勇者は魔王と結婚しました

10

 心配そうに息を吐くリリとリムに挟まれ、エメリは苦笑を浮かべる。

「も〜だからマルコには気をつけてねって言ったのに」
「血の海にならなくてよかったね」
「いやそれは本当に……」

 二人の忠告の甲斐なく、マルコと接触した挙句にニグラスに抱き潰された翌日。結局一日中ベッドから出られず、ニグラスに甲斐甲斐しく世話を焼かれて過ごした。一日中ニグラスと篭りきりで誰にも会わないエメリを、双子が怪しまないはずがない。さらに翌日、ようやく部屋から出られたエメリを待ち受けていたのは、ニヨニヨ顔の双子とのお茶会だった。それは紅茶味の牛乳なのでは、と言いたくなる量の牛乳を注いだ紅茶を飲みながら、根掘り葉掘りエメリから聞き出していた双子だったけれど。話が進むにつれて形のいい眉は顰められていった。

「でもさあ、マルコが女の子と見たらちょっかいかけるのなんて今更じゃん」
「しかもニグラスの匂いがする女の子だよ? 興味持つに決まってんのにね」
「それで怒ってエメリ様を抱き潰すのはさあ」
「違うよねえ」

 エメリよりも憤慨する双子を見ながら、「あ、あはは……」と苦笑するしかない。魔族なのに倫理観は人間寄りなんだ、と思いながらスコーンを摘む。双子お手製の焼き菓子は、相変わらずどれも美味しい。サクサクと咀嚼するエメリを置いてけぼりに、二人はヒートアップしている。このままだとニグラスの悪口大会になりかねない、と危惧したエメリは話を逸らすことにした。

「二人もニグラスも、マルコさんとはどういう関係なの?」
「さんなんてつけなくていいよ」
「そうよお、あんな女たらし」

 双子はニグラスのことはなんとも思っていないようだが、マルコの評価は随分と低いらしい。今日一番のしかめ面で、「あいつは本当ねえ」「どうしようもないよねえ」などと言い合っている。

「ニグラスもマルコもうちらも幼馴染っていうか、腐れ縁なの」
「それで、ニグラスとマルコはちっちゃいときから魔力が高かったから次期魔王候補だーなんて言われてたの」
「そうなんだ……」

 薄々わかっていたことだけれど、魔王というのは世襲制ではないらしい。一応王国の勇者であるエメリに教えてくれるだろうか、とドキドキしながら「魔王ってどうやって決まるの?」と尋ねると、答えはあっさり返ってきた。

「お城入ってすぐのところにでっかい玉座があるのわかる?」
「玉座の間ね。あれ本当にでっかいよねえ」
「あ、うん」

 魔王城に乗り込んだとき、ニグラスが座っていた玉座だ、と思い当たった。そういえばあのとき丸められてしまった、エメリの勇者の剣は結局どうなったのだろうか。

「あれって一定量の魔力がないと座れないの」
「その魔力に達した魔族が魔王になれるの」
「えっ、それ私に話してもいいの!?」

 ニグラスに魔族のことを聞いたときを思い出す。聞いておいてだけれど、まさかそんなにしっかり答えてもらえるとは思わなかった。魔王選定がそんなシステムで行われているだなんて、王国中の誰に聞いてもきっと知らないだろう。だから、魔王の誕生は不規則だったのか、とようやく腑に落ちた。けれど、それを一応王国の勇者であるエメリに話してもいいのだろうか。慌てるエメリとは対照的に、双子はきょとんとした顔を見合わせている。

「エメリ様に知られたからって、なんかまずいの?」
「別に困ることないと思うよ」

 二人とも、本心からそう言っているように見えた。魔王選定に重要なアイテムだと知ったエメリが玉座を壊そうとするかも、だなんて欠片も思っていないのだろう。王国にその情報を流して玉座を壊せる魔道具を送ってもらうかもしれない、なんて警戒もしていないのだろう。エメリを信頼しているからだろうか。いいや、違う。

 ――舐められてる。

 リリもリムも、突然現れた勇者のエメリに対して友好的だ。人間の身で魔王夫人の座に居座っているエメリの世話を、嫌な顔ひとつせずに焼いてくれる。こうしてお茶会にも誘ってくれるし、ほとんど友人のような扱いを受けていると言ってもいい。けれど、その根底には、エメリに対する侮りがある。エメリに、というより人間全般に対してだろうか。非力でか弱い人間と仲良くしてくれるけれど、決して対等だとは思っていない。そこに悪意がないのがわかるから、複雑な気持ちにはなれど気分を害されはしないのだろうか。

「楽しそうにしてんなあ」

 種族の違いに思いを馳せていると、聞き覚えはあるものの馴染みのない低音が響く。振り仰ぐ前に、「あっマルコ」「あんたエメリ様に謝んなさいよ」と双子が眉を吊り上げているのが見え、誰が来たのかを悟った。

「はあ? ……ああ、ニグラスの番か」

 よお、と気安く声をかけるマルコに、「こんにちは」と返す。前も言っていたけれど、番とは一体なんなのか。魔族の間では夫婦のことをそんな動物的に呼ぶのが一般的なのだろうか、と思っていると、またしても双子が答えてくれた。

「番だって」
「さすがは狼」

 どうやらマルコは狼の魔族らしい。だから番呼ばわりするのか、と納得している間に双子とマルコはエメリを置いてポンポンと会話を交わしている。ニグラスと双子の会話を聞いているようだと思ったけれど、それよりもテンポが早い。幼馴染というのは誰しもこんなふうに、矢が飛ぶように会話を交わすものなのだろうか。幼馴染のいないエメリにはわからない。

「なんだよ、文句あんのか?」
「ないよ。喧嘩腰やめて」
「ていうか何混ざろうとしてんの。あんたの分のお菓子も紅茶もないよ」
「テーブルの上に山ほどあんだろうが」
「これはうちらのだから」
「食べたいなら自分で作りな」
「めんどくせえ……」

 そういうとマルコは指を鳴らす。何もないところから一脚の椅子が現れ、どかりと腰掛けた。お茶とお菓子はいらないけれどお茶会には混ざりたいらしい。一匹狼というわけではなく、狼らしく群れて行動するのだろうか。ニグラスでさえエメリと双子のお茶会に参加したことはないし、なんなら避けているのに、と思うと余計に驚いた。意外だと思われていることは露知らないマルコ。すんと鼻を鳴らし、エメリを見て顔を顰めた。

「お前またニグラスの匂い強くなってねえ?」
「え?」
「あんたのせいだよ」
「あんたがエメリ様にちょっかいかけたせいだよ」

 双子がじっとりとした目で見ている。そういえばこの間会ったとき、匂いがどうのとも言っていた。なんのことかわからないのだけれど、魔族だからわかるものなのだろうか。それとも狼だからわかるものなのだろうか。双子の非難がましい目にマルコは若干たじろいで、「あんなの挨拶みたいなもんだろ」と言い訳している。

「これだから女たらしは」
「常識が通じないねえ」
「サキュバスには言われたくねえ」
「えっ、二人ってサキュバスなの!?」

 衝撃的な事実に思わず口を挟む。双子が一体何なのか気にしたこともなかったけれど、サキュバスだったらしい。目を丸くしていると、「そうだよお」「言ってなかった?」と平然としている。ニグラスが以前言っていた、「人間の精気を食べるやつ」は双子のことだったのか。

「えっ、お菓子食べるのに!?」
「これは嗜好品」
「エメリ様だってお菓子は必要不可欠な栄養ってわけじゃないでしょ?」
「なるほど……」

 ぐうの音も出ないほど納得しながら、そういえばと思い出す。いつも信じられない量の牛乳を紅茶に入れるのは二人がサキュバスだからなのかもしれない。そういう好みなのだろうと思って口を噤んでいるが、いっそ牛乳だけで飲めばいいのにといつも思っている。

「そういやさっきちょうどマルコの話してたよ」
「そうそう。うちらとニグラスとマルコの関係」
「どういう関係も何もなくね? 腐れ縁」
「だよねえ」
「それ以上でもそれ以下でもないよねえ」

 それにしてはニグラスは随分マルコのことを警戒していたみたいだけど、と思ったのが顔に出ていたのだろうか。「マルコの女たらしっぷりは有名だからね」「そりゃ好きな子を近づけたくはないよ」と双子は肩をすくめた。結婚までしておいて今更だけれど、ニグラスの「好きな子」として認識されているのはなんだか面映い。

「そ、そうなんだ……」
「何照れてんだこいつ」
「初心なんだよ。揶揄わないで」
「ニグラス今一生懸命頑張ってんだから」

 双子の励ましがなんだか今日は違って聞こえる。勇者と魔王がもだもだやっている様子を、サキュバスは一体どういう目で見ていたのだろうか。今朝のことを思い出して勝手に恥ずかしくなった。一人恥いるエメリに構わず、マルコは勝手にスコーンを摘んで双子から手を叩かれている。サキュバスは狼のつまみ食いを許さない。いじけたように手を摩りながら、「お前はニグラスのことどう思ってんだ?」とエメリに投げかけた。予想外の質問に思わず咽せる。

「うわ直球」
「こっちが丁寧に聞き出そうとしてたのに」
「知るかよ。で、どうなんだ?」
「グイグイくるな……」

 一応嗜めてくれはするものの、サキュバスの瞳は好奇心を隠さない。答えるまで返してもらえなさそうだ。勇者が魔族三人に囲まれてやっていることが恋バナとは一体なんなのだろう、と改めて思った。エメリは紅茶を一口飲むと、諦めて口を開く。

「好きに、なろうと思ってる」
「おお」
「意外と脈あり」

 キャッと色めき立つ双子。昨日ニグラスに言われた、「ほんのちょっとでいいから僕のこと好きになってほしい」という言葉は、思った以上にエメリに刺さっていた。稽古漬けの日々で、友達も恋人もいなかったからかもしれない。ストレートに好意を向けられ、強請るように気持ちを乞われるのはエメリにとって初めてのことだったのだ。「ニグラスはいいやつだよ」「うん、魔王頑張ってるし」と勧めてくる双子。きゃっきゃと楽しそうな二人とは対照的に、マルコは眉間に皺を寄せた。

「はあ? なんだそりゃ、くだらねえ」
「ちょっと、マルコ」
「何水差すようなこと言ってんの」

 咎める双子に舌を出し、怒ったようにエメリを見つめる。望んだ答えが返ってこなかったと言いたげな、失望しているような目つき。二度ほどしか会ったことのないエメリに、何を期待していたのだろう。わからないけれど、落胆するような視線を向けられるのはなんだか居心地が悪い。場の空気が冷えていく気がする。今までに向けられたことのない類の視線にたじろぐエメリを気にせず、マルコは口を開いた。

「ニグラスがお前のこと好きだから、お前も好きになる? それのどこにお前の意思があるんだよ」
「そ、れは……」
「じゃあ例えば、俺がお前のこと好きつったら俺のこと好きになんのか?」

 マルコの言葉に目を見開く。心臓がどきりと嫌な音を立てた。喉に何か突っ込まれたように、言葉がうまく出てこない。エメリが何か言うより早く、「おおっ!?」「魔王城で三角関係!?」と双子がざわついた。急激に冷えていく場の空気を双子が気にすることはない。

「例えばつってんだろうが、色情魔」
「そりゃサキュバスだからね」
「合ってるね」
「第一、こんなちんちくりんに興味はねえ」

 この間同様、酷い言い様だと思ったけれど、反論する気力すらない。双子は、「酷い」「ニグラスの好きな子になんてこと言うのよ」とぷんすかしている。ありがたいと感謝したけれど、口を挟む余裕はなかった。頭の中で先ほどのマルコの言葉がぐるぐると回る。考えもしなかった例え話は、エメリを動揺させるには十分だった。無意識のうちに、左手の指輪に触れる。

 ――いつかはわからないけど、ニグラスのこと好きになる。

 自分が発した言葉に嘘はない。今はまだわからないけれど、いつかは好きになると思っているし、そうなったらいいと願っている。ニグラスが傾けてくれる気持ちに、ほんの少しでも返したいと思っているのは本当だ。けれど、それはエメリの意思ではないのだろうか。返したい、と言う気持ちから好きになるのは、ニグラスのことが好きだと胸を張って言えるものではないのだろうか。もし相手がニグラスではなく、マルコだとしても同じように思ったのだろうか。

「ニグラスが番に選んだのが勇者だろうと人間だろうと興味はねえ」

 固まったエメリを一瞥しながら、マルコは席を立つ。どさくさに紛れてスコーンを取っていくのを双子は咎めたけれど、今度は無視しながら続きを口にする。

「けど、あいつは魔王で、俺たち魔族を統べる存在だ。舐めた真似はするな」

 釘を刺すように言われて、エメリが返せる言葉は何一つとしてない。双子は、「まあわかるけどさあ」「もうちょっと言い方ってない?」と同調しつつ呆れている。それが余計にエメリに衝撃を与えた。エメリの今の態度は、魔王を舐めていると取られても仕方のないことなのだろうか。

 ――ニグラス……。

 今ここにいない魔王に思いを馳せる。彼は今、魔王城のどこでどうしているのだろうか。魔王城に来てから初めてのことだけれど、無性に会いたくなってしまった。
< 10 / 20 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop