終電で生まれる恋 〜出会い〜

終電の終点での出会い



 吐き気が込み上げてくるのに気づかないふりをして、必死に走る。
 あともう少し、というところドアに滑り込み、なんとか電車に乗ることができた。

(ま、間に合った……!)

 息が上がり、込み上げてきそうな何かを頑張って飲み込む。金曜日の終電だからか、車内の席にはまだ余裕がある。空いている席に座り、先ほど後輩からもらった水を飲む。
 マナーに反しているとは思うけど、人も少ないし許してほしい。酔っ払いに必要なのは水だ。
 汗もかいてしまったので、ハンカチを鞄から取り出して額に滲んでいる汗を拭いた。化粧もよれて、前髪も張り付いてしまっている。朝は完璧な状態で家を出たというのに、朝から晩まで外に出ているとこれだから嫌なんだ。一刻も早く化粧を落としてベッドに入りたい。
 鞄にハンカチをしまい、スマホを見ると水を渡してくれた後輩から連絡が来ていた。
 無事電車に乗れたことを伝え、ぼんやりとSNSのタイムラインを眺める。
 今日の飲み会は同期や後輩を交えた無礼講の飲み会。と言っても、全員歳が近いので比較的気兼ねなく話が出来たと思う。上司と仕事の愚痴を言いながら浴びるかのようにお酒を飲み、数人ほどべろべろに酔っていた。
 私も浴びるようにお酒を飲んだけど、電車で帰ることができるくらいには抑えた。それでも一番お酒に強い後輩には心配をかけてしまったけれど、こうして終電に乗ることができた。
 タイムラインを眺めていると、各々の華金の過ごし方が目に入る。家族と過ごす人、友人と過ごす人、私みたいに仕事仲間と飲みに行っている人。その中でも、自分がつい見てしまうのは恋人と過ごしている人たちの投稿だ。
 二十代後半だというのに、恋人ができる気配がない。マッチングアプリを使ったり、友達に紹介をしてもらったりもしたけれど、どの人もいい人なのにピンとこなくて、付き合ってもすぐに別れたりしてしまった。

(……飲んだ日の夜中って、なんで人が恋しくなるんだろう)

 嫌な上司に仕事を押し付けられて、残業になって嫌になりながらも仕事を終わらせて、飲み会に参加した。楽しみにしていた飲み会に遅れて参加をしたことも苛立つ原因で、それをトリガーに愚痴を吐きながらお酒を飲んだ。さっきまであれだけ楽しく、飲めるだけ飲んでいたのに、今は電車に一人で揺られている。無性に寂しく思えて、鼻の奥がつんと痛くなる。
 早く家に帰りたいという気持ちと、まだこのままでいたいという気持ちが隣り合わせで、自分でも何がしたいのかよく分からない。
 電車内のアナウンスが、自宅の最寄駅の到着を知らせた。でも、なんとなく降りる気になれなくて、そのままぼんやりとドアが閉まっていくのを見届けた。

『発車します』

 そのアナウンスを聞いた途端に酔いが覚めたような気がした。
 自分の最寄り駅で降りなかった。この電車は終電で、もう戻ってはくれない。さっきまでの自分は一体何を考えていたんだ。
 あまりにも信じられない行動に、もはや呆れてしまった。
 もうやけになってしまい、そのまま終点まで乗ってしまった。
 終点の駅で降りたけど、初めての駅でどうするべきか悩んでしまう。駅名は知っているけど、ここに何があるのかは知らない。
 タクシーに乗らないために終電に乗ったというのに、このままではタクシーを使うしかなくなってしまう。
 ひとまずホームから出て、改札に向かった。改札機に電子カードをタッチする。定期を使っているとはいえ、止められたらどうしようかと思ったが料金は足りたらしい。
 自分が住んでいるところとは雰囲気が違い、だいぶ賑やかだ。学生と思われる子たちが酔っ払って楽しそうにしていたり、サラリーマンの人たちもちらほらと見かける。タクシー乗り場を探していると、長蛇の列がすでに出来上がっていた。あれに並ぶのはなんだか気が引けてしまう。
 酔いもいい感じに回って、水のおかげで少しだけ元気が出た。まだまだタクシーには乗れなさそうだし、いっそのこと散策でもしてみようかと足を動かし始めた。
 0時を回っているというのに居酒屋はまだ空いているところがあるみたいで、そこらから賑やかで楽しそうな声が聞こえる。なんだかまだお酒が飲めるような感覚もあるし、せっかくなら新規開拓がしたいけれど、賑やかな居酒屋に一人で入るのはハードルが高い。
 どうしたもんかと歩いていると、バーの看板が目に入った。値段とメニューが簡単に書かれていて、何よりも「どなたでも大歓迎です。お気軽にどうぞ!」という文言に安心をする。
 こういうところは、一見さんお断りのところも少なくない。どなたでも、と書かれているのは安心できる。
 営業時間も問題がなさそうなので、階段を下って目的のバーがあるところまで足を動かす。シンプルなドアに手をかけ、開けてみるとお客さんの入りはまあまあだった。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 バーカウンターに案内され、席に座ると暖かいおしぼりを渡された。
 それで手を拭き、メニューが書かれた黒板を見る。まずは飲みやすいものをと思って「飲みやすいものでおすすめをお願いします」とお願いする。

「何か苦手なものはございますか?」
「そうですね……えっと、甘すぎるのは苦手です」
「かしこまりました。フルーツは大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です」

 バーテンダーはもう一度かしこまりました、と言うと早速カクテルを作り始めた。
 待っている間、スマホをいじる気にもなれなくて店内を見渡す。カップルで来ている人もいれば、友人同士で楽しむもの、一人で飲みに来ている人もいた。格式高いバーじゃないからか、各々楽しそうに話しながら過ごしている。
 その中で、カウンターで飲んでいる人と目が合ってしまった。嫌味なく、にこりと微笑む彼の姿がつい目に入ってしまったが、会釈だけして前に向き直した。

(びっくりした……急に笑いかけられるなんて思わなかった)

 一人で来ているのだろう。
 様子を見る感じ常連さんなのか、キープボトルもあるしバーテンダーと仲良さそうに話をしている。

「お待たせいたしました。こちら、アップルクーラーでございます」
「ありがとうございます」
「それではごゆっくりとお過ごしください」

 お通しのチャームとカクテルが目の前に置かれ、バーテンダーは一礼すると離れて別の作業を始めた。
 いただきます、と心の中で呟いてから飲むと炭酸の爽快さとリンゴの香りが鼻を抜けて、飲みやすいと思った。初めて飲んだけれど、これは好みだ。
 お通しにも口をつけながら飲んでいると、横から「ご一緒してもいいですか?」と声をかけられる。
 こんなところでナンパかよ、なんて思っているとさっき目が合ってしまった彼だった。
 綺麗な笑顔で笑いかけられ、断ろうにも圧を感じてしまって断りにくい。顔もいいし、雰囲気も悪い人じゃなさそうだ。
 こういう出会いも大事にしてみようと、そう思って「いいですよ」と言った。常連さんだからお店に迷惑をかけるようなことや変なことはしないだろう。

「ありがとうございます。なんとお呼びすればいいですか?」
「……じゃあ、りんごで」

 本名を教えるのはなんか違うと思ったので、目に入ったカクテルから言葉を借りる。
 何が面白いのか、目の前にいる彼は楽しそうにしながら「りんごさん」と呼んでいる。この人、何歳くらいなんだろう。同い年のようにも見えるけど、雰囲気が落ち着いているから年上にも見える。

「俺は榊原って言います。長ければさっちゃんって呼んでも」
「榊原さんって呼びますね」
「つれないですねえ。ではりんごさん、よろしくお願いします」

 グラスを差し出されたので、自分もグラスを出して軽くグラス同士を当てる。軽快な音がして、また一口飲んだ。

「ここに来るのは初めて?」
「はい、終電でここまで来てしまったので」
「ああ、ここの駅はタクシー乗るのにも大変ですから。じゃあ、この駅に来ることも?」
「そうです。タクシーも並んでたのでそれなら新規開拓しようと思って、見つけたのがここだったんです」
「そうだったんですね。ここはいいお店ですよ、おすすめです」

 私と話して何が楽しいんだろう。
 にこにこと笑いながら話し続ける榊原さんを見ると、つい捻くれた感想になってしまう。こんなに綺麗な人が私みたいな女と話をしていて何が楽しいのか……待って、まさかホストじゃないよね?
 こういうところで女の人を落として、お客にするってエピソードとか聞いたことがある。
 急に疑わしくなって、じっと彼のことを見ると「そんなに見ないでくださいよ」とか笑いながら言っている。

「いや、ホストだったりするのかなと思って……」
「俺が?! まさか、俺はただのサラリーマンですよ」
「ええ……?」

 疑わしい目で見ていると、本当ですってと言いながら名刺を取り出してきた。
 そんな簡単に自分の素性を晒してもいいのかと思いながらもじっと見てしまう。

「私、こういったものです」
「これはご丁寧に……」

 差し出された名刺を見ると、名前のところは「榊原 蓮」と書かれていた。どうやら榊原は本名らしい。
 よくよく見ると、役職のところに「代表取締役社長」と書いてあってひっくり返りそうになった。この人が、社長?

「これ、本物ですか?」
「ハハハッ、本物ですよ。ちゃんとやってます」

 まさかすぎる役職で信じたくないが、他人の名刺を使っているというわけでもなさそうだった。とりあえずいただいた名刺を丁寧にしまい、話を続ける。
 社長だからといってそれを鼻にかけるわけでもなく、話の内容は仕事のことではなく、趣味とか好きなものとか、たわいのないものだった。話し続けるうちにお酒がカラになると、スマートに次のを注文してくれたり、水も頼んでくれたりと気遣ってくれた。
 これはよほど、女性慣れをしてらっしゃる。話しやすいし、話も聞いてくれる姿勢を取ってくれるのでお酒の力もあって話してしまう。
 今日限りの話し相手にしてはとても豪華だけど、こういう日があってもいいだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎて、もうそろそろで閉店の時間になっていた。
 お会計をするために財布を出そうとすると、その手を榊原さんに止められた。

「ここは俺に払わせてください」
「え、いいです! 私が飲んだ分は私が払います」

 カクテルの他に、榊原さんがせっかくだからと言ってキープボトルのお酒も飲ませてくれた。
 それなのに一向に首を縦に振ってくれず、そのままカードで支払われてしまった。

「そんな……私が払おうとしたのに」
「まあまあ、お気になさらず。これもご縁ということで」
「いやです、受け取ってくださいよ」
「俺も嫌です」

 財布から取り出したお金を頑なに受け取ろうとしないので、どうしたもんかと考える。

「なら、今度お礼してください」
「今度?」
「はい。りんごさんと話すの楽しかったので、今度は食事にでも行きましょう。その時に今日のお礼をお願いします」
「榊原さんが良いと言うなら、良いんですけど……」
「じゃあ決まりですね! 連絡先の交換もしておきましょう」

 スマホを取り出した彼に倣って自分もスマホを取り出す。
 慣れた様子で連絡先を交換し、トークの履歴を残すためにスタンプを送り合った。

「りんごさんの苗字は、宮本なんですね」
「え」
「登録名」
「あ……っ!」

 すっかり忘れてた。
 違いますと言えるわけもなく、不可抗力だと思いながら改めて自己紹介をした。

「宮本佳織です……ちゃんとお礼はしますので、都合が良い日を送っていただけると助かります」
「はい、楽しみにしてますね」

 身支度をして、一緒にバーを出る。
 スマホで時間を確認したが、今は夜中の3時ごろ。始発まで待つのも微妙な時間で、やはりタクシーを使うしかなさそうだった。

「私はタクシーで帰りますが、榊原さんは?」
「俺もタクシーです。せっかくなので、乗り場までご一緒しても?」
「……どうぞ」

 駅までの道を二人並んで歩く。
 来るときは賑やかだったのが随分と静かになって、なんとなく無言で歩く。
 明日、というよりも今日が休みで助かった。間違いなく二日酔いになるだろうし、今もこうやって歩けているのも奇跡に近い。間違いなく1日で取っていいアルコール摂取量ではない。
 記憶が飛ぶことはないと思うけど、もし忘れてしまっても連絡先は交換したし、お礼をすることは思い出せるはず。
 気づけばタクシー乗り場に到着していて、待っている人もほぼいない。

「榊原さん、先にどうぞ」
「いいえ、女性が先です。俺が乗った後に何かあっても嫌ですから」
「……それなら、遠慮なく。今日はありがとうございました、ご馳走様です」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。お礼、楽しみにしています」

 目の前に止まっているタクシーのドアが開いたので、会釈をしてから乗り込んだ。
 運転手に行き先を伝えてから窓の外を見ると、にこにこと笑いながら手を振っていたので、自分からも手を振り返した。
 タクシーは緩やかに発車して、窓の外の景色が流れていく。

(楽しかったな)

 声をかけてきた、という意味では警戒したけど、話すのはとても楽しかった。
 バーでご馳走してもらったけど、価格はまあまあいっていたはず。そのまま奢られっぱなしというのも嫌だったけど、まさか相手から提案をされるとは思わなかった。もしかしたら、私に気を遣わせないために提案をしてくれたのかもしれない。社長さんってことはきっと忙しいだろうし、このまま連絡が来ない可能性は高い。
 あまりにも連絡が来なかったら、自分から連絡してみよう。流石にご馳走になったままというのは申し訳ないし、それで返信がなかったらその時は諦めよう。
 そんなことを考えているうちに家へと到着したので、料金を支払ってからタクシーを降りた。
 マンションのエントランスを通り、自分の部屋の前まで歩く。鍵を取り出して、玄関を開けたら靴を脱いで、そのまま洗面所へと直行した。休憩をしてから、なんて言って座ってしまったが最後。間違いなく動けなくなるので、こういう時は帰ってきた勢いで化粧を落とすのがいい。
 その勢いのまま、シャワーも浴びることにした。酔っ払っているし、髪の毛を洗う元気まではないので、服を脱いで体だけ洗った。
 パジャマに着替え、ベッドに飛び込むと急に眠気がやってきた。時間はもう朝の4時とも言える。
 今日は昼まで眠ってしまおう。二日酔い対策は昨日から用意してあるから、起きた後の生活はなんとかなる。
 
(そうだ。起きたら昨日はありがとうございましたって、送らなきゃ……)

 薄れていく意識で、榊原さんのことを思い出す。
 思い出せるのは楽しかった記憶で、自然と笑みが溢れる。

(また、会えるといいな)

 そんなことを考えながら、夢の中へと落ちていった。
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