双子の弟と入れ替わって護衛騎士になった私が、なぜか王太子殿下の初恋を奪ってしまった!
第33話 エデルガルトとアルフレート 後編
小さかった頃は今よりもっと体が弱かったから。
アルフレートは微睡の中、かつての幼かった日を漂っていた。
「あ〜、ついてないわね。どうせならシャルロッテ様付の侍女になりたかったわ」
「ちょっと、聞こえるわよ」
「大丈夫、寝てるわよ。それに聞こえたってわかるはずないじゃない」
今はもう、顔も覚えていない侍女たちの声がする。
比較的新しく入ってきた侍女は、三日に一度は寝込んでいるアルフレートの看病を煩わしく感じたのだろう。
今までも仕事に慣れた頃になると愚痴をこぼす者はいたし、面倒をかけている自覚のあったアルフレートは何も言えなかった。
「アルフレート! ……ってあれぇ? ねむってるの?」
そういう時に限って、タイミングよくシャルロッテは現れるのだ。
信じられないことに、その日はバルコニーからやってきた。
窓際のオリーブの木をよじ登って来たらしい。
当時のシャルロッテは、よく自分で三つ編みをしていた。お母さまに習ったというそれは、左右太さが違っている毎日だったけど。
得意げに口角を上げて遊びにくるシャルロッテを、アルフレートは愛しく思っていた。
ああ、またほっぺたに泥がついてる。
きっと昨日話してくれた、生まれたばかりの仔羊と遊んできたに違いない。
ベッドの上で、寝たふりをするアルフレートには目もくれずに、シャルロッテは例の侍女の前に立ちはだかった。
まるでお伽話の中の、お姫様を守る勇者のように。
「ねえ、あなた! あたしの侍女になりたいってほんと?」
邪気のなさが恐ろしいのか、それとも地獄耳が恐ろしいのか、侍女が震え上がったのがベッドの上から薄目で見てもわかる。
「シャルロッテさま! それは……」
「じゃああなた、まいあさじょうばに付き合ってくれる? いっしょに木のぼりしてくれる? かりにつれて行ってくれる? 私のかわりにおかあさまにしかられてくれる?」
「も、申し訳ありません……! お許しください!」
侍女たちの中には、心を入れ直して誠心誠意務めるようになる者もいれば、公爵夫人に告げ口されることを恐れ、職を辞する者もいた。
もちろんシャルロッテは、告げ口なんてしたことはなかったが。
ただひとつ言えることは、ロッテはいつもアルフレートの味方だった、ということ。
幼い時も、そして今も。
『私がアルを守る……!』
それが、シャルロッテの口癖だ。
シャルロッテ、ごめん。
いつだってきみに守ってもらってたのに、僕は。
――たったひとつの秘密さえ、守れなかった。
♢
「……!」
アルフレートが目覚めた時、初めに目に入ったのは見知らぬ天井だった。
クリーム色をベースにした天井に、細やかで華奢な石膏装飾が映えている。
ふかふかの寝具からゆっくりと体を起こし、アルフレートは辺りを見回してみる。
壁紙は品のあるピンク色にダマスク柄、オフホワイトの扉は、いつも刺繍をしている応接室と同じ彫刻が施されていた。
ということは、ここは王女宮のゲストルーム……?
そこまで考えた時、
「まあ! 目を覚まされたのですね」
耳に入ったのは、今、一番聞きたくなくて一番聞きたかった声――。
繋がった奥にある部屋から、キラキラと輝く金色の髪を揺らして、整った美貌の少女が駆け寄ってきた。
「エデルガルト……嬢」
彼女の名前の最後には、迷った末に敬称をつけた。
入れ替わりがバレてしまった今、もう気安くは呼ぶことなどできない。
エデルガルトは何か言いたげに口を開きかけたが、薔薇色の唇に微笑みをともしただけだった。
「お体の具合はいかがですか?どこか痛いところは?」
「問題ありません。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
華奢なエデルガルトが、アルフレートをひとりでこの部屋に運び込むことは不可能だ。
フロリアン様の指示を仰いで、使用人たちに手伝ってもらったに違いない。
一体何人に、入れ替わりの……ラインフェルデン公爵家の秘密が漏れてしまったのだろう。
静かに落ち込んでいるアルフレートに気づいたのか、エデルガルトは優しく声をかけてきた。
「ここまで運んでくださったのは、フロリアン様なのですよ」
信じられないことを聞いたアルフレートは、目を丸くして顔をあげる。
「あなたでも……冗談をおっしゃるのですね、エデルガルト。……あっ」
思わずいつもの呼び方が出てしまったアルフレートに、エデルガルトは花がほころぶように微笑った。
「そのように呼んでくださって嬉しいわ」
「え?」
アルフレートは、あるはずのない希望を抱く。
もしかしたら、今まで通りに話ができるのではないかと……。
そんな希望はすぐに打ち砕かれたが。
「でもわたくし、少し怒っています」
そう言うとエデルガルトは、つい、とアルフレートから視線を逸らした。
彼女の美しく白い指先が、きゅうっと握り込まれるのがアルフレートの視界に入る。
当然だ。
名前も性別も偽って過ごしていたことが、許されるはずはない。
いつもと変わらないエデルガルトの様子に、甘えようとしてしまった。
「違います、わね。ちっとも少しじゃありませんでしたわ」
そう言うとエデルガルトは、アルフレートから体ごと背けてしまった。
手を伸ばせば触れられる距離だ。
或いは、『こちらを向いてほしい』と頼めば、きっと振り向いてくれるだろう。
だけど、アルフレートにはとてもそんな勇気はなかった。
「……」
今度こそ黙りこくって俯いたアルフレートに、エデルガルトは小さくため息を落とすと、その場にしゃがみ込む。
打ちひしがれるアルフレートは気付けずにいた。
エデルガルトのその令嬢らしからぬ仕草は、アルフレートと目を合わすためにしたものだ、ということに。
「わたくしは、とても寂しかったのです。貴方がわたくしを頼ってくださらなかったことが。それはもちろん、父親同士の関係があまり良くない、ということもあるかもしれませんが……」
怒っている、と言ったエデルガルトの声にはまったく怒気などは感じられなかった。
弟に……エデルガルトには弟は存在しないが、まるで年下の弟妹を嗜めるように彼女は続けた。
「貴方は、わたくしの心に寄り添ってくれたひとです。そんなことは初めてで、とても嬉しくて。だから……わたくしは、貴方のことをおともだちだと思っていたのです……」
おともだち。
何を言われても受け入れるつもりだったアルフレートの胸が、ツキン、と小さく痛む。
だけど、そんなことよりも。
エデルガルトの深い海の色を思わせる瞳に、睫毛の影が落ちていた。
『いつも笑っていたらいいのに』
あの時、スイーツを作れることを喜んでいたエデルガルトの笑顔に、本気でそう思った。
でも今の自分はどうだ。
守るどころか、……彼女の笑顔を壊してるじゃないか。
胸の奥が、ズキズキと痛む。
喉だって、乾き切ってひりついていた。
でも……!
謝らなければいけない、たとえ許してもらえなくても。
そして言わなければ、本当のことを。
自分の口で。
アルフレートは、生まれて初めて勇気を振り絞る。
「あなたを騙していて申し訳ありません。今までの僕は、名前も性別も自分ものじゃなかった」
顔を上げて、アルフレートはしっかりとエデルガルトの瞳を見つめ返す。
「だけど、あなたへの気持ちは嘘ではありません」
アルフレートは自身の指が白くなるほど、ベッドのシーツを握りしめた。
「助けたい、と思ったのです。あなたにはずっと笑っていてほしいと……」
今度こそ逃げるものか。
エデルガルトからも、自分からも。
言葉にしてから、一瞬のような、永遠のような時が流れた気がした。
……そんな中、次に口を開いたのはエデルガルトだった。
「たとえ、貴方がシャルロッテじゃなかったとしても、貴方が私にしてくれたことが無くなってしまう訳じゃないのです。ですから……、あの……」
アルフレートを見つめる、エデルガルトの群青色の瞳が揺れていた。
彼女の長いまつ毛が震え、頰は真っ赤に染まっている。
「わたくし……、おともだちの名前も知らなかったのですよ?」
そうだ。
僕は肝心なところが抜けてる。
アルフレートは小さく息を吸った。
「はじめまして、エデルガルト。僕はアルフレート・ラインフェルデンです」
アルフレートの、柔らかいアルトの声が二人きりのゲストルームに響く。
「アルフレート、貴方はわたくしの初めてのおともだちです」
エデルガルトの美しく優しい微笑みに、今度はアルフレートの顔が朱に染まる番だった。
アルフレートは微睡の中、かつての幼かった日を漂っていた。
「あ〜、ついてないわね。どうせならシャルロッテ様付の侍女になりたかったわ」
「ちょっと、聞こえるわよ」
「大丈夫、寝てるわよ。それに聞こえたってわかるはずないじゃない」
今はもう、顔も覚えていない侍女たちの声がする。
比較的新しく入ってきた侍女は、三日に一度は寝込んでいるアルフレートの看病を煩わしく感じたのだろう。
今までも仕事に慣れた頃になると愚痴をこぼす者はいたし、面倒をかけている自覚のあったアルフレートは何も言えなかった。
「アルフレート! ……ってあれぇ? ねむってるの?」
そういう時に限って、タイミングよくシャルロッテは現れるのだ。
信じられないことに、その日はバルコニーからやってきた。
窓際のオリーブの木をよじ登って来たらしい。
当時のシャルロッテは、よく自分で三つ編みをしていた。お母さまに習ったというそれは、左右太さが違っている毎日だったけど。
得意げに口角を上げて遊びにくるシャルロッテを、アルフレートは愛しく思っていた。
ああ、またほっぺたに泥がついてる。
きっと昨日話してくれた、生まれたばかりの仔羊と遊んできたに違いない。
ベッドの上で、寝たふりをするアルフレートには目もくれずに、シャルロッテは例の侍女の前に立ちはだかった。
まるでお伽話の中の、お姫様を守る勇者のように。
「ねえ、あなた! あたしの侍女になりたいってほんと?」
邪気のなさが恐ろしいのか、それとも地獄耳が恐ろしいのか、侍女が震え上がったのがベッドの上から薄目で見てもわかる。
「シャルロッテさま! それは……」
「じゃああなた、まいあさじょうばに付き合ってくれる? いっしょに木のぼりしてくれる? かりにつれて行ってくれる? 私のかわりにおかあさまにしかられてくれる?」
「も、申し訳ありません……! お許しください!」
侍女たちの中には、心を入れ直して誠心誠意務めるようになる者もいれば、公爵夫人に告げ口されることを恐れ、職を辞する者もいた。
もちろんシャルロッテは、告げ口なんてしたことはなかったが。
ただひとつ言えることは、ロッテはいつもアルフレートの味方だった、ということ。
幼い時も、そして今も。
『私がアルを守る……!』
それが、シャルロッテの口癖だ。
シャルロッテ、ごめん。
いつだってきみに守ってもらってたのに、僕は。
――たったひとつの秘密さえ、守れなかった。
♢
「……!」
アルフレートが目覚めた時、初めに目に入ったのは見知らぬ天井だった。
クリーム色をベースにした天井に、細やかで華奢な石膏装飾が映えている。
ふかふかの寝具からゆっくりと体を起こし、アルフレートは辺りを見回してみる。
壁紙は品のあるピンク色にダマスク柄、オフホワイトの扉は、いつも刺繍をしている応接室と同じ彫刻が施されていた。
ということは、ここは王女宮のゲストルーム……?
そこまで考えた時、
「まあ! 目を覚まされたのですね」
耳に入ったのは、今、一番聞きたくなくて一番聞きたかった声――。
繋がった奥にある部屋から、キラキラと輝く金色の髪を揺らして、整った美貌の少女が駆け寄ってきた。
「エデルガルト……嬢」
彼女の名前の最後には、迷った末に敬称をつけた。
入れ替わりがバレてしまった今、もう気安くは呼ぶことなどできない。
エデルガルトは何か言いたげに口を開きかけたが、薔薇色の唇に微笑みをともしただけだった。
「お体の具合はいかがですか?どこか痛いところは?」
「問題ありません。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
華奢なエデルガルトが、アルフレートをひとりでこの部屋に運び込むことは不可能だ。
フロリアン様の指示を仰いで、使用人たちに手伝ってもらったに違いない。
一体何人に、入れ替わりの……ラインフェルデン公爵家の秘密が漏れてしまったのだろう。
静かに落ち込んでいるアルフレートに気づいたのか、エデルガルトは優しく声をかけてきた。
「ここまで運んでくださったのは、フロリアン様なのですよ」
信じられないことを聞いたアルフレートは、目を丸くして顔をあげる。
「あなたでも……冗談をおっしゃるのですね、エデルガルト。……あっ」
思わずいつもの呼び方が出てしまったアルフレートに、エデルガルトは花がほころぶように微笑った。
「そのように呼んでくださって嬉しいわ」
「え?」
アルフレートは、あるはずのない希望を抱く。
もしかしたら、今まで通りに話ができるのではないかと……。
そんな希望はすぐに打ち砕かれたが。
「でもわたくし、少し怒っています」
そう言うとエデルガルトは、つい、とアルフレートから視線を逸らした。
彼女の美しく白い指先が、きゅうっと握り込まれるのがアルフレートの視界に入る。
当然だ。
名前も性別も偽って過ごしていたことが、許されるはずはない。
いつもと変わらないエデルガルトの様子に、甘えようとしてしまった。
「違います、わね。ちっとも少しじゃありませんでしたわ」
そう言うとエデルガルトは、アルフレートから体ごと背けてしまった。
手を伸ばせば触れられる距離だ。
或いは、『こちらを向いてほしい』と頼めば、きっと振り向いてくれるだろう。
だけど、アルフレートにはとてもそんな勇気はなかった。
「……」
今度こそ黙りこくって俯いたアルフレートに、エデルガルトは小さくため息を落とすと、その場にしゃがみ込む。
打ちひしがれるアルフレートは気付けずにいた。
エデルガルトのその令嬢らしからぬ仕草は、アルフレートと目を合わすためにしたものだ、ということに。
「わたくしは、とても寂しかったのです。貴方がわたくしを頼ってくださらなかったことが。それはもちろん、父親同士の関係があまり良くない、ということもあるかもしれませんが……」
怒っている、と言ったエデルガルトの声にはまったく怒気などは感じられなかった。
弟に……エデルガルトには弟は存在しないが、まるで年下の弟妹を嗜めるように彼女は続けた。
「貴方は、わたくしの心に寄り添ってくれたひとです。そんなことは初めてで、とても嬉しくて。だから……わたくしは、貴方のことをおともだちだと思っていたのです……」
おともだち。
何を言われても受け入れるつもりだったアルフレートの胸が、ツキン、と小さく痛む。
だけど、そんなことよりも。
エデルガルトの深い海の色を思わせる瞳に、睫毛の影が落ちていた。
『いつも笑っていたらいいのに』
あの時、スイーツを作れることを喜んでいたエデルガルトの笑顔に、本気でそう思った。
でも今の自分はどうだ。
守るどころか、……彼女の笑顔を壊してるじゃないか。
胸の奥が、ズキズキと痛む。
喉だって、乾き切ってひりついていた。
でも……!
謝らなければいけない、たとえ許してもらえなくても。
そして言わなければ、本当のことを。
自分の口で。
アルフレートは、生まれて初めて勇気を振り絞る。
「あなたを騙していて申し訳ありません。今までの僕は、名前も性別も自分ものじゃなかった」
顔を上げて、アルフレートはしっかりとエデルガルトの瞳を見つめ返す。
「だけど、あなたへの気持ちは嘘ではありません」
アルフレートは自身の指が白くなるほど、ベッドのシーツを握りしめた。
「助けたい、と思ったのです。あなたにはずっと笑っていてほしいと……」
今度こそ逃げるものか。
エデルガルトからも、自分からも。
言葉にしてから、一瞬のような、永遠のような時が流れた気がした。
……そんな中、次に口を開いたのはエデルガルトだった。
「たとえ、貴方がシャルロッテじゃなかったとしても、貴方が私にしてくれたことが無くなってしまう訳じゃないのです。ですから……、あの……」
アルフレートを見つめる、エデルガルトの群青色の瞳が揺れていた。
彼女の長いまつ毛が震え、頰は真っ赤に染まっている。
「わたくし……、おともだちの名前も知らなかったのですよ?」
そうだ。
僕は肝心なところが抜けてる。
アルフレートは小さく息を吸った。
「はじめまして、エデルガルト。僕はアルフレート・ラインフェルデンです」
アルフレートの、柔らかいアルトの声が二人きりのゲストルームに響く。
「アルフレート、貴方はわたくしの初めてのおともだちです」
エデルガルトの美しく優しい微笑みに、今度はアルフレートの顔が朱に染まる番だった。