貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲

真秀は済んだお皿を端に下げると話題を変えた。

「今年はどうする? もう来週じゃない?」

「ああ、まあ……うん」

これ、なんの話かというと――。

「どうしたい? 生誕29周年?」

「言い方!」

ついにやって来る、私の29歳の誕生日。

いよいよ30歳にリーチですよ、と。

「今年はどこがいい? 瑞樹の行きたいお店に行こうよ」

「いや、今年は……」

今まではずっと、真秀が予定を空けてお祝いしてくれていたのだけど、今年はさすがに……。

新婚さんの大事な時間を奪いたくはない。

真秀は気にすることはないと言う。

実際、旦那様も真秀を束縛するタイプではないし。

でも、それでもやっぱり、今までどおりというわけには。

「なんか、お母さんが今年は家で、って」

「そうなの?」

「うん。兄たちも帰ってくるし」

「じゃあ、仕方ないか。でも、日をあらためて絶対に祝うからね」

「ん、ありがとね」

(うそ、ついちゃった……)

兄たちが帰ってくるのは本当だけど、私のためではない。

母にはすでに夕飯は要らないと伝えてあった。

本当は誰とも何の予定もないのに。

別に、親に見栄を張るでもない。

ただ、この歳になってパパとママに誕生祝いをしてもらうのもどうかと。

バチあたりのようだけど、ちょっとキツい。

「また瑞樹のほうが先にお姉さんになるわけだ」

「まあ死ぬまで四月生まれだからね。って、死んでもか?」

「ちょっ……何それ」

こうしていると、ほんとう昔とかわらない。

実際は、かわってないわけないかもだけど、それでもなんでも、この瞬間がたまらなく愛おしかった。

「早く追いついてこーい。一緒に29歳の景色を見ようじゃないの」

「まあ、すぐだあね。しばしお待ちを」

「うぃ」

「そうだ、私ね」

「うん?」

「落ち着いたらまたバレエを始めようと思って」

「ほんとに!?」

瞬間、こみあげる嬉しさに胸がいっぱいになる。

「すすめてくれたの、いっくんが」

「そっか、うん……よかった、ほんとうに」

子どもの頃、私たちは同じバレエ教室に通っていた。

私は小学校の途中でやめてしまったけれど、真秀は中学に入っても、それは熱心にレッスンに通っていた。

ところが、お父様の事業がうまくいかなくなって……。

幸いというか、成績優秀の真秀は特待生として中等科から学費免除だった。

それでも、真秀自身はお家のことを考えて公立へ行くと行ったのだけど。

お母様の「なんとか学苑に残って欲しい」という強いご意向で、転校を思い留まった。

けれども、やはりバレエはやめざるを得なかった。

学費免除とはいえ、やっぱり私学はいろいろお金がかかる。

修学旅行も一緒に行けなかった。

高等科を卒業後、私たちはそのままエスカレーターで上の大学へ。

努力家の真秀は大学もまた学費免除だった。

それだけでも立派なのに、真秀は空いた時間はアルバイトをして家の負担を減らそうと気遣っていた。

サークル活動に打ち込むなんて、そんな考えは毛頭なかったかのように。

私は傍らで真秀を尊敬し応援しながら、心のどこかで恐れを抱いていた。

張りつめた糸が切れやしないか、心が折れたらどうしよう、と。

怖くてこわくて仕方がなかった。

だって、友達を支えるには、私はあまりなも世間知らずで無力だったから。

社会人になる頃には、お家のほうも落ち着いて、真秀の精神的な負担もずいぶん減ったようだった。

そうして、仕事に没頭する日々の中で出逢ったのが松尾さん。

彼氏として松尾さんを紹介されたとき、とても嬉しかった。

嬉しいと同時に、ようやく私は心から安堵した。

「瑞樹は?」

「え?」

「ピアノ、弾いてる?」

「まあ、うーん」

(話の流れから、くるだろうと思ったけど……)

「ウザがられるのを覚悟で言うけど、私は瑞樹にずっと弾いていて欲しいって思ってるよ。瑞樹のピアノ、大好きだから」

(真秀……)

真秀がバレエに情熱を注いでいたように、私は四歳から始めたピアノに本気で打ち込んでいた。

中学の頃、両親に「音高に行って本格的に学びたい」と訴えた。

けれども、父には「何をバカなことを」をあしらわれ、母には「そんなことのために習わせたわけではない」とピシャリと言われた。

それでも、レッスンを続けることは許された。

もちろん、私の意志とは無関係に。

一つのことをコツコツ続けることは評価されるべき美徳であるという両親の考えから。

高校の頃には「音大に行きたい」と訴えたが、答えは同じ。

母には「ただ女の子らしく育って欲しかっただけなのに」と、げんなり溜息をつかれた。

決して両親を恨んだりはしていない。

だって、本気でその道に進みたいのなら親と決別してでも行動すべきだったのだから。

でも、私はそれをしなかった。

すべて自分で決めたこと、選択の責任はすべて自身が負うべきもの。

そう、不甲斐なさも、後悔も――。

「そういえば、披露宴の『花のワルツ』素敵だったね!あの選曲って松尾さんが?」

私は“音楽ネタからの~”くらいのノリでしれっと話をそらした。

「そうみたい。いっくんがバレエの曲がいいかもって言ったら、お友達が選んでくれたんだって」

真秀がちょっと照れながら嬉しそうに笑う。

「すっごい上手くてびっくりしたよ」

「なんかね、皆さんそれなりに歴が長いらしいよ。オケでの出逢いも、みんな経験者同士ってことで意気投合したのが最初って言ってた」

「へえー」

(それじゃあやっぱり、クロカワも)

「真秀だって混ざろうと思えば混ざれるんじゃない?」

「はい?」

「ピアノ、それなりに弾けるじゃない?」

(真秀め、そうきたか……)

何やら含みのある笑顔を向ける真秀に、曖昧に笑ってお茶を濁す。

「私なんて、とてもとても」

「いいじゃない。共通の趣味があるのはポイント高いよ? それに、なんだっけほら“社内の人”はもう好きにならないんだっけ?」

「“同期”は好きにならないだよ!」

(真秀め、ひとの黒歴史を)

「あらそう? とにかく、外へ目を向けてごらんなさいな。世界は広いのよー」

「おもしろがってない?」

「うん。おもしろがりながら本気で心配してる」

それはたぶん真秀の本心。

いい恋をして欲しいと願いながら、傷ついて欲しくないと心配もしている。

(もう、お姉ちゃんか!)

「私のほうが誕生日早いのに……」

「ん? なんか言った?」

「べーつーにー」

私は目をそらしてとぼけながら、氷が溶けて薄まったアイスティーを飲み干した。


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