Naked Love〜涙の跡を舌で辿る時〜
まだ、エアコンも付いていない部屋の中に入ると、私は肉体的な疲れか、はたまた過剰なストレスか。

多分、確実に後者だろうけども。

気持ちも全て吐き出す様な、深い溜息を長く、長く、吐き出した。

ふるり、と体が震えた。
手は当然、悴んで体温なんてすっかりない。
毎日のルーティンをある程度終わらせるようとするけれど…。


「…希子ちゃん、か…」


久し振りに聞いた、私の名前の響きが耳にこびり付く。
今感じるのは、粘着性の強い異質な声という事だけ。


あぁ…なんて、厄日なんだろうか。
仕事は順調だったのに、彼の出現のせいで全て水の泡になった。

本当に今更、何だというのだろう。
あんな、懐かしい顔をして…あんなに、傷付いた顔をして。

泣きたいのは、此方の方だ。
それこそ、"過去の亡霊"に囚われていた頃の私ならば、彼のあの表情に、縋り付いていたかもしれない、けれど今はもう既に…"あの頃"の私ではない。


彼を忘れられない自分がいるとは言え、こんな再会を望んではいなかった。

こんな、…こんな作り物に塗れた、再会なんて。


エアコンが聞き始めてからも、未だ掴まれた腕の熱さは無くなる事はなく、私は淡いグリーン色のセーターを捲り上げて、その場所を見た。

薄っすらと残った、大きな手の跡。
私の胸が、ぎゅっと苦しくなる。
けれども…それ以上に、手の震えが止まらなくなった。


私の気持ちを踏み躙る様にして、…捨て切る様にして、居なくなったクセに。

今頃、一体何なんだろう。
何で、私の心を掻き乱し、呼吸を止める様な事をするのだろう。

「あぁっ。もうっ。ダメダメ。考えるの止めよう!…お風呂でも入ろっかな」

私はがっくりと肩を落とす。
そして、放り投げて置いたカバンを取ろうとして。
やっぱり、思考がぐちゃぐちゃにならそうだったから、本当は寒さを凌ぐ為にこたつに入ろうとしたのだけれど、あ、と思い…立っている内にとバスルームへお湯を張りにか向った。

多分、彼は自分がした事なんて、覚えてさえもいない。
私の心を見事に粉々に壊したクセに。
何もかも綺麗さっぱり忘れてる、と私の中では断言出来る。
だから、ああやってさも当たり前の様に、私に会いに来たんだ。

洗面台の鏡に映された私の顔は、真っ青になっていて…早くバスタブに入ろうと、いそいそと支度をした。


ちゃぷん


乳白色のお湯の中、お湯が凝った肩をうーんと伸びをする度に、バスルームに揺蕩う音が響く。

お湯を楽しみながら、もう一度頭の中に今日振って貰った仕事をどうしようかと悩んだ。

あれくらいの量ならば、きっと先輩に質問しながらでも、結構上手く捌けるかな。

でも、あのレイアウトは前に使った様なテンプレートみたいになっちゃうか。
じゃあどんな展開に持っていこう…。


「よし。お風呂上がったら、ノートパソコン開いてみよう」

今の仕事は私にとって、凄くやり甲斐がある仕事だ。
だから、内定を貰えた時は本当に嬉しかったし、上司にも先輩にも恵まれて、与えられる仕事はとても楽しい。
毎回、未知の事に触れられる機会か沢山あって、幸せの一言に尽きる。

「ん〜!はーぁ。よく温まったし、出よ」

そんな独り言を少し大きな声で呟いて、用意してあったバスタオルで体を拭いてルームウェアに袖を通した。

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