愚か者の後悔
惜別 ①
次代の明るい未来を見届けて肩の荷を下ろしたように、アレクシス前国王との別れは突然だった。
朝食の席で、頭が痛いから少し休むと言って自室に入り、お見舞いに行くともう大丈夫との事だったので昼食は私とフリーデリケ王妃と共に部屋で取ったのだ。
食後のお茶を頂いている時に倒れ、寝台に横になった時にはもう言葉が出なくなっており、最期の瞬間までフリーデリケ王妃の手を握り、私の頭をずっと撫でていてくれた。
突然の訃報に、国も王家も戸惑いながらも太陽の様だったアレクシス前国王の冥福を心から祈った。
あまりに突然の事でしばらくは何も手に付かなかった。
誰よりも優しく力強かったアレクお祖父さま。
アレクお祖父さまが大丈夫と言えば、私はどんな事だって怖くはなかったわ。
皆に甘やかしすぎだと叱られると、いつも私にだけ見えるようにウィンクしてくれたの。
その仕草がとても素敵で、私は一生懸命真似したのだけどやっぱりあんなに素敵には出来なかった。
国王を引退したから、これからは一緒に遠乗りに行ったりピクニックに行こうとお約束していたのに。
もっとたくさんお話ししたい事があったのよ。
最期の瞬間まで、私とフリーデリケお祖母様に声にならなくてもずっと愛している、ありがとうと言って下さっていたわ。
私たちが何度も言った愛している、ありがとうの言葉はお耳に届いていたかしら。
毎日部屋を訪れては、あれは夢で、扉を開ければいつもの笑顔で両手を広げて迎え入れてくれるのではと、また会えるのではないかと期待をしては絶望する事を繰り返す私を、お母様とトビアス閣下とフリーデリケお祖母様は根気強く支えて下さった。
皆の支えで、少しずつ現実を受け入れられるようになり、徐々に落ち着いて生活できるようになっていったのだった。
そうしてアレクシス前国王の喪が明けるころ、私はフリーデリケ王太后の私室に呼ばれて、生まれ故郷のダリス公爵領へ移り住むと聞かされた。
ダリス公爵家へ婿入りしたドミニク卿から、レイチェル女公爵が宰相として多忙を極めているため、隣国のエヴェール王家へ嫁ぐことが決まった孫娘のダリス公爵令嬢の教育をお願いしたいと連絡があったそうだ。
「どうしてですか、教育ならホーエン王国に留学してもらえば良いではありませんか。王都が無理ならブレナン領でもできるわ。アラン伯父様にお願いすれば、オルレシアン国に近いガレリア領だって頷いてくれるわ。なのにどうして? どうして二人とも私を置いて行ってしまわれるの?」
突然の事で冷静になれず、そう言って子供のように縋り付いて泣き崩れる私の背中を摩りながら、フリーデリケお祖母様は子供の頃によく聞かせてくれた隣国の歌を歌ってくれた。しばらくそうして私が落ち着くと、手を取って優しく話し始めた。
「別れは辛いわね。でももう会う事が出来ないわけじゃないわ。
お手紙だって出せるし、会おうと思えば船に乗ってたった三日の距離よ?
それにね、離れている事に慣れれば、亡くなったと聞かされてもなおこの空の続く先でまだ元気に暮らしているように思えて、辛さは懐かしさに替わるの。
ビアンカには笑っているわたくしのこの笑顔だけを覚えていてほしいの」
そう言って涙をぬぐってくれた。
厳しくて優しい大切な私のフリーデリケお祖母様。
泣くたびに、眠れないときにも、いつも優しく隣国の歌を歌ってくれた。
隣国風の素敵な発音で[ビアンカ]と呼ばれることが嬉しくて、何度もおねだりをしたわ。
生まれた時からほとんど片時も離れずに側に居てくれた掛け替えのないこの方の前では、どんなに窘められても幼子に戻ったように泣いたり笑ったりしてしまう。
ずっとそばにいてくれると思っていた。
この方が私の側からいなくなる日が来るなど、わかってはいても考えようとはしなかった。
しかし、ホーエン王国が建国して私が女大公になってからは、王都とブレナン領を行き来しているため数か月会わない事だって多くなっている。
にも拘わらず、王宮に来れば必ず会えると思っていたアレクお祖父様の喪失感は甚大だった。
フリーデリケお祖母様の言う通り、今のままずっとそこに居て、ここに来れば必ず会えるという心の距離感のままでフリーデリケお祖母様が亡くなってしまうと、きっと私はアレクお祖父様の時以上に立ち直るのに時間が掛かる。
もしかすると、もう立ち直れないかもしれない。
「・・・お手紙をたくさん書いて下さる?」
拗ねるような涙声で聞いてしまう。
「もちろんよ。でも、チャールズみたいに毎日のように手紙を出すのは難しいと思うわ」
眉尻を下げて困ったように言う言葉に、思わず笑ってしまった。
「あの子は特別だわ。私だって毎日お返事は書けないと思うの」
そう言って笑い合って、少し他愛ないおしゃべりをして部屋を後にした。
フリーデリケお祖母様の出立は明後日だ。
それまでに泣き腫らした目を何とかしなくては。
フリーデリケお祖母様の出立の朝。
最高の笑顔でお見送りをした私をふわりと抱きしめ、あの素敵な隣国風の発音で名前を呼んでくれた。
「私の可愛い子、私のビアンカ、また会いに来るわ」
私はフリーデリケお祖母様を乗せた馬車が見えなくなってもその先を見つめ続けた。
この道と空が続くその先で、フリーデリケお祖母様はあの素敵な笑顔でずっとずっと元気で暮らしていくのだ。
弾けるような笑顔のアレクおじい様と、優しさを湛えた笑顔を向けるフリーデリケお祖母様が寄り添って私を見つめている。
二人との別れを思い出すと、何十年経とうとも懐かしさと共に少し胸が苦しくなってしまう。
朝食の席で、頭が痛いから少し休むと言って自室に入り、お見舞いに行くともう大丈夫との事だったので昼食は私とフリーデリケ王妃と共に部屋で取ったのだ。
食後のお茶を頂いている時に倒れ、寝台に横になった時にはもう言葉が出なくなっており、最期の瞬間までフリーデリケ王妃の手を握り、私の頭をずっと撫でていてくれた。
突然の訃報に、国も王家も戸惑いながらも太陽の様だったアレクシス前国王の冥福を心から祈った。
あまりに突然の事でしばらくは何も手に付かなかった。
誰よりも優しく力強かったアレクお祖父さま。
アレクお祖父さまが大丈夫と言えば、私はどんな事だって怖くはなかったわ。
皆に甘やかしすぎだと叱られると、いつも私にだけ見えるようにウィンクしてくれたの。
その仕草がとても素敵で、私は一生懸命真似したのだけどやっぱりあんなに素敵には出来なかった。
国王を引退したから、これからは一緒に遠乗りに行ったりピクニックに行こうとお約束していたのに。
もっとたくさんお話ししたい事があったのよ。
最期の瞬間まで、私とフリーデリケお祖母様に声にならなくてもずっと愛している、ありがとうと言って下さっていたわ。
私たちが何度も言った愛している、ありがとうの言葉はお耳に届いていたかしら。
毎日部屋を訪れては、あれは夢で、扉を開ければいつもの笑顔で両手を広げて迎え入れてくれるのではと、また会えるのではないかと期待をしては絶望する事を繰り返す私を、お母様とトビアス閣下とフリーデリケお祖母様は根気強く支えて下さった。
皆の支えで、少しずつ現実を受け入れられるようになり、徐々に落ち着いて生活できるようになっていったのだった。
そうしてアレクシス前国王の喪が明けるころ、私はフリーデリケ王太后の私室に呼ばれて、生まれ故郷のダリス公爵領へ移り住むと聞かされた。
ダリス公爵家へ婿入りしたドミニク卿から、レイチェル女公爵が宰相として多忙を極めているため、隣国のエヴェール王家へ嫁ぐことが決まった孫娘のダリス公爵令嬢の教育をお願いしたいと連絡があったそうだ。
「どうしてですか、教育ならホーエン王国に留学してもらえば良いではありませんか。王都が無理ならブレナン領でもできるわ。アラン伯父様にお願いすれば、オルレシアン国に近いガレリア領だって頷いてくれるわ。なのにどうして? どうして二人とも私を置いて行ってしまわれるの?」
突然の事で冷静になれず、そう言って子供のように縋り付いて泣き崩れる私の背中を摩りながら、フリーデリケお祖母様は子供の頃によく聞かせてくれた隣国の歌を歌ってくれた。しばらくそうして私が落ち着くと、手を取って優しく話し始めた。
「別れは辛いわね。でももう会う事が出来ないわけじゃないわ。
お手紙だって出せるし、会おうと思えば船に乗ってたった三日の距離よ?
それにね、離れている事に慣れれば、亡くなったと聞かされてもなおこの空の続く先でまだ元気に暮らしているように思えて、辛さは懐かしさに替わるの。
ビアンカには笑っているわたくしのこの笑顔だけを覚えていてほしいの」
そう言って涙をぬぐってくれた。
厳しくて優しい大切な私のフリーデリケお祖母様。
泣くたびに、眠れないときにも、いつも優しく隣国の歌を歌ってくれた。
隣国風の素敵な発音で[ビアンカ]と呼ばれることが嬉しくて、何度もおねだりをしたわ。
生まれた時からほとんど片時も離れずに側に居てくれた掛け替えのないこの方の前では、どんなに窘められても幼子に戻ったように泣いたり笑ったりしてしまう。
ずっとそばにいてくれると思っていた。
この方が私の側からいなくなる日が来るなど、わかってはいても考えようとはしなかった。
しかし、ホーエン王国が建国して私が女大公になってからは、王都とブレナン領を行き来しているため数か月会わない事だって多くなっている。
にも拘わらず、王宮に来れば必ず会えると思っていたアレクお祖父様の喪失感は甚大だった。
フリーデリケお祖母様の言う通り、今のままずっとそこに居て、ここに来れば必ず会えるという心の距離感のままでフリーデリケお祖母様が亡くなってしまうと、きっと私はアレクお祖父様の時以上に立ち直るのに時間が掛かる。
もしかすると、もう立ち直れないかもしれない。
「・・・お手紙をたくさん書いて下さる?」
拗ねるような涙声で聞いてしまう。
「もちろんよ。でも、チャールズみたいに毎日のように手紙を出すのは難しいと思うわ」
眉尻を下げて困ったように言う言葉に、思わず笑ってしまった。
「あの子は特別だわ。私だって毎日お返事は書けないと思うの」
そう言って笑い合って、少し他愛ないおしゃべりをして部屋を後にした。
フリーデリケお祖母様の出立は明後日だ。
それまでに泣き腫らした目を何とかしなくては。
フリーデリケお祖母様の出立の朝。
最高の笑顔でお見送りをした私をふわりと抱きしめ、あの素敵な隣国風の発音で名前を呼んでくれた。
「私の可愛い子、私のビアンカ、また会いに来るわ」
私はフリーデリケお祖母様を乗せた馬車が見えなくなってもその先を見つめ続けた。
この道と空が続くその先で、フリーデリケお祖母様はあの素敵な笑顔でずっとずっと元気で暮らしていくのだ。
弾けるような笑顔のアレクおじい様と、優しさを湛えた笑顔を向けるフリーデリケお祖母様が寄り添って私を見つめている。
二人との別れを思い出すと、何十年経とうとも懐かしさと共に少し胸が苦しくなってしまう。