《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

Scene12「絡まり始めた視線」

 撮影は、なんとか無事に終わった。
 けれど、現場に残る空気はどこか重い。
 照明が落とされ、スタッフの笑い声が遠のいても、
 麻里奈の胸の鼓動だけが、いつまでも速いままだった。
 
 ――さっきの、控室。
 大和の腕の中で感じた体温。
 名前を呼ばれたときの、少し掠れた声。
 
 どれも、簡単に忘れられるものじゃない。
 
(落ち着かなきゃ……仕事に戻らなきゃ)
 
 そう思いながら、片づけをするフリをして視線を動かす。
 少し離れた場所で、大和がスタッフに囲まれて談笑していた。
 笑顔は自然なのに、その奥に、かすかな影が見える気がした。
 
 その時だった。
 
「……さっきの、控室のこと」
 
 背後から、静かな声。
 振り向くと、須田光輝が立っていた。
 いつもの穏やかな表情ではなく、眼差しだけが真剣だった。
 
「……ほんとに“何もない”って、言い切れる?」
 
「え……?」
 
 光輝はゆっくりと歩み寄り、低い声で続ける。
 
「俺、プロデューサーだからさ。
 撮影に影響が出るようなことには、目を光らせておかないといけない」
 
 言葉の形は“仕事”。
 けれど、その瞳に宿るのは、それ以上の何かだった。
 
「……ごめんなさい。動揺させるつもりはなかったんです。
 ただ、あの時、咄嗟に――」
 
「わかってる」
 
 光輝は短く息を吐き、言葉を選ぶように視線を落とした。
 
「でも、俺には見えてしまうんだ。
 彼の目も、君の手の震えも。
 あの瞬間、君たちは“演技”じゃなかった」
 
 麻里奈の指先が、かすかに震えた。
 否定したいのに、言葉が出てこない。
 
「……俺、やっぱり男だからさ」
 
 静かな声。
 そこに、抑えきれない感情の揺らぎが混じる。
 
「ああいう目をしてる男が、何を思ってるか……わかるんだ」
 
 麻里奈は目を伏せた。
 “何もない”と言い切れない自分が、そこにいた。
 
「……須田さん」
 
 呼びかける声は小さく、風に消えた。
 光輝は何も言わず、ただ微かに笑って、その場を離れる。


 スタジオの隅。
 その光景を、ひとりの青年が見つめていた。
 
 大和。
 
 モニター前に立ち、確認のふりをしながら、視線だけを遠くへ向けていた。
 光輝が麻里奈に歩み寄り、何かを囁く。
 麻里奈は、黙って目を伏せる。
 
 それだけで、十分だった。
 
(……やっぱり、そういう関係なんだ)
 
 喉の奥が、焼けるように痛い。
 胸の中で、黒いもやがゆっくりと広がっていく。
 
 あの抱擁のあとに見た、彼女の表情。
 そして今、別の男の前で浮かべた沈黙。
 
(……それでも、俺は何も言えない)
 
 手の中のペットボトルを、無意識に強く握る。
 冷たい水が、指先に滲み出した。
 
 ――絡まり始めた視線。
 それは、三人の心を静かに縛りつけていく。
 
 誰も、その糸をほどけないまま。
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