落とされる気なんてなかったのに
《第1話 代打マネージャーなんて聞いてない》
――人生って、たまに本気で意味がわからない。
「ねえ、七海。本当に本当にごめん! 代わりに行ってきて!!」
放課後の教室で、机にしがみつきながら土下座ポーズをとっているのは、幼なじみにして親友の美咲だ。
その手には、ピンク色の封筒と、見慣れない社員証みたいなカード。
「ちょ、ちょっと待って、美咲。
“行ってきて”って……どこに?」
「芸能事務所!!」
「……は?」
あまりの単語に、思わず変な声が出た。
「この前話したでしょ? 親戚のおじさんのツテで、アイドル事務所のマネージャー補助の短期バイト決まったって。
でもさ、うちのお母さん急に入院することになって……今日からしばらく付き添わなきゃだから、行けなくなっちゃって。
で、代わりを頼めるの、七海しかいないの!」
「マネージャー……って、あの、タオル渡したりスケジュール管理したりする、あの?」
「そうそう!! 大丈夫大丈夫、ちゃんと社員さんがいるから、七海は“お手伝いさん”って感じだって!」
大丈夫、という言葉ほど大丈夫じゃないときに使われる言葉はないと思う。
「で、そのアイドルって誰?」
「えっとね――」
美咲が、スマホの画面を私の目の前に突き出してくる。
そこには、キラキラの笑顔でピースをしている男の子たちの写真があった。
センターで笑う、茶色の髪の男の子。
信じられないくらい整った顔なのに、どこか子犬みたいに人懐っこい空気をまとっている。
「今いっちばん人気のグループ、『Re:star(リスタ)』だよ!
で、七海がつくのは、そのセンターの子。一ノ瀬玲央くん!!」
「…………」
ごめん。正直、聞いたことない。
私の沈黙から何かを察したのか、美咲は机に突っ伏した。
「うそでしょ七海……今この名前知らない女子、高校であなただけかもしれない……」
「だって、アイドルとか詳しくないもん。
歌とかドラマは見るけど、“誰が好き”とかあんまり考えたことないし」
「だからこそちょうどいいんだって!
ガチ恋ファンだったら、冷静に仕事できないでしょ?
ほら、七海って頼まれたら断れない優しい子じゃん?」
それ、完全に悪用されてない?
でも、美咲のお母さんの顔が頭に浮かんで、私は観念した。
「……わかった。今日だけ、だからね?」
「七海!! 愛してる!!」
美咲が勢いよく抱きついてきて、私の肩に顔を埋める。
その声が、やけに切実で、ほんの少しだけ不安になる。
――このときの私は、まだ知らなかった。
軽い気持ちで引き受けた“代打マネージャー”が、
私の人生を、とんでもなく甘くて、めんどくさい方向に変えていくなんて。
***
指定された事務所ビルは、想像していたよりもずっと大きくて、ピカピカで、入口からして場違いなオーラを放っていた。
(帰りたい……)
自動ドアの前で立ち尽くしていると、後ろからドンっと誰かとぶつかった。
「ごめんなさい!」
「あ、ごめん。大丈夫?」
低くて、よく通る声。
振り向くと、キャップを目深にかぶった男の人が、申し訳なさそうに片手を上げていた。
マスクで半分隠れているけど、目元だけでもわかる。絶対イケメンだ、この人。
心臓が、ちょっとだけ跳ねた。
「……?」
「怪我、してない?」
「あ、はいっ。大丈夫です」
「そっか。――行こっか」
「え?」
男の人はそのまま、当たり前みたいに自動ドアのほうへ歩いていく。
そして、ふと振り返り、マスク越しに少し笑った。
「ここの人でしょ? なんか、“初日です”って顔してたから」
「は、初日です……」
図星すぎて変な返事になってしまう。
「受付まで、ついでだから案内してあげるよ」
そう言って、彼は片手をひらりと振った。
その仕草が、どこか見覚えがあるような、ないような――。
***
控え室の扉の前で、私はごくりとつばを飲み込んだ。
「ここが一ノ瀬くんの部屋だから。中に、もう本人いるからね」
社員さんにそう言われ、私は深呼吸をひとつ。
ノックをして、ドアを開ける。
「し、失礼します……!」
中には、ソファに座って雑誌をパラパラとめくっている男の子がひとり。
さっきの、キャップの人だった。
キャップもマスクも外した彼は――
さっきよりもずっと“キラキラ”していて、思わず息を飲む。
(……え、なにこの顔面)
「……ああ、さっきの」
彼が顔を上げ、じろりと私を見る。
さっき入口で見せた柔らかい笑みとは違う、どこか冷たい目つき。
「初日マネージャーちゃん?」
「あ、えっと。代わりに来ました、七海です。よろしくお願いします」
「ふーん」
一ノ瀬玲央。
さっき社員さんがそう紹介してくれた、この国民的(らしい)アイドルは、
雑誌をテーブルに放り出し、つまらなそうに言った。
「とりあえずさ」
「は、はい」
「ボサっと突っ立ってないで、荷物くらい片付けてくんない?
俺の時間、無駄にしないで」
――え?
一瞬、耳を疑った。
さっきの優しげな声とは、まるで別人。
目の前の彼は、テレビで見る“キラキラ王子様”ではなくて、
毒舌で、どこまでも俺様な男の子だった。
(……なに、この二重人格みたいなアイドル)
私の“代打マネージャー生活”は、
こうして最悪な第一印象から、幕を開けたのだった。
「ほら、そこのバッグ。床に置いたままにしないで。
衣装シワになったらどうすんの?」
玲央がソファにふんぞり返ったまま、つま先で“そのバッグ”をポン、と小突いた。
「え、あ、はいっ。すみません」
(なにこの態度……!?)
テレビの中で見たっぽい彼の“爽やかスマイル”が脳裏で粉々に砕けた気がした。
そもそも私はファンじゃないけど、
ここまでハッキリとした“性格悪い疑惑”は聞いてない。
「ねえ」
「は、はい?」
「そんなに目ぇまんまるにして。どうした? 俺のこと、知らなかった系?」
「……すみません。あんまり芸能界に詳しくなくて」
すると、玲央はゆっくりと身体を起こし、
ソファの背に片腕をかけて、私をじっと観察するように見つめた。
「ふーん……」
「……?」
「なるほどね。
――だから、俺の笑顔にも反応薄かったわけだ」
(反応……!?)
思わず声が詰まる。
「普通さ、初日スタッフなら“本物だ!”ってもっとびびるだろ。
なのに、お前だけ落ち着きすぎてる。変な奴」
「へ、変じゃないです! 仕事を……しようとしてるだけです」
「へぇ。真面目ちゃんなわけ?」
玲央は少しだけ唇の端を上げて、
“挑発する男の顔”をした。
「俺のこと好きでもないのに、一緒に仕事できんの?
アイドルの担当って、結構きついぜ?」
「す、好きでもないって……! そ、それは……」
「お前さ、嘘つくの下手すぎ」
すっと立ち上がり、私の目の前に立つ。
近い。
(ち、近い近い近い!!)
顔が近すぎて、思わず後ろに下がろうとした瞬間――
玲央の手が、私の腰の後ろにすっと回った。
「っ……!?」
「動くなよ。あぶねーから」
さっきまで“毒舌モード”だったくせに、
突然低い声で、やたら優しいトーンで言ってくる。
そのギャップに、頭が混乱しそうになる。
「お前、前だけ見て歩くタイプだろ。
控え室、意外と段差多いんだよ」
「あ、ありがとうございます……」
「別に優しさじゃねぇから。
スタッフが怪我したら、撮影スケジュール狂うから困るだけ」
(はい出た、毒舌……!)
ホッとしたのか呆れたのかわからない感情が胸でぐるぐるする。
「でさ」
玲央は、腰に添えた手をそのままに、
私の顔を覗き込んでニヤッと笑った。
「お前みたいに反応薄い女、初めてだし」
「……は?」
「俺の顔見て心臓バクバクしないとか、
……ちょっとムカつくんだけど?」
(む、ムカつくって……!?)
「べ、別にムカつかなくても……!」
「するよ。俺、“落ちない女”嫌いだし」
その言葉は、まるで宣戦布告のように聞こえた。
「七海」
「!?」
突然名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。
玲央は、まっすぐに私の目を見て言った。
「お前……ちょっと面白いかもな」
(……面白い? 面白いってなに!?)
「今日からしばらく、よろしく。
あー……でも、言っとくけど」
腰に添えられた手が、ふっと離れる。
その解放感に、逆に胸がざわついた。
「俺の邪魔だけはするなよ?」
「し、しません!」
「ほんとかぁ?」
確信があるみたいな口調。
からかってるのはわかるけど、どこか本気にも聞こえる。
「俺の仕事の邪魔したら……」
玲央は一歩近づき、耳元で低く囁いた。
「容赦しねぇから」
「……っ!」
一瞬で耳まで赤くなるのが、自分でもわかった。
その反応を見た玲央は、
“ニヤァ”と、王子じゃなくて“悪い顔”をした。
「ほら、やっぱ反応するじゃん」
(っ……してないっ……!!)
「お前、反応しないふりして、結構わかりやすいタイプ?」
「ち、違います!」
「はいはい。
――ま、楽しませてもらうわ」
そう言って彼は、手をひらりと振りながら控え室を出て行く。
残された私は、へたりとソファに座り込んだ。
(なにこれ……
あの有名アイドル、実は性格最悪なんじゃ……)
そう思ったのに。
なぜか胸がドキドキしている自分が、
一番理解できなかった。
控え室での騒動(という名の玲央の嫌がらせ)から、
あっという間に一時間後。
「そろそろファンイベント始まるから、ステージ裏に移動するよー」
社員さんに声をかけられ、私はバタバタと資料を抱えてついていく。
まだ心臓が落ち着いていなくて、手に汗がにじんでいるのがわかる。
(なんで私、あんなに動揺してんだろ……)
そう自分にツッコミを入れつつステージ袖に入ると――
そこには、さっきとは別人みたいにキラキラした玲央がいた。
衣装に着替え、ライトの反射で髪がふわっと光っている。
スタッフに「よろしくお願いします!」と明るく声をかけ、
ファンの歓声が聞こえる方向に向かって手を振る。
その笑顔は、“さっき私が見た男”じゃなかった。
(……すごい。ほんとに別の人みたい)
「一ノ瀬さん、そろそろ登壇お願いします!」
「はーい!」
元気な返事と同時に、玲央はふっと私の存在に気づいたのか振り向いた。
そして――にこっ。
天使かと思うレベルの笑顔。
「七海、さっきの荷物ありがとな。助かった」
「っ……!? ど、どういたしまして……」
(ちょ、さっき私にあんな毒舌してきた人と同一人物!?)
混乱している私を置き去りに、玲央はステージに出ていった。
次の瞬間――。
割れんばかりの悲鳴と歓声がイベント会場を包む。
『れおー!!』『今日もかっこいい!!』
ファンの声はものすごい熱量で、
その中心にいる玲央は、堂々と手を振り、笑い、
ときどき“ちょっと恥ずかしそうに照れる”なんて仕草までしてみせる。
(こ、これが……国民的アイドル……?)
画面越しの“アイドル”は知っていたけど、
本物の熱狂は、もっとすごかった。
『みんな~、今日も会いに来てくれてありがと!
俺、こうしてみんなの前に立つと……ほんと幸せです!』
甘い声、優しい笑顔、ファン一人ひとりを大切にするような視線。
(舞台での彼って……こんなに優しいんだ)
思わず見惚れてしまって、
自分でもそれに気づいてハッとする。
(え、ちょっと……何見惚れてんの私!?)
慌てて視線をそらした瞬間、
ステージからの照明の隙間越しに、玲央がちらっとこちらを見た気がした。
(……え? 今、見た?)
まさかと思ったけれど、
その一瞬、どこか楽しそうに笑った気がする。
***
イベントが終わり、ステージ裏に戻ってきた玲央は、
衣装のままペットボトルの水を飲みながら汗をぬぐった。
「は~~疲れた。けど、楽勝だな」
(舞台裏の態度……戻った……)
しっかりと、毒舌アイモード。
「さっきの……すごかったです。
玲央さん、ほんとに……別人みたいで」
「別人じゃねぇし。
アイドルの前でアイドルやってんの。普通だろ?」
「そ、そうですけど……」
「――で? ちょっとは見惚れた?」
「っ!! み、見惚れてません!」
「顔赤いけど?」
「赤くないです!!」
「はいはい。嘘つくの下手だな、お前」
玲央はわざとらしくため息をつき、
肩をすくめて笑った。
「でもまあ……“ちょっとくらい”可愛い反応するんだな」
その言い方が、まるでからかっているのに、
妙に優しい。
胸の奥が、ズキッ、と変に鳴った。
「ま、今日は初日だしこんなもんだろ。
――でもさ」
玲央は一歩近づいてきて、
ステージライトで汗に光る髪を揺らしながら私を見下ろす。
「お前、俺に興味ねぇわけじゃないんだろ?」
「ち、違……!」
「目、泳いでんぞ? 素直になれよ」
「っ、違うってば!!」
「ふーん。じゃあさ」
玲央は、わざと私の顔のすぐ近くに手を突き、
壁をドンと塞ぐ。
(か、壁ドン……!? 近い、近い!!)
距離、あと十センチ。
呼吸が混ざりそうな近距離。
そのまま、低く囁く。
「……お前が“落ちないふりする女”なら」
(……女?)
喉が詰まる。
「俺が、落ちるようにしてやるよ」
「っ……!!」
「覚悟しとけ。七海」
玲央の瞳は、本気で。
でもどこか、ゲームを始める前のような高揚があって。
(これ……絶対めんどくさいことになるやつ……!!)
心臓がうるさいくらいに鳴っていた。
***
こうして私の“代打マネージャー生活”は、
とんでもなく甘くて危険な時間へ突入していく。
それが、“落としゲーム”の始まりとも知らずに――。
「ねえ、七海。本当に本当にごめん! 代わりに行ってきて!!」
放課後の教室で、机にしがみつきながら土下座ポーズをとっているのは、幼なじみにして親友の美咲だ。
その手には、ピンク色の封筒と、見慣れない社員証みたいなカード。
「ちょ、ちょっと待って、美咲。
“行ってきて”って……どこに?」
「芸能事務所!!」
「……は?」
あまりの単語に、思わず変な声が出た。
「この前話したでしょ? 親戚のおじさんのツテで、アイドル事務所のマネージャー補助の短期バイト決まったって。
でもさ、うちのお母さん急に入院することになって……今日からしばらく付き添わなきゃだから、行けなくなっちゃって。
で、代わりを頼めるの、七海しかいないの!」
「マネージャー……って、あの、タオル渡したりスケジュール管理したりする、あの?」
「そうそう!! 大丈夫大丈夫、ちゃんと社員さんがいるから、七海は“お手伝いさん”って感じだって!」
大丈夫、という言葉ほど大丈夫じゃないときに使われる言葉はないと思う。
「で、そのアイドルって誰?」
「えっとね――」
美咲が、スマホの画面を私の目の前に突き出してくる。
そこには、キラキラの笑顔でピースをしている男の子たちの写真があった。
センターで笑う、茶色の髪の男の子。
信じられないくらい整った顔なのに、どこか子犬みたいに人懐っこい空気をまとっている。
「今いっちばん人気のグループ、『Re:star(リスタ)』だよ!
で、七海がつくのは、そのセンターの子。一ノ瀬玲央くん!!」
「…………」
ごめん。正直、聞いたことない。
私の沈黙から何かを察したのか、美咲は机に突っ伏した。
「うそでしょ七海……今この名前知らない女子、高校であなただけかもしれない……」
「だって、アイドルとか詳しくないもん。
歌とかドラマは見るけど、“誰が好き”とかあんまり考えたことないし」
「だからこそちょうどいいんだって!
ガチ恋ファンだったら、冷静に仕事できないでしょ?
ほら、七海って頼まれたら断れない優しい子じゃん?」
それ、完全に悪用されてない?
でも、美咲のお母さんの顔が頭に浮かんで、私は観念した。
「……わかった。今日だけ、だからね?」
「七海!! 愛してる!!」
美咲が勢いよく抱きついてきて、私の肩に顔を埋める。
その声が、やけに切実で、ほんの少しだけ不安になる。
――このときの私は、まだ知らなかった。
軽い気持ちで引き受けた“代打マネージャー”が、
私の人生を、とんでもなく甘くて、めんどくさい方向に変えていくなんて。
***
指定された事務所ビルは、想像していたよりもずっと大きくて、ピカピカで、入口からして場違いなオーラを放っていた。
(帰りたい……)
自動ドアの前で立ち尽くしていると、後ろからドンっと誰かとぶつかった。
「ごめんなさい!」
「あ、ごめん。大丈夫?」
低くて、よく通る声。
振り向くと、キャップを目深にかぶった男の人が、申し訳なさそうに片手を上げていた。
マスクで半分隠れているけど、目元だけでもわかる。絶対イケメンだ、この人。
心臓が、ちょっとだけ跳ねた。
「……?」
「怪我、してない?」
「あ、はいっ。大丈夫です」
「そっか。――行こっか」
「え?」
男の人はそのまま、当たり前みたいに自動ドアのほうへ歩いていく。
そして、ふと振り返り、マスク越しに少し笑った。
「ここの人でしょ? なんか、“初日です”って顔してたから」
「は、初日です……」
図星すぎて変な返事になってしまう。
「受付まで、ついでだから案内してあげるよ」
そう言って、彼は片手をひらりと振った。
その仕草が、どこか見覚えがあるような、ないような――。
***
控え室の扉の前で、私はごくりとつばを飲み込んだ。
「ここが一ノ瀬くんの部屋だから。中に、もう本人いるからね」
社員さんにそう言われ、私は深呼吸をひとつ。
ノックをして、ドアを開ける。
「し、失礼します……!」
中には、ソファに座って雑誌をパラパラとめくっている男の子がひとり。
さっきの、キャップの人だった。
キャップもマスクも外した彼は――
さっきよりもずっと“キラキラ”していて、思わず息を飲む。
(……え、なにこの顔面)
「……ああ、さっきの」
彼が顔を上げ、じろりと私を見る。
さっき入口で見せた柔らかい笑みとは違う、どこか冷たい目つき。
「初日マネージャーちゃん?」
「あ、えっと。代わりに来ました、七海です。よろしくお願いします」
「ふーん」
一ノ瀬玲央。
さっき社員さんがそう紹介してくれた、この国民的(らしい)アイドルは、
雑誌をテーブルに放り出し、つまらなそうに言った。
「とりあえずさ」
「は、はい」
「ボサっと突っ立ってないで、荷物くらい片付けてくんない?
俺の時間、無駄にしないで」
――え?
一瞬、耳を疑った。
さっきの優しげな声とは、まるで別人。
目の前の彼は、テレビで見る“キラキラ王子様”ではなくて、
毒舌で、どこまでも俺様な男の子だった。
(……なに、この二重人格みたいなアイドル)
私の“代打マネージャー生活”は、
こうして最悪な第一印象から、幕を開けたのだった。
「ほら、そこのバッグ。床に置いたままにしないで。
衣装シワになったらどうすんの?」
玲央がソファにふんぞり返ったまま、つま先で“そのバッグ”をポン、と小突いた。
「え、あ、はいっ。すみません」
(なにこの態度……!?)
テレビの中で見たっぽい彼の“爽やかスマイル”が脳裏で粉々に砕けた気がした。
そもそも私はファンじゃないけど、
ここまでハッキリとした“性格悪い疑惑”は聞いてない。
「ねえ」
「は、はい?」
「そんなに目ぇまんまるにして。どうした? 俺のこと、知らなかった系?」
「……すみません。あんまり芸能界に詳しくなくて」
すると、玲央はゆっくりと身体を起こし、
ソファの背に片腕をかけて、私をじっと観察するように見つめた。
「ふーん……」
「……?」
「なるほどね。
――だから、俺の笑顔にも反応薄かったわけだ」
(反応……!?)
思わず声が詰まる。
「普通さ、初日スタッフなら“本物だ!”ってもっとびびるだろ。
なのに、お前だけ落ち着きすぎてる。変な奴」
「へ、変じゃないです! 仕事を……しようとしてるだけです」
「へぇ。真面目ちゃんなわけ?」
玲央は少しだけ唇の端を上げて、
“挑発する男の顔”をした。
「俺のこと好きでもないのに、一緒に仕事できんの?
アイドルの担当って、結構きついぜ?」
「す、好きでもないって……! そ、それは……」
「お前さ、嘘つくの下手すぎ」
すっと立ち上がり、私の目の前に立つ。
近い。
(ち、近い近い近い!!)
顔が近すぎて、思わず後ろに下がろうとした瞬間――
玲央の手が、私の腰の後ろにすっと回った。
「っ……!?」
「動くなよ。あぶねーから」
さっきまで“毒舌モード”だったくせに、
突然低い声で、やたら優しいトーンで言ってくる。
そのギャップに、頭が混乱しそうになる。
「お前、前だけ見て歩くタイプだろ。
控え室、意外と段差多いんだよ」
「あ、ありがとうございます……」
「別に優しさじゃねぇから。
スタッフが怪我したら、撮影スケジュール狂うから困るだけ」
(はい出た、毒舌……!)
ホッとしたのか呆れたのかわからない感情が胸でぐるぐるする。
「でさ」
玲央は、腰に添えた手をそのままに、
私の顔を覗き込んでニヤッと笑った。
「お前みたいに反応薄い女、初めてだし」
「……は?」
「俺の顔見て心臓バクバクしないとか、
……ちょっとムカつくんだけど?」
(む、ムカつくって……!?)
「べ、別にムカつかなくても……!」
「するよ。俺、“落ちない女”嫌いだし」
その言葉は、まるで宣戦布告のように聞こえた。
「七海」
「!?」
突然名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。
玲央は、まっすぐに私の目を見て言った。
「お前……ちょっと面白いかもな」
(……面白い? 面白いってなに!?)
「今日からしばらく、よろしく。
あー……でも、言っとくけど」
腰に添えられた手が、ふっと離れる。
その解放感に、逆に胸がざわついた。
「俺の邪魔だけはするなよ?」
「し、しません!」
「ほんとかぁ?」
確信があるみたいな口調。
からかってるのはわかるけど、どこか本気にも聞こえる。
「俺の仕事の邪魔したら……」
玲央は一歩近づき、耳元で低く囁いた。
「容赦しねぇから」
「……っ!」
一瞬で耳まで赤くなるのが、自分でもわかった。
その反応を見た玲央は、
“ニヤァ”と、王子じゃなくて“悪い顔”をした。
「ほら、やっぱ反応するじゃん」
(っ……してないっ……!!)
「お前、反応しないふりして、結構わかりやすいタイプ?」
「ち、違います!」
「はいはい。
――ま、楽しませてもらうわ」
そう言って彼は、手をひらりと振りながら控え室を出て行く。
残された私は、へたりとソファに座り込んだ。
(なにこれ……
あの有名アイドル、実は性格最悪なんじゃ……)
そう思ったのに。
なぜか胸がドキドキしている自分が、
一番理解できなかった。
控え室での騒動(という名の玲央の嫌がらせ)から、
あっという間に一時間後。
「そろそろファンイベント始まるから、ステージ裏に移動するよー」
社員さんに声をかけられ、私はバタバタと資料を抱えてついていく。
まだ心臓が落ち着いていなくて、手に汗がにじんでいるのがわかる。
(なんで私、あんなに動揺してんだろ……)
そう自分にツッコミを入れつつステージ袖に入ると――
そこには、さっきとは別人みたいにキラキラした玲央がいた。
衣装に着替え、ライトの反射で髪がふわっと光っている。
スタッフに「よろしくお願いします!」と明るく声をかけ、
ファンの歓声が聞こえる方向に向かって手を振る。
その笑顔は、“さっき私が見た男”じゃなかった。
(……すごい。ほんとに別の人みたい)
「一ノ瀬さん、そろそろ登壇お願いします!」
「はーい!」
元気な返事と同時に、玲央はふっと私の存在に気づいたのか振り向いた。
そして――にこっ。
天使かと思うレベルの笑顔。
「七海、さっきの荷物ありがとな。助かった」
「っ……!? ど、どういたしまして……」
(ちょ、さっき私にあんな毒舌してきた人と同一人物!?)
混乱している私を置き去りに、玲央はステージに出ていった。
次の瞬間――。
割れんばかりの悲鳴と歓声がイベント会場を包む。
『れおー!!』『今日もかっこいい!!』
ファンの声はものすごい熱量で、
その中心にいる玲央は、堂々と手を振り、笑い、
ときどき“ちょっと恥ずかしそうに照れる”なんて仕草までしてみせる。
(こ、これが……国民的アイドル……?)
画面越しの“アイドル”は知っていたけど、
本物の熱狂は、もっとすごかった。
『みんな~、今日も会いに来てくれてありがと!
俺、こうしてみんなの前に立つと……ほんと幸せです!』
甘い声、優しい笑顔、ファン一人ひとりを大切にするような視線。
(舞台での彼って……こんなに優しいんだ)
思わず見惚れてしまって、
自分でもそれに気づいてハッとする。
(え、ちょっと……何見惚れてんの私!?)
慌てて視線をそらした瞬間、
ステージからの照明の隙間越しに、玲央がちらっとこちらを見た気がした。
(……え? 今、見た?)
まさかと思ったけれど、
その一瞬、どこか楽しそうに笑った気がする。
***
イベントが終わり、ステージ裏に戻ってきた玲央は、
衣装のままペットボトルの水を飲みながら汗をぬぐった。
「は~~疲れた。けど、楽勝だな」
(舞台裏の態度……戻った……)
しっかりと、毒舌アイモード。
「さっきの……すごかったです。
玲央さん、ほんとに……別人みたいで」
「別人じゃねぇし。
アイドルの前でアイドルやってんの。普通だろ?」
「そ、そうですけど……」
「――で? ちょっとは見惚れた?」
「っ!! み、見惚れてません!」
「顔赤いけど?」
「赤くないです!!」
「はいはい。嘘つくの下手だな、お前」
玲央はわざとらしくため息をつき、
肩をすくめて笑った。
「でもまあ……“ちょっとくらい”可愛い反応するんだな」
その言い方が、まるでからかっているのに、
妙に優しい。
胸の奥が、ズキッ、と変に鳴った。
「ま、今日は初日だしこんなもんだろ。
――でもさ」
玲央は一歩近づいてきて、
ステージライトで汗に光る髪を揺らしながら私を見下ろす。
「お前、俺に興味ねぇわけじゃないんだろ?」
「ち、違……!」
「目、泳いでんぞ? 素直になれよ」
「っ、違うってば!!」
「ふーん。じゃあさ」
玲央は、わざと私の顔のすぐ近くに手を突き、
壁をドンと塞ぐ。
(か、壁ドン……!? 近い、近い!!)
距離、あと十センチ。
呼吸が混ざりそうな近距離。
そのまま、低く囁く。
「……お前が“落ちないふりする女”なら」
(……女?)
喉が詰まる。
「俺が、落ちるようにしてやるよ」
「っ……!!」
「覚悟しとけ。七海」
玲央の瞳は、本気で。
でもどこか、ゲームを始める前のような高揚があって。
(これ……絶対めんどくさいことになるやつ……!!)
心臓がうるさいくらいに鳴っていた。
***
こうして私の“代打マネージャー生活”は、
とんでもなく甘くて危険な時間へ突入していく。
それが、“落としゲーム”の始まりとも知らずに――。