落とされる気なんてなかったのに

《第4話 初恋の“先生”との再会》

教室の扉が開いた瞬間、
 空気がふわりと変わった。

「今日から担任を務めることになりました、
 神谷(かみや)遥真です。よろしくお願いします」

 前に立つのは、
 昨日、事務所の出口でぶつかった男性――遥真くん。

(やっぱり……遥真くんだ……)

 黒髪に、すらりとしたスーツ姿。
 整った横顔。
 落ち着いた声。

 全部が、昔から知っている“優しい人”そのまま。

 教室の女子たちは一斉に色めき立つ。

「え、かっこよ……」「先生ってレベルじゃない……」

 ざわざわする中で、
 遥真先生の視線がふとこちらに向いた。

 目が合った。

(っ……!)

 わずかに目を見開いて、
 そのあと、昔のように穏やかに微笑む。

「……七海?」

 名前を呼ばれた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる。

(……やっぱり覚えてくれてた……)

 先生はそのまま教室全体へ向き直り、
 授業の話を淡々と進めていく。

 だけど。
 声が優しくて、落ち着いていて、
 それを聞いているだけで胸の奥がじんわりあたたかくなる。

(なんでだろ……昨日までこんな気持ち、なかったのに)

***

「七海」

「っ、はい!」

 終礼後、名前を呼ばれて振り向くと、
 先生がノートを持って立っていた。

「時間あるか?
 ちょっと話したいことがあって」

「は、はい……」

 廊下の一角、陽の差し込む場所で向かい合う。

「……本当に久しぶりだな」

「そ、そうですね……」

「昔のままなのが、なんか安心した。
 ……でも、少し大人になったな」

 その言葉が優しくて、
 胸の奥にストンと落ちる。

「先生になって……七海のクラスを持つことになるとは思わなかったよ」

「私も、先生が来るなんて思わなかったです」

「驚いたか?」

「……はい。すごく」

 遥真先生は少し困ったように笑う。

「でも、七海がいるなら安心だな。
 困ってる子がいたら、自然に助けるタイプだから」

「っ……」

 そんな風に言われたら、
 どうしてもあのころの気持ちが蘇ってしまう。

 嬉しくて、苦しくて、
 どこか泣きたくなる優しさ。

「何かあったら、いつでも言ってくれ。
 昔みたいに……頼っていい」

(……言わないで……
 そんな優しい言葉、ずるいよ……)

 胸がきゅっと痛む。

***

「そういえば昨日の帰り、事務所の前にいたよな?」

「っ……はい……偶然で……」

「驚いたよ。
 七海があんな場所にいるなんて。
 ……仕事、頑張ってるんだな」

(玲央くんとのこと、言えない……)

 言えない理由は“秘密のバイトだから”じゃない。
 言ったらあのキスのことまで思い出してしまいそうで、
 胸が苦しくなりそうだから。

「何か困ったことがあったら言えよ。
 夜遅くなる日は送っていくから」

「だ、だいじょうぶです!!」

「ほんとに?」

「……はい……」

 玲央とは違う。
 優しさが、刺さらないようにそっと包み込んでくるタイプ。

 だから余計に、
 心が揺れてしまう。

(どうして……
 こんなタイミングで先生が来るの……)

 玲央のキスがまだ胸に残っているのに、
 先生の優しさがまた違う痛さで迫ってくる。

***

「なあ七海」

「はい……?」

 遥真先生は、少し目を細めて笑った。

「……なんかあっただろ?」

「っ……!」

「無理に聞かないけど、七海の顔見たら分かる。
 昔から、表情で全部わかりやすいからな」

(……玲央くんも、同じこと言ってた……)

 でも、先生の言い方はもっと優しくて、
 とげがない。

「何かあったら、ほんとに相談してほしい。
 俺は“先生”だけど……七海にとっては、昔の“はるま”でもあるから」

「……っ……」

 その一言が胸に刺さり、呼吸が止まる。

(だめだ……泣きそう……)

 度重なる優しさが、
 昔の気持ちをゆっくり呼び戻してくる。

「じゃあ……また明日な」

 そう言って軽く頭を撫でられた瞬間──

(っ……)

 胸の奥で聞きたくなかった鼓動が、
 強く跳ねた。
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