がたくましすぎて、思わず笑ってしまう。
母も笑って肩をすくめた。
「私にはお父さんとの楽しい思い出がたくさんあるから一人で大丈夫。私のことは気にせず、千紘は自分の好きなことをやりなさい。今の仕事、好きなんでしょう?」
「……うん」
「それとね、もし次に結婚することがあったら、一番好きな人と結婚しなさいよ。あなたは昔から嘘つくとかできないんだからね」
私は母を見て、小さく笑った。
「……うん。お父さんとお母さんみたいな夫婦になれたらいいな」
「かなり難しいと思うわよ。だって私は、あの人がこんなにまだずっと大好きなんだから。きっとあの人もそう。空の上でまだ私が大好きなはずよ。まあ、私たちに負けないように頑張りなさい」
母は最後にちゃっかりのろけて帰っていった。
***
離婚後新しく借りた部屋に戻る道で、私は夜空を見上げた。
誰かのために我慢し続けたあの日々には、意味があったのだろうか。
最初から我慢なんてしなければよかったのかもしれない。私も諦めずに関係を変えようとしていたら何か変わっていたのかもしれない。そう思うこともある。
でももう後悔はしない。これが私の決めた道だ。
私は小さく息を吸い、真新しい気持ちで歩き出した。