落とされる気なんてなかったのに

《第1話 代打マネージャーなんて聞いてない》

――人生って、たまに本気で意味がわからない。

「ねえ、七海。本当に本当にごめん! 代わりに行ってきて!!」

 放課後の教室で、机にしがみつきながら土下座ポーズをとっているのは、幼なじみにして親友の美咲だ。
 その手には、ピンク色の封筒と、見慣れない社員証みたいなカード。

「ちょ、ちょっと待って、美咲。
 “行ってきて”って……どこに?」

「芸能事務所!!」

「……は?」

 あまりの単語に、思わず変な声が出た。

「この前話したでしょ? 親戚のおじさんのツテで、アイドル事務所のマネージャー補助の短期バイト決まったって。
 でもさ、うちのお母さん急に入院することになって……今日からしばらく付き添わなきゃだから、行けなくなっちゃって。
 で、代わりを頼めるの、七海しかいないの!」

「マネージャー……って、あの、タオル渡したりスケジュール管理したりする、あの?」

「そうそう!! 大丈夫大丈夫、ちゃんと社員さんがいるから、七海は“お手伝いさん”って感じだって!」

 大丈夫、という言葉ほど大丈夫じゃないときに使われる言葉はないと思う。

「で、そのアイドルって誰?」

「えっとね――」

 美咲が、スマホの画面を私の目の前に突き出してくる。
 そこには、キラキラの笑顔でピースをしている男の子たちの写真があった。

 センターで笑う、茶色の髪の男の子。
 信じられないくらい整った顔なのに、どこか子犬みたいに人懐っこい空気をまとっている。

「今いっちばん人気のグループ、『Re:star(リスタ)』だよ!
 で、七海がつくのは、そのセンターの子。一ノ瀬玲央くん!!」

「…………」

 ごめん。正直、聞いたことない。

 私の沈黙から何かを察したのか、美咲は机に突っ伏した。

「うそでしょ七海……今この名前知らない女子、高校であなただけかもしれない……」

「だって、アイドルとか詳しくないもん。
 歌とかドラマは見るけど、“誰が好き”とかあんまり考えたことないし」

「だからこそちょうどいいんだって!
 ガチ恋ファンだったら、冷静に仕事できないでしょ?
 ほら、七海って頼まれたら断れない優しい子じゃん?」

 それ、完全に悪用されてない?

 でも、美咲のお母さんの顔が頭に浮かんで、私は観念した。

「……わかった。今日だけ、だからね?」

「七海!! 愛してる!!」

 美咲が勢いよく抱きついてきて、私の肩に顔を埋める。
 その声が、やけに切実で、ほんの少しだけ不安になる。

 ――このときの私は、まだ知らなかった。
 軽い気持ちで引き受けた“代打マネージャー”が、
 私の人生を、とんでもなく甘くて、めんどくさい方向に変えていくなんて。

***

 指定された事務所ビルは、想像していたよりもずっと大きくて、ピカピカで、入口からして場違いなオーラを放っていた。

(帰りたい……)

 自動ドアの前で立ち尽くしていると、後ろからドンっと誰かとぶつかった。

「ごめんなさい!」

「あ、ごめん。大丈夫?」

 低くて、よく通る声。
 振り向くと、キャップを目深にかぶった男の人が、申し訳なさそうに片手を上げていた。
 マスクで半分隠れているけど、目元だけでもわかる。絶対イケメンだ、この人。

 心臓が、ちょっとだけ跳ねた。

「……?」

「怪我、してない?」

「あ、はいっ。大丈夫です」

「そっか。――行こっか」

「え?」

 男の人はそのまま、当たり前みたいに自動ドアのほうへ歩いていく。
 そして、ふと振り返り、マスク越しに少し笑った。

「ここの人でしょ? なんか、“初日です”って顔してたから」

「は、初日です……」

 図星すぎて変な返事になってしまう。

「受付まで、ついでだから案内してあげるよ」

 そう言って、彼は片手をひらりと振った。
 その仕草が、どこか見覚えがあるような、ないような――。

***

 控え室の扉の前で、私はごくりとつばを飲み込んだ。

「ここが一ノ瀬くんの部屋だから。中に、もう本人いるからね」

 社員さんにそう言われ、私は深呼吸をひとつ。
 ノックをして、ドアを開ける。

「し、失礼します……!」

 中には、ソファに座って雑誌をパラパラとめくっている男の子がひとり。

 さっきの、キャップの人だった。

 キャップもマスクも外した彼は――
 さっきよりもずっと“キラキラ”していて、思わず息を飲む。

(……え、なにこの顔面)

「……ああ、さっきの」

 彼が顔を上げ、じろりと私を見る。
 さっき入口で見せた柔らかい笑みとは違う、どこか冷たい目つき。

「初日マネージャーちゃん?」

「あ、えっと。代わりに来ました、七海です。よろしくお願いします」

「ふーん」

 一ノ瀬玲央。
 さっき社員さんがそう紹介してくれた、この国民的(らしい)アイドルは、
 雑誌をテーブルに放り出し、つまらなそうに言った。

「とりあえずさ」

「は、はい」

「ボサっと突っ立ってないで、荷物くらい片付けてくんない?
 俺の時間、無駄にしないで」

 ――え?

 一瞬、耳を疑った。

 さっきの優しげな声とは、まるで別人。
 目の前の彼は、テレビで見る“キラキラ王子様”ではなくて、
 毒舌で、どこまでも俺様な男の子だった。

(……なに、この二重人格みたいなアイドル)

 私の“代打マネージャー生活”は、
 こうして最悪な第一印象から、幕を開けたのだった。

「ほら、そこのバッグ。床に置いたままにしないで。
 衣装シワになったらどうすんの?」

 玲央がソファにふんぞり返ったまま、つま先で“そのバッグ”をポン、と小突いた。

「え、あ、はいっ。すみません」

(なにこの態度……!?)

 テレビの中で見たっぽい彼の“爽やかスマイル”が脳裏で粉々に砕けた気がした。

 そもそも私はファンじゃないけど、
 ここまでハッキリとした“性格悪い疑惑”は聞いてない。

「ねえ」

「は、はい?」

「そんなに目ぇまんまるにして。どうした? 俺のこと、知らなかった系?」

「……すみません。あんまり芸能界に詳しくなくて」

 すると、玲央はゆっくりと身体を起こし、
 ソファの背に片腕をかけて、私をじっと観察するように見つめた。

「ふーん……」

「……?」

「なるほどね。
 ――だから、俺の笑顔にも反応薄かったわけだ」

(反応……!?)

 思わず声が詰まる。

「普通さ、初日スタッフなら“本物だ!”ってもっとびびるだろ。
 なのに、お前だけ落ち着きすぎてる。変な奴」

「へ、変じゃないです! 仕事を……しようとしてるだけです」

「へぇ。真面目ちゃんなわけ?」

 玲央は少しだけ唇の端を上げて、
 “挑発する男の顔”をした。

「俺のこと好きでもないのに、一緒に仕事できんの?
 アイドルの担当って、結構きついぜ?」

「す、好きでもないって……! そ、それは……」

「お前さ、嘘つくの下手すぎ」

 すっと立ち上がり、私の目の前に立つ。

 近い。

(ち、近い近い近い!!)

 顔が近すぎて、思わず後ろに下がろうとした瞬間――
 玲央の手が、私の腰の後ろにすっと回った。

「っ……!?」

「動くなよ。あぶねーから」

 さっきまで“毒舌モード”だったくせに、
 突然低い声で、やたら優しいトーンで言ってくる。

 そのギャップに、頭が混乱しそうになる。

「お前、前だけ見て歩くタイプだろ。
 控え室、意外と段差多いんだよ」

「あ、ありがとうございます……」

「別に優しさじゃねぇから。
 スタッフが怪我したら、撮影スケジュール狂うから困るだけ」

(はい出た、毒舌……!)

 ホッとしたのか呆れたのかわからない感情が胸でぐるぐるする。

「でさ」

 玲央は、腰に添えた手をそのままに、
 私の顔を覗き込んでニヤッと笑った。

「お前みたいに反応薄い女、初めてだし」

「……は?」

「俺の顔見て心臓バクバクしないとか、
 ……ちょっとムカつくんだけど?」

(む、ムカつくって……!?)

「べ、別にムカつかなくても……!」

「するよ。俺、“落ちない女”嫌いだし」

 その言葉は、まるで宣戦布告のように聞こえた。

「七海」

「!?」

 突然名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。

 玲央は、まっすぐに私の目を見て言った。

「お前……ちょっと面白いかもな」

(……面白い? 面白いってなに!?)

「今日からしばらく、よろしく。
 あー……でも、言っとくけど」

 腰に添えられた手が、ふっと離れる。
 その解放感に、逆に胸がざわついた。

「俺の邪魔だけはするなよ?」

「し、しません!」

「ほんとかぁ?」

 確信があるみたいな口調。
 からかってるのはわかるけど、どこか本気にも聞こえる。

「俺の仕事の邪魔したら……」

 玲央は一歩近づき、耳元で低く囁いた。

「容赦しねぇから」

「……っ!」

 一瞬で耳まで赤くなるのが、自分でもわかった。

 その反応を見た玲央は、
 “ニヤァ”と、王子じゃなくて“悪い顔”をした。

「ほら、やっぱ反応するじゃん」

(っ……してないっ……!!)

「お前、反応しないふりして、結構わかりやすいタイプ?」

「ち、違います!」

「はいはい。
 ――ま、楽しませてもらうわ」

 そう言って彼は、手をひらりと振りながら控え室を出て行く。

 残された私は、へたりとソファに座り込んだ。

(なにこれ……
 あの有名アイドル、実は性格最悪なんじゃ……)

 そう思ったのに。

 なぜか胸がドキドキしている自分が、
 一番理解できなかった。

控え室での騒動(という名の玲央の嫌がらせ)から、
 あっという間に一時間後。

「そろそろファンイベント始まるから、ステージ裏に移動するよー」

 社員さんに声をかけられ、私はバタバタと資料を抱えてついていく。
 まだ心臓が落ち着いていなくて、手に汗がにじんでいるのがわかる。

(なんで私、あんなに動揺してんだろ……)

 そう自分にツッコミを入れつつステージ袖に入ると――

 そこには、さっきとは別人みたいにキラキラした玲央がいた。

 衣装に着替え、ライトの反射で髪がふわっと光っている。
 スタッフに「よろしくお願いします!」と明るく声をかけ、
 ファンの歓声が聞こえる方向に向かって手を振る。

 その笑顔は、“さっき私が見た男”じゃなかった。

(……すごい。ほんとに別の人みたい)

「一ノ瀬さん、そろそろ登壇お願いします!」

「はーい!」

 元気な返事と同時に、玲央はふっと私の存在に気づいたのか振り向いた。

 そして――にこっ。

 天使かと思うレベルの笑顔。

「七海、さっきの荷物ありがとな。助かった」

「っ……!? ど、どういたしまして……」

(ちょ、さっき私にあんな毒舌してきた人と同一人物!?)

 混乱している私を置き去りに、玲央はステージに出ていった。

 次の瞬間――。

 割れんばかりの悲鳴と歓声がイベント会場を包む。

『れおー!!』『今日もかっこいい!!』

 ファンの声はものすごい熱量で、
 その中心にいる玲央は、堂々と手を振り、笑い、
 ときどき“ちょっと恥ずかしそうに照れる”なんて仕草までしてみせる。

(こ、これが……国民的アイドル……?)

 画面越しの“アイドル”は知っていたけど、
 本物の熱狂は、もっとすごかった。

『みんな~、今日も会いに来てくれてありがと!
 俺、こうしてみんなの前に立つと……ほんと幸せです!』

 甘い声、優しい笑顔、ファン一人ひとりを大切にするような視線。

(舞台での彼って……こんなに優しいんだ)

 思わず見惚れてしまって、
 自分でもそれに気づいてハッとする。

(え、ちょっと……何見惚れてんの私!?)

 慌てて視線をそらした瞬間、
 ステージからの照明の隙間越しに、玲央がちらっとこちらを見た気がした。

(……え? 今、見た?)

 まさかと思ったけれど、
 その一瞬、どこか楽しそうに笑った気がする。

***

 イベントが終わり、ステージ裏に戻ってきた玲央は、
 衣装のままペットボトルの水を飲みながら汗をぬぐった。

「は~~疲れた。けど、楽勝だな」

(舞台裏の態度……戻った……)

 しっかりと、毒舌アイモード。

「さっきの……すごかったです。
 玲央さん、ほんとに……別人みたいで」

「別人じゃねぇし。
 アイドルの前でアイドルやってんの。普通だろ?」

「そ、そうですけど……」

「――で? ちょっとは見惚れた?」

「っ!! み、見惚れてません!」

「顔赤いけど?」

「赤くないです!!」

「はいはい。嘘つくの下手だな、お前」

 玲央はわざとらしくため息をつき、
 肩をすくめて笑った。

「でもまあ……“ちょっとくらい”可愛い反応するんだな」

 その言い方が、まるでからかっているのに、
 妙に優しい。

 胸の奥が、ズキッ、と変に鳴った。

「ま、今日は初日だしこんなもんだろ。
 ――でもさ」

 玲央は一歩近づいてきて、
 ステージライトで汗に光る髪を揺らしながら私を見下ろす。

「お前、俺に興味ねぇわけじゃないんだろ?」

「ち、違……!」

「目、泳いでんぞ? 素直になれよ」

「っ、違うってば!!」

「ふーん。じゃあさ」

 玲央は、わざと私の顔のすぐ近くに手を突き、
 壁をドンと塞ぐ。

(か、壁ドン……!? 近い、近い!!)

 距離、あと十センチ。
 呼吸が混ざりそうな近距離。

 そのまま、低く囁く。

「……お前が“落ちないふりする女”なら」

(……女?)

 喉が詰まる。

「俺が、落ちるようにしてやるよ」

「っ……!!」

「覚悟しとけ。七海」

 玲央の瞳は、本気で。
 でもどこか、ゲームを始める前のような高揚があって。

(これ……絶対めんどくさいことになるやつ……!!)

 心臓がうるさいくらいに鳴っていた。

***

 こうして私の“代打マネージャー生活”は、
 とんでもなく甘くて危険な時間へ突入していく。

 それが、“落としゲーム”の始まりとも知らずに――。
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