「もひもひ……」

寝ぼけた声でスマートフォンを取ると、低く乾いた声が耳に届いた。

「何してんの?もう12時だけど。」

柚希は一瞬まばたきをして、枕元の時計に目をやった。

針は12時7分を指していた。

彼女は跳ね起き、スマートフォンを握りしめたまま叫んだ。

「うわっ、すみません!!今すぐ出ます!」

通話を切ると、ベッドから飛び降り、クローゼットを開けて手近な服を引っ張り出す。

鏡の前に立ち、髪を手ぐしで整え、適当にお団子に結ぶ。

そして、ドレッサーの中からリップだけを取り出し、無防備に塗る。

ガーメントバッグを抱え、アトリエを飛び出した。

電車の中、バッグの中身を何度も確認する。

肩にかけたバッグの重みを感じながら、彼女は駅の階段を駆け上がった。

撮影場所の洋館に着いたのは、12時半を少し過ぎた頃だった。

白い門の前に立っていた蒼が、こちらに気づいて顔を上げた。

「……遅刻。」

「ごめんなさい!!」

柚希は小さく頭を下げた。

蒼は表情を変えずに言った。

「衣装、見せて。」

柚希はバッグのファスナーを開け、ドレスを取り出した。

淡いグレージュのシフォンが、冬の光を受けてやわらかく揺れた。

蒼は無言のまま、ドレスを見つめた。

指先で布の感触を確かめるように、そっとなぞる。

そのまま数秒、何も言わずに立ち尽くしていた。

「……着せてみて。」

それだけ言って、彼はスタジオの中へと歩いていった。

柚希はドレスを抱え直し、彼のあとを静かに追った。

モデルの女性が、スタッフと親しそうに話しながら立っていた。

チョコレートカラーのまっすぐな髪が光を受けて揺れている。

柚希はドレスを抱え、少し緊張しながら近づいた。

「遅れて申し訳ございません。今日はよろしくお願いします」

そう声をかけて、試着室へ案内する。

モデルはにこりと微笑み、うなずいてカーテンの奥へ消えた。

柚希はドレスを手渡し、外で静かに待つ。

数分後、カーテンがふわりと揺れ、モデルが姿を現した。

淡いグレージュのシフォンが、彼女の体のラインに沿って柔らかく流れる。

朝の光を含んだように、ラメがきらりと瞬いた。

「すごくきれいですね。軽いし、ラメがきれい」

モデルがふわりと笑う。

徹夜で作った甲斐があった——きれいですね、その一言で、胸の奥がじんと温かくなる。

そのとき、蒼と同じカメラスタッフが声をかけてきた。

「ヘアセットもお願いします」

柚希は大きなメイクポーチを抱え、ドレッサーの前へ移動した。

「少し、肌整えますね」

下地を薄くのばし、ファンデーションはごく薄く。

近くで見ると、やっぱり肌がきれいだ。

瞼には、ドレスのシフォンに合わせた淡いベージュ。

元からぷっくりした唇には、ナチュラルなローズベージュを選ぶ。

次にコテを取り出し、髪をゆるく巻く。

手ぐしでふわりとすくい上げ、編み込みのハーフアップにまとめた。

おくれ毛を少しだけ残し、顔まわりに柔らかな影を作る。

「少し歩いてみてください」

モデルが一歩踏み出すと、 柚希の思い描いていたイメージがそのまま形になった。

「……完成しました」

そう告げた瞬間、背後から蒼の声がした。

「こちらへ」

柚希と話すときとは違う、仕事用の丁寧な口調。

その声に導かれるように、モデルは静かに歩き出した。
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