笑顔の記憶
 愛しい亜由へ

 この手紙を手にした時、亜由が幸せであってほしい  と心から願っています。
 本音を言えば、命の幕が下りる最後の日まで、亜由と過ごしたかった。でも、亜由から笑顔を奪ってしまうかもしれないと思うと、どうしても話すことができなかった。ごめん。
 実は病気が見つかって、余命宣告を受けた。
 最後の記憶は、笑顔の亜由がよかったんだ。わがままで意気地無しな俺を許してほしい。
 長い旅に出たとでも思っていてほしい。
 いつかまた笑顔の亜由と会えることを楽しみに、向こうで待っています。それまで、亜由が幸せに過ごせることを祈っています。

 謙信


 わがままでもなければ、意気地無しでもない。
 あの日、ぬいぐるみを届けてくれた時には、決心を固めていたはずだ。おどけたような謙信の笑顔。いつもと変わらないその笑顔に、まんまと騙されてしまった。
 それでも、互いに笑顔の記憶を残してくれたことには、感謝しかない。

 謙信の意思を尊重して、その後の足取りを辿ることはしなかった。
 その代わりに、彼の言葉を信じてがむしゃらに走り続けた。



 革張りのソファには、真っ赤なベストを着て皆の注目を集める体長百センチを超える巨大なくまが腰を下ろしている。
 それは、『A&K Fabric』の看板マスコットだ。

 ――やっとここまで来たよ。

 ここに辿り着くまで、亜由は何度も岐路に立ち、その度に謙信の言葉を思い出して、挑戦を選んできた。

「やってみる価値はあると思う」

 ――謙信、あなたのおかげで、私は幸せに過ごせています。





【完】
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