王子様なんて現れない
2
「喜べ、ようやくお前の嫁ぎ先が決まりそうだ」
「明日には戻るから、くれぐれも無駄なことはしないように」
「はい。お父様、お母様」
従順に返事を返す娘に満足したように頷き、降りしきる雨の中、両親はいそいそと出かけて行った。雨の日によく行くものだ、と思ったけれど口にはしない。行き先は特に告げられなかったけれど、明日には戻ってくることがわかっているし、どうでもいいので聞きもしなかった。どうやら両親が帰ってきたらいよいよ自分は嫁に出されるようだが、どこか他人事で現実味がない。せめて両親より酷い人じゃないといいなあと願うばかりだ。それよりも、雨が降っているせいで庭に出られないことが残念だった。
貴族の割に成金趣味の両親は、よくわからない絵画や壺をしょっちゅう買い漁り屋敷に飾るのが常だけれど、庭については正しい感覚を持っていたらしい。庭師に手入れを任せきりだが、そのおかげと言うべきだろう。季節に合わせて植えられた花々に、整然と刈り込まれた生垣。まとまりのない屋敷の内装に反して、庭だけは小綺麗にまとまっていた。クリスティが幼いときに雇っていた庭師のほうが腕は良かったようだけれど、後任の庭師の腕も申し分ない。両親が少ない賃金でこき使っていることに、いつも申し訳ないと思っている。
窓の外では雨が降りしきっていて、とてもじゃないけれど出られそうにはない。ガゼボに置かれたベンチに座って、庭をぼーっと眺めること。それは娯楽を許されないクリスティの、唯一の許された楽しみだった。せっかく両親がいないのだから授業前にこっそり本を持ち出して読もうかなと思ったのだけれど、こうも雨が降っていては出来そうにない。慎ましく咲き誇るカスミソウが、雨のせいでいくらか散ってしまわないだろうか。明日になったら雨は止むだろうか、そう心配したところでふと思い至ってしまった。
「もうすぐ見られなくなるんだ……」
ぽつ、と窓の外を眺めて独りごつ。落ち込んだときもそうでないときも、気がつけば足が向くぐらいには好きな場所。結婚して家を出ると言うことは、もう自由にこの庭を見られなくなると言うことだ。
「……」
そっと窓際から離れ、授業へと向かう。実家に対してはなんの思い入れもないけれど、この庭を自由に見られなくなることだけは心残りだった。
*
翌日には帰ってくると言っていた両親だが、一週間ほど経っても帰ってこなかった。連日降りしきった雨はすっかり止んだけれど、一向に帰ってくる気配はない。心配、と言うわけではないけれどどうしたのだろうと首を傾げる。もしかしてうまく縁談がまとまらなかったのに腹をたて、気晴らしにカジノにでも行ったのだろうか。正直、前例はあるのでありうる。以前、出かけたきり数日間帰ってこなかったかと思えばカジノで散財し尽くしていたこともあった。いないのをいいことに思う存分読書を楽しんでいたところ、帰ってきたことに気づかず、出迎えがないと散々怒鳴られた末に夕食を抜かれた。あれは嫌な思い出だ。帰ってこないのは別にいいのだけれど、いつ帰ってくるかわからない緊張状態を強いられるのは嬉しくない。せめていつ帰ってくるかわかればいいのに。
そんなことを考えていると、ドアベルの音が玄関の方から聞こえる。ようやく帰ってきたのかと玄関の方へと向かった、が。
「叔父様……?」
出迎えた先にいたのは両親ではなく叔父、と見知らぬ青年だった。叔父はクリスティを見て僅かに微笑んだけれど、その顔にいつものような覇気はない。なんだか憔悴しているようにさえ見える。何かあったのだろうか、と思っていると叔父が切り出す。
「やあ、クリスティ。変わりないかい?」
「はい、変わりありません。あの、お父様とお母様は出かけていて……」
「知っている。そのことで来たんだ」
どういうことだろう、と首を傾げていると、「中に通してもらってもいいかな?」と尋ねられる。慌てて応接室に通し、使用人にお茶の用意をお願いした。
「……」
「……」
応接室に気まずい沈黙が流れる。実に二年ぶりの再会だけれど、どうやらいつものようにクリスティに楽しみを与えてくれるような訪問ではないらしい。叔父は言葉に迷っているのか、沈痛な面持ちで黙り込んだままだ。使用人に淹れてもらった紅茶に口をつけながら、叔父の後ろに控えている青年にちらりと目を遣る。
暗褐色の髪に榛色の瞳を持つ整った顔立ちの青年は見覚えがある気がするけれど、どこで見覚えたのかは全く思い出せない。クリスティよりいくらか年上そうな彼は、クリスティが見ていることに気がつくとにっこり微笑んだ。どう考えても楽しくない雰囲気のこの場にはそぐわないぐらいに優美で、絵本で見た王子様が浮かべるような微笑み。歳の近い男性に微笑みかけられたことなんて滅多にないクリスティはそれだけで顔が真っ赤になり、慌てて視線を逸らしてしまった。
「……クリスティ、落ち着いて聞いてくれるか?」
「は、はい」
ようやく口を開いた叔父は、いつになく固い口調でクリスティに話しかける。後ろに控えた青年は、いまだに微笑みを浮かべたまま。眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべている叔父とは対照的で、なんだかチグハグだけれど、よく見ると口角をあげているだけで目は笑っていないことに気がついた。
「おまえの両親が死んだ」
青年を盗み見ていたクリスティの意識を、叔父の言葉が引っ張り戻す。聞き間違いだろうか、と叔父の顔を見ると、「おまえの両親、私の兄と義姉が亡くなったんだ」と同じ内容を繰り返した。どうやら聞き間違いでも勘違いでもないらしい。困惑して、「ど、どうして」としか言えないクリスティに叔父は続ける。
曰く。
連日降り続いた雨のせいでぬかるんだ山道に馬が足を取られてしまい、制御の効かない馬車はそのまま崖から転落。馬も御者も両親も、どうやら即死。後から同じ道を通った行商人が、抉れた道の先にぐしゃぐしゃになった馬車を発見。馬車に刻まれた家紋から叔父の親族だと判断して報告。
そういうわけで、騎士爵を持つ叔父が役人の代わりに来たとのこと。淡々と述べられた事実は、教養のあまりないクリスティでもしっかり飲み込めた。が、事態を理解できてもどこか現実味がない。遠い国で起きた知らない人に関する事故を聞かされているみたいだ。そのうち帰ってくると思っていた二人は、どうやらもう二度と帰ってくることはないらしい。
「お父様と、お母様が、亡くなられた……」
呆然と呟くクリスティに、叔父は目を伏せる。その姿がなんだか意外だった。叔父は伯爵家に来るたびクリスティの父親と、何かと言い合いになっていた。祖父母は既に亡くなっているし、父親からも叔父からも何か聞いたことがあるわけではない。が、仲のいい二人でなかったことは確かだ。ついでに、叔父と母が良好な関係を築いていた記憶ももちろんない。
だから、意外だった。目の前の叔父は、父と、ついでに母の死にショックを受けているように見える。それこそ、実の娘であるクリスティよりもはるかに。碌でもない人だったとはいえ、叔父にとってはたった一人の兄で唯一の兄。それなりに思うところはあるのだろうか。クリスティは、呆然とはしても涙ひとつでないのに。
「クリスティ」
「は、はい」
ぼんやり考え込んでいると、急に名前を呼ばれる。思わず吃りながら返事をするクリスティに、「亡くなったことを話したばかりで悪いけれど、これからの話をしようか」と叔父はいつになく真剣に口を開いた。
「これからの……」
「兄が……おまえの父と母がどうして出かけたかは聞いているかい?」
「はい。私の縁談をまとめるためだと」
途端に、叔父の後ろで微笑んでいた青年の顔が引き攣ったのを、クリスティは見逃さなかった。両親の機嫌を損ねないように生きてきたので、他人の表情の変化には鋭い。どうしたのだろう、と思ったけれど口にはしなかった。青年の表情の変化や両親の死よりも、伯爵家の行末の話の方が重要なのだ。居住まいを正して叔父に向き直る。
「その話は私の方から断っておこう」
「叔父様が?」
「ああ。相手は、クリスティが嫁ぐには歳が離れすぎているし、その……あまりいい噂は聞かない人だからね」
力なく笑う叔父に、やはりお金持ちのご老人だったことと、クリスティの願い空しく両親と同じかそれ以上に酷い人だということを悟った。
「でも、できるんですか? 相手の方を怒らせたりとか……」
「まだ正式な婚約にも至っていないからね。問題ないよ」
そう告げる叔父になるほど、と納得した。頷くクリスティに、叔父は続ける。
「それから、伯爵家のことだけど、一旦は私が当主代行を努めようと思う」
「叔父様が継いでくれるのではないのですか?」
「私に継承権はないんだ。随分昔、この家を出たときにそういう取り決めをしてね」
「そう、なんですか」
知らなかった。この国の法律や貴族社会のルールは一応教養として頭に入っているけれど、これまで真剣に考えたことがなかったのだ。この国では女性が家督を継ぐことはできないし、両親からは有力貴族に嫁ぐことしか言われたことがない。父が亡くなった後は、伯爵家は叔父が継ぐものだとばかり勝手に思っていた。
が、叔父が継ぐのではないのなら。一体両親は誰に伯爵家を継がせるつもりだったのだろう。もしかしたら、当代当主である自分たちが贅の限りを尽くせるのなら、後は断絶しても構わないと思っていたのかもしれない。どこまでも自己中心的な人たちだったから。
「しばらくはここに留まって兄たちの葬儀や役所での手続きを進めようと思う」
「でも、叔父様の領地は……」
「気にすることはない。優秀な家令たちに全て任せてきたからね」
「叔父様、ごめんなさい」
「構わないよ、家族だからね」
そう言って笑ってくれる叔父に申し訳なくなる。クリスティが何もできないから、適齢期に差し掛かっても頼れる婚約者一人見つけられないから。かけなくてもいい迷惑をかけることになってしまう。後ろめたくて視線を下に落とすと、「そこまで申し訳なさそうにする必要なんてありませんよ」と声が降ってくる。叔父のとは違う、柔らかい声。パッと顔を上げると、榛色の瞳と目が合った。
「あなたは両親を亡くしたばかりなんだ。頼れる存在に頼って、任せられることは任せた方がいい」
「は、い……」
思わず返事をすると、叔父が苦笑する。「ああ、彼の紹介が遅くなってすまない」と前置く。
「彼はカイル。最近うちで贔屓にしている商人でね」
「初めまして、クリスティ嬢」
「は、初めまして……」
本当に初めましてなのだろうか。妙に見覚えのある榛色に疑念が湧くけれど、言い出せる空気ではなかった。恭しく礼をするカイルから叔父に視線を移すと、「これは提案なんだが」と口を開く。
「カイルと婚約するのはどうだい?」
「……え?」
「明日には戻るから、くれぐれも無駄なことはしないように」
「はい。お父様、お母様」
従順に返事を返す娘に満足したように頷き、降りしきる雨の中、両親はいそいそと出かけて行った。雨の日によく行くものだ、と思ったけれど口にはしない。行き先は特に告げられなかったけれど、明日には戻ってくることがわかっているし、どうでもいいので聞きもしなかった。どうやら両親が帰ってきたらいよいよ自分は嫁に出されるようだが、どこか他人事で現実味がない。せめて両親より酷い人じゃないといいなあと願うばかりだ。それよりも、雨が降っているせいで庭に出られないことが残念だった。
貴族の割に成金趣味の両親は、よくわからない絵画や壺をしょっちゅう買い漁り屋敷に飾るのが常だけれど、庭については正しい感覚を持っていたらしい。庭師に手入れを任せきりだが、そのおかげと言うべきだろう。季節に合わせて植えられた花々に、整然と刈り込まれた生垣。まとまりのない屋敷の内装に反して、庭だけは小綺麗にまとまっていた。クリスティが幼いときに雇っていた庭師のほうが腕は良かったようだけれど、後任の庭師の腕も申し分ない。両親が少ない賃金でこき使っていることに、いつも申し訳ないと思っている。
窓の外では雨が降りしきっていて、とてもじゃないけれど出られそうにはない。ガゼボに置かれたベンチに座って、庭をぼーっと眺めること。それは娯楽を許されないクリスティの、唯一の許された楽しみだった。せっかく両親がいないのだから授業前にこっそり本を持ち出して読もうかなと思ったのだけれど、こうも雨が降っていては出来そうにない。慎ましく咲き誇るカスミソウが、雨のせいでいくらか散ってしまわないだろうか。明日になったら雨は止むだろうか、そう心配したところでふと思い至ってしまった。
「もうすぐ見られなくなるんだ……」
ぽつ、と窓の外を眺めて独りごつ。落ち込んだときもそうでないときも、気がつけば足が向くぐらいには好きな場所。結婚して家を出ると言うことは、もう自由にこの庭を見られなくなると言うことだ。
「……」
そっと窓際から離れ、授業へと向かう。実家に対してはなんの思い入れもないけれど、この庭を自由に見られなくなることだけは心残りだった。
*
翌日には帰ってくると言っていた両親だが、一週間ほど経っても帰ってこなかった。連日降りしきった雨はすっかり止んだけれど、一向に帰ってくる気配はない。心配、と言うわけではないけれどどうしたのだろうと首を傾げる。もしかしてうまく縁談がまとまらなかったのに腹をたて、気晴らしにカジノにでも行ったのだろうか。正直、前例はあるのでありうる。以前、出かけたきり数日間帰ってこなかったかと思えばカジノで散財し尽くしていたこともあった。いないのをいいことに思う存分読書を楽しんでいたところ、帰ってきたことに気づかず、出迎えがないと散々怒鳴られた末に夕食を抜かれた。あれは嫌な思い出だ。帰ってこないのは別にいいのだけれど、いつ帰ってくるかわからない緊張状態を強いられるのは嬉しくない。せめていつ帰ってくるかわかればいいのに。
そんなことを考えていると、ドアベルの音が玄関の方から聞こえる。ようやく帰ってきたのかと玄関の方へと向かった、が。
「叔父様……?」
出迎えた先にいたのは両親ではなく叔父、と見知らぬ青年だった。叔父はクリスティを見て僅かに微笑んだけれど、その顔にいつものような覇気はない。なんだか憔悴しているようにさえ見える。何かあったのだろうか、と思っていると叔父が切り出す。
「やあ、クリスティ。変わりないかい?」
「はい、変わりありません。あの、お父様とお母様は出かけていて……」
「知っている。そのことで来たんだ」
どういうことだろう、と首を傾げていると、「中に通してもらってもいいかな?」と尋ねられる。慌てて応接室に通し、使用人にお茶の用意をお願いした。
「……」
「……」
応接室に気まずい沈黙が流れる。実に二年ぶりの再会だけれど、どうやらいつものようにクリスティに楽しみを与えてくれるような訪問ではないらしい。叔父は言葉に迷っているのか、沈痛な面持ちで黙り込んだままだ。使用人に淹れてもらった紅茶に口をつけながら、叔父の後ろに控えている青年にちらりと目を遣る。
暗褐色の髪に榛色の瞳を持つ整った顔立ちの青年は見覚えがある気がするけれど、どこで見覚えたのかは全く思い出せない。クリスティよりいくらか年上そうな彼は、クリスティが見ていることに気がつくとにっこり微笑んだ。どう考えても楽しくない雰囲気のこの場にはそぐわないぐらいに優美で、絵本で見た王子様が浮かべるような微笑み。歳の近い男性に微笑みかけられたことなんて滅多にないクリスティはそれだけで顔が真っ赤になり、慌てて視線を逸らしてしまった。
「……クリスティ、落ち着いて聞いてくれるか?」
「は、はい」
ようやく口を開いた叔父は、いつになく固い口調でクリスティに話しかける。後ろに控えた青年は、いまだに微笑みを浮かべたまま。眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべている叔父とは対照的で、なんだかチグハグだけれど、よく見ると口角をあげているだけで目は笑っていないことに気がついた。
「おまえの両親が死んだ」
青年を盗み見ていたクリスティの意識を、叔父の言葉が引っ張り戻す。聞き間違いだろうか、と叔父の顔を見ると、「おまえの両親、私の兄と義姉が亡くなったんだ」と同じ内容を繰り返した。どうやら聞き間違いでも勘違いでもないらしい。困惑して、「ど、どうして」としか言えないクリスティに叔父は続ける。
曰く。
連日降り続いた雨のせいでぬかるんだ山道に馬が足を取られてしまい、制御の効かない馬車はそのまま崖から転落。馬も御者も両親も、どうやら即死。後から同じ道を通った行商人が、抉れた道の先にぐしゃぐしゃになった馬車を発見。馬車に刻まれた家紋から叔父の親族だと判断して報告。
そういうわけで、騎士爵を持つ叔父が役人の代わりに来たとのこと。淡々と述べられた事実は、教養のあまりないクリスティでもしっかり飲み込めた。が、事態を理解できてもどこか現実味がない。遠い国で起きた知らない人に関する事故を聞かされているみたいだ。そのうち帰ってくると思っていた二人は、どうやらもう二度と帰ってくることはないらしい。
「お父様と、お母様が、亡くなられた……」
呆然と呟くクリスティに、叔父は目を伏せる。その姿がなんだか意外だった。叔父は伯爵家に来るたびクリスティの父親と、何かと言い合いになっていた。祖父母は既に亡くなっているし、父親からも叔父からも何か聞いたことがあるわけではない。が、仲のいい二人でなかったことは確かだ。ついでに、叔父と母が良好な関係を築いていた記憶ももちろんない。
だから、意外だった。目の前の叔父は、父と、ついでに母の死にショックを受けているように見える。それこそ、実の娘であるクリスティよりもはるかに。碌でもない人だったとはいえ、叔父にとってはたった一人の兄で唯一の兄。それなりに思うところはあるのだろうか。クリスティは、呆然とはしても涙ひとつでないのに。
「クリスティ」
「は、はい」
ぼんやり考え込んでいると、急に名前を呼ばれる。思わず吃りながら返事をするクリスティに、「亡くなったことを話したばかりで悪いけれど、これからの話をしようか」と叔父はいつになく真剣に口を開いた。
「これからの……」
「兄が……おまえの父と母がどうして出かけたかは聞いているかい?」
「はい。私の縁談をまとめるためだと」
途端に、叔父の後ろで微笑んでいた青年の顔が引き攣ったのを、クリスティは見逃さなかった。両親の機嫌を損ねないように生きてきたので、他人の表情の変化には鋭い。どうしたのだろう、と思ったけれど口にはしなかった。青年の表情の変化や両親の死よりも、伯爵家の行末の話の方が重要なのだ。居住まいを正して叔父に向き直る。
「その話は私の方から断っておこう」
「叔父様が?」
「ああ。相手は、クリスティが嫁ぐには歳が離れすぎているし、その……あまりいい噂は聞かない人だからね」
力なく笑う叔父に、やはりお金持ちのご老人だったことと、クリスティの願い空しく両親と同じかそれ以上に酷い人だということを悟った。
「でも、できるんですか? 相手の方を怒らせたりとか……」
「まだ正式な婚約にも至っていないからね。問題ないよ」
そう告げる叔父になるほど、と納得した。頷くクリスティに、叔父は続ける。
「それから、伯爵家のことだけど、一旦は私が当主代行を努めようと思う」
「叔父様が継いでくれるのではないのですか?」
「私に継承権はないんだ。随分昔、この家を出たときにそういう取り決めをしてね」
「そう、なんですか」
知らなかった。この国の法律や貴族社会のルールは一応教養として頭に入っているけれど、これまで真剣に考えたことがなかったのだ。この国では女性が家督を継ぐことはできないし、両親からは有力貴族に嫁ぐことしか言われたことがない。父が亡くなった後は、伯爵家は叔父が継ぐものだとばかり勝手に思っていた。
が、叔父が継ぐのではないのなら。一体両親は誰に伯爵家を継がせるつもりだったのだろう。もしかしたら、当代当主である自分たちが贅の限りを尽くせるのなら、後は断絶しても構わないと思っていたのかもしれない。どこまでも自己中心的な人たちだったから。
「しばらくはここに留まって兄たちの葬儀や役所での手続きを進めようと思う」
「でも、叔父様の領地は……」
「気にすることはない。優秀な家令たちに全て任せてきたからね」
「叔父様、ごめんなさい」
「構わないよ、家族だからね」
そう言って笑ってくれる叔父に申し訳なくなる。クリスティが何もできないから、適齢期に差し掛かっても頼れる婚約者一人見つけられないから。かけなくてもいい迷惑をかけることになってしまう。後ろめたくて視線を下に落とすと、「そこまで申し訳なさそうにする必要なんてありませんよ」と声が降ってくる。叔父のとは違う、柔らかい声。パッと顔を上げると、榛色の瞳と目が合った。
「あなたは両親を亡くしたばかりなんだ。頼れる存在に頼って、任せられることは任せた方がいい」
「は、い……」
思わず返事をすると、叔父が苦笑する。「ああ、彼の紹介が遅くなってすまない」と前置く。
「彼はカイル。最近うちで贔屓にしている商人でね」
「初めまして、クリスティ嬢」
「は、初めまして……」
本当に初めましてなのだろうか。妙に見覚えのある榛色に疑念が湧くけれど、言い出せる空気ではなかった。恭しく礼をするカイルから叔父に視線を移すと、「これは提案なんだが」と口を開く。
「カイルと婚約するのはどうだい?」
「……え?」