雨の日に、後輩と
第6話 日曜日の朝に
ぐっすりと気持ちよく寝て、床に敷かれた布団で朝を迎えた。
(うちじゃない……。えっ!? 時任さんの部屋だ!)
凛はこれまでの人生を、ずっと慎重に生きてきたつもりだった。
それこそ飲み会は参加しても二次会までで決して羽目を外さない、終電は逃さず電車内で寝落ちすることもない。
常に気を張っているのが自分だと考えていたので、この状況は衝撃的であった。
(う、うわ~記憶があやふやだ……やっぱり飲みすぎだったんだ! 他部署の男性社員の家になし崩しでそのまま泊まるなんて。しかも相手は後輩でさらに言えば社長の息子で)
一体どうしてこんなことになったんだっけ、いやどうしても何もそもそも自分が一昨日会社にスマホを置き忘れたところからのミス続きでと考えをめぐらせていると、すごく近い位置で「ふふっ」と押し殺したような笑い声が聞こえた。
ひえっと押し殺した悲鳴を上げてしまってから、凛は恐る恐るそちらへと顔を向ける。
布団の横に置かれた特大ビーズクッションに埋もれるように座った時任がいた。
「おはようございます。起きたの、すぐにわかりました」
「あーっ、おはようございます! おはようございます? 朝ですよね。すみません、寝てました」
もはや何を言っているかわからないまま、凛は布団の上で起き上がった。
「そんなに焦らなくても、まだ五時ですよ。普段なら寝ている時間じゃないですか」
「時任さん、いま時計もスマホもノールックで言いましたよね。もしかして少し前から起きていました? というかこのお布団は? 私は家主からお布団を奪ってしまったのでは」
「いえいえ、気にしないでください。普段からロフトに登るのが面倒になると、このクッションで寝てるので。むしろ俺の布団に凛さんを寝させてすみませんっていう」
「なんかもう……すみません」
いたたまれないとは、このことだ。
空気が重くなりかけたとき、時任は「よっ」と軽いかけ声とともに立ち上がって凛に笑いかけてきた。
「昨日手を出さなくて良かったです。佐伯さん、なんかもう『男と女がひとつ屋根の下、一晩過ごして何もないわけがなく』って感じで覚悟決めちゃっていたけど、逆に俺のほうが『あれ? これでいいのか?』って変に考えちゃって。それでこれ多分だめだなって思ったんですよね。コーヒーでも飲みます?」
会話の流れで最後にごく自然に質問をされて、凛はぐちゃぐちゃと頭の中でこねまわしていた言い訳をいったん引っ込めて「ありがとうございます、頂きます」と言った。そこからハッと気づいて立ち上がる。
「というか、昨日から色々やってもらってばかりで! インスタントコーヒーなら私に淹れさせてください! 昨日のコンビニに買いに行ってくるのでもよくて」
あわあわと早口で言うと、時任は「いいですから」と穏やかに言って笑った。その優しい笑顔に不安に駆られて凛は焦りのままに詰め寄ってしまった。
「いいですからって、何がですか? 多分だめだなって、どういうだめですか?」
「うん。俺は少し佐伯さんがわかってきました。落ち着いて聞いてくださいね。『いいですから』は、無理して家主より動こうとしなくて大丈夫って話。だめだなっていうのは、昨日の夜の話。焦って欲張って据え膳だからと手を出しても、だめだなって意味です」
「昨日の夜」
徐々にそのときの会話を思い出して凛は足元から崩れ落ちそうになった。その反応を見越していたように、時任は「倒れないでくださいね、お姫様抱っこしちゃいますよ」と本気っぽく言ってから話を続けた。
「昨日、あのまま結ばれてしまうと佐伯さんは俺と恋人になったって考えるよりも『これで貸し借りなし』ってほっとして終わりにしちゃいそうだなって漠然と思ったんです。佐伯さんのあの瞬間の覚悟は『男女・恋愛・両思い!』じゃないんだろうなって。今日はともかく、何日間か考えた後佐伯さんの中では『大人の付き合いってことであれで良かったんだろうな』って結論になっちゃいそうだなって思いました。よって、俺は慎重になったのです」
淡々と並べ立てられて、凛は「ああ……」と間抜けな声を上げた。
(わかられてる……!)
「いかにも言いそう。私が考えそうです、そういうこと」
「ですよね? 当たってますよね? 良かった、あのとき冷静になって。ありがとう理性。俺あそこで目が冴えちゃって、佐伯さん寝ている横でぐるぐる考えていたんですよ。うまく言えて、ほっとした。さて、インスタントじゃなくてドリップコーヒーにしよう」
本当にほっとしたように顔をほころばせて、時任はキッチンへと向かう。ふと足を止めると肩越しに振り返って、尋ねてきた。
「これが『本気』ってことです。伝わりました?」
「あ、えっと……えっと本気。本気」
彼が凛をわかっているほとに、まだ彼をわかっていない凛はうまい受け答えなどできるわけもなく、噛んでどもってしどろもどろになってしまう。
時任は爽やかに言った。
「佐伯さんは昨日俺の存在を認識したばかりということに、俺は気づきました。このまま俺に対して興味が続くように努力しますので、少し俺のことを気にして見てもらっていいですか?」
凛は頭が固い自覚はあるが、時任の話す言葉をなんとなくわかったふりをして返事をすることができずに尋ねた。
「見るっていうのは、そのままの意味で大丈夫ですか? 私が時任さんを見る、つまり会社で声が聞こえたら振り返るとかそのまま目で追うとか」
思いつくままに言うと、時任はふきだした。「ごめん、面白い」と腹を抱えて笑い続けてから、明るい声で言う。
「いま佐伯さんが言う状態に『自然に』なるのが当面の目標かな。俺は、佐伯さんが俺の気配を感じたら目で追ってしまうくらいの存在になりたいよね」
凛の目を見て、付け加えた。
明日の月曜日から鋭意努力します、と。
(うちじゃない……。えっ!? 時任さんの部屋だ!)
凛はこれまでの人生を、ずっと慎重に生きてきたつもりだった。
それこそ飲み会は参加しても二次会までで決して羽目を外さない、終電は逃さず電車内で寝落ちすることもない。
常に気を張っているのが自分だと考えていたので、この状況は衝撃的であった。
(う、うわ~記憶があやふやだ……やっぱり飲みすぎだったんだ! 他部署の男性社員の家になし崩しでそのまま泊まるなんて。しかも相手は後輩でさらに言えば社長の息子で)
一体どうしてこんなことになったんだっけ、いやどうしても何もそもそも自分が一昨日会社にスマホを置き忘れたところからのミス続きでと考えをめぐらせていると、すごく近い位置で「ふふっ」と押し殺したような笑い声が聞こえた。
ひえっと押し殺した悲鳴を上げてしまってから、凛は恐る恐るそちらへと顔を向ける。
布団の横に置かれた特大ビーズクッションに埋もれるように座った時任がいた。
「おはようございます。起きたの、すぐにわかりました」
「あーっ、おはようございます! おはようございます? 朝ですよね。すみません、寝てました」
もはや何を言っているかわからないまま、凛は布団の上で起き上がった。
「そんなに焦らなくても、まだ五時ですよ。普段なら寝ている時間じゃないですか」
「時任さん、いま時計もスマホもノールックで言いましたよね。もしかして少し前から起きていました? というかこのお布団は? 私は家主からお布団を奪ってしまったのでは」
「いえいえ、気にしないでください。普段からロフトに登るのが面倒になると、このクッションで寝てるので。むしろ俺の布団に凛さんを寝させてすみませんっていう」
「なんかもう……すみません」
いたたまれないとは、このことだ。
空気が重くなりかけたとき、時任は「よっ」と軽いかけ声とともに立ち上がって凛に笑いかけてきた。
「昨日手を出さなくて良かったです。佐伯さん、なんかもう『男と女がひとつ屋根の下、一晩過ごして何もないわけがなく』って感じで覚悟決めちゃっていたけど、逆に俺のほうが『あれ? これでいいのか?』って変に考えちゃって。それでこれ多分だめだなって思ったんですよね。コーヒーでも飲みます?」
会話の流れで最後にごく自然に質問をされて、凛はぐちゃぐちゃと頭の中でこねまわしていた言い訳をいったん引っ込めて「ありがとうございます、頂きます」と言った。そこからハッと気づいて立ち上がる。
「というか、昨日から色々やってもらってばかりで! インスタントコーヒーなら私に淹れさせてください! 昨日のコンビニに買いに行ってくるのでもよくて」
あわあわと早口で言うと、時任は「いいですから」と穏やかに言って笑った。その優しい笑顔に不安に駆られて凛は焦りのままに詰め寄ってしまった。
「いいですからって、何がですか? 多分だめだなって、どういうだめですか?」
「うん。俺は少し佐伯さんがわかってきました。落ち着いて聞いてくださいね。『いいですから』は、無理して家主より動こうとしなくて大丈夫って話。だめだなっていうのは、昨日の夜の話。焦って欲張って据え膳だからと手を出しても、だめだなって意味です」
「昨日の夜」
徐々にそのときの会話を思い出して凛は足元から崩れ落ちそうになった。その反応を見越していたように、時任は「倒れないでくださいね、お姫様抱っこしちゃいますよ」と本気っぽく言ってから話を続けた。
「昨日、あのまま結ばれてしまうと佐伯さんは俺と恋人になったって考えるよりも『これで貸し借りなし』ってほっとして終わりにしちゃいそうだなって漠然と思ったんです。佐伯さんのあの瞬間の覚悟は『男女・恋愛・両思い!』じゃないんだろうなって。今日はともかく、何日間か考えた後佐伯さんの中では『大人の付き合いってことであれで良かったんだろうな』って結論になっちゃいそうだなって思いました。よって、俺は慎重になったのです」
淡々と並べ立てられて、凛は「ああ……」と間抜けな声を上げた。
(わかられてる……!)
「いかにも言いそう。私が考えそうです、そういうこと」
「ですよね? 当たってますよね? 良かった、あのとき冷静になって。ありがとう理性。俺あそこで目が冴えちゃって、佐伯さん寝ている横でぐるぐる考えていたんですよ。うまく言えて、ほっとした。さて、インスタントじゃなくてドリップコーヒーにしよう」
本当にほっとしたように顔をほころばせて、時任はキッチンへと向かう。ふと足を止めると肩越しに振り返って、尋ねてきた。
「これが『本気』ってことです。伝わりました?」
「あ、えっと……えっと本気。本気」
彼が凛をわかっているほとに、まだ彼をわかっていない凛はうまい受け答えなどできるわけもなく、噛んでどもってしどろもどろになってしまう。
時任は爽やかに言った。
「佐伯さんは昨日俺の存在を認識したばかりということに、俺は気づきました。このまま俺に対して興味が続くように努力しますので、少し俺のことを気にして見てもらっていいですか?」
凛は頭が固い自覚はあるが、時任の話す言葉をなんとなくわかったふりをして返事をすることができずに尋ねた。
「見るっていうのは、そのままの意味で大丈夫ですか? 私が時任さんを見る、つまり会社で声が聞こえたら振り返るとかそのまま目で追うとか」
思いつくままに言うと、時任はふきだした。「ごめん、面白い」と腹を抱えて笑い続けてから、明るい声で言う。
「いま佐伯さんが言う状態に『自然に』なるのが当面の目標かな。俺は、佐伯さんが俺の気配を感じたら目で追ってしまうくらいの存在になりたいよね」
凛の目を見て、付け加えた。
明日の月曜日から鋭意努力します、と。

