言い出せないまま(She Don't Know Me)
 放課後になると、4階の教室から、グラウンドの彼のことをこっそり見ていた。
 これといってどうしたい、ということもなく、ただ見つめているだけでよかった。
 それだけで胸がときめいて、特別な時間を過ごしているような気がしたから。
 確か、そんな内容の歌謡曲があったっけ⋯⋯。

 やがて、彼も同じ学年だということを知り、中野貴史という名前であることを知る機会もあった。
 教室が離れているので、滅多にすれ違うこともなかったが、時折すれ違った時は、緊張のあまり手のひらが濡れるほどで。
 彼は、まさに初めて見た時のイメージ通りの一匹狼タイプで、誰かとつるんでいるところも、笑顔も見たことがない。
 いつもひとりで居る姿が、これほど絵になる人は、初めて見た。
 私は、そんな彼に感化されたのだろうか。
 さほど気が合うわけでもない同じグループの子たちとは、少しずつ距離をおいて、彼の孤高さを真似てみた。
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