Naked Love〜涙の跡を舌で辿る時〜
渡された名刺を持ったままで、岩の様に固まってしまった私。


な、んで…。

なんで、ココに、…悠久くんの名刺があるのか。
いや、これはきっと同姓同名の人物だろう。
そうでなければ、呼吸も出来なくなってしまう。


スーッと下がった体温。
きっと、顔色も真っ青に近いものになっていたのだろうか。

そんな私を見た先輩は、すかさず私からその名刺を取り上げる様に、奪い取ってから正にぐちゃぐちゃという音を立てて、なんの迷いもなく丸めそのままその辺のゴミ箱に投げ捨てた。


「ごめんね?柏木さん…私、なんだか余計な事しちゃったみたい…。こんな顔をして欲しくて渡すつもりじゃなかったの。ただ、その人が凄く懐かしそうに柏木さんの名前を一度呼んだから、その…いいのかなって思っちゃって…」


心底やってしまった、と眉をハの字にへにゃりと下げて謝ってくれる先輩に、はっとしてふるふると首を横に振った。

「す、すいません。ちょっと…あまりにも驚いてしまって…。らしくもなく動揺しちゃいました…。でも!先輩のせいとかじゃ全然無いので!どうか気にしないで下さい!」


なんとなく、目線はゴミ箱と先輩の間を行き来してしまったけれど、きちんと説明を果たしてからぺこりと、頭を下げるとぽんぽん、と優しく肩を叩かれて慰められる。


「辛い時は、辛いって素直に言っても良いと思うよ?大人だってガス抜きは大事だから、ね?言いたくなったら、何時でも頼ってね。その為の先輩でもあるんだし…」


先輩はそう言うと、もう一度私の肩をぽんぽん、と叩き自席へと促してくれた。


…本当に、いい人だなぁ。
これ以上ない程、良い環境に恵まれたなあ。


私はそう思ってから、残りの仕事を淡々と進める事に専念した。

今は、あの名刺の事なんて考えたくもない。
そんな物に、振り向いてる場合も…そこに隠された謎に戸惑っている時間もなかったから。

一瞬だけ私のけして大きいとは言えない手の平の中に、ひらりと置かれた名刺。

其処に書かれた文字。
名前に合わせて続く、会社名と役職。

そんな物は私の知らない事ばかり。
だから、先輩が捨ててくれて感謝しかなかった。
あのまま手元にあったら、なんて考えるだけでゾッとする。


「はぁ…今夜はまた冷えるだろうから、グリューワインでも使って飲もうかな。材料…確か在庫残ってたと思うし…」


気持ちを切り替えるように、マウスを動かしながら、パソコン画面を操作してそう心に決めた。


きっと、琥珀色の飲み物よりも、少し朱色に近い紅色が良い。
だから、家に帰ってから、少しだけ混んだおつまみを作っろう。
そのおつまみをメニューを考えるのは帰ってからでもいいや。

そして、就業時間が来るのを、私は時折内容を先輩に確認してもらいながら、待った。

だからか、今日の就業時間は、少しだけ早いように感じた。

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