執着系御曹司は最愛の幼馴染みを離さない

プロローグ

「俺と結婚してくれないか?」

 三歳上の幼馴染み、悠真(ゆうま)は、アパートの狭い一室で立ち尽くす(あん)を見据えると、至極軽い口調でそう言った。

 戻ってきたばかりのため室内はエアコンも入っておらず、外気温に近い。吐く息は白く、コートを着ていても足下から底冷えする寒さが伝わってくる。

 しかし、杏は驚きと戸惑いのせいで、エアコンのスイッチを入れるどころではなく、また寒ささえ忘れていた。頭を埋め尽くすのは、どうしてと疑問ばかり。

 今朝、五年ぶりに再会した悠真は、幼馴染みという理由だけで杏を救ってくれた。

 杏は()(なみ)家の使用人の孫として、彼の家の敷地内にある別邸にずっと住んでいたから、ただの幼馴染みの関係よりは身内に近いかもしれないが。

 それでも、杏は使用人の孫でしかないのに。

 祖父母が亡くなってからも本当の妹のように大事に思ってくれていたのを知っている。だとしても、それは決して〝恋〟ではなかったはずだ。

 再会して急に杏への恋愛感情が芽生えたのだろうか。そんなはずはない。

 女性として見てほしい。大人扱いしてほしい。杏がどれだけそう思おうとも、彼にはすでに結婚を考えるほど好きな人がいたのだから。

 このままずっと顔を合わせなければ忘れられる。そう思っていたのに、どうして悠真はこんな風に杏の気持ちをかき乱すのだろう。

「契約結婚でいい」

 悠真はやや不機嫌そうに目を逸らすと、事務的に言った。

 愛を乞われプロポーズされているわけではないのは確かだ。

「契約、結婚」
「あぁ、この立場に就くといろいろと煩わしい誘いが増えるんだ。杏と結婚すれば妻の座につきたい女性からの誘いは免れる」

 そういうことかとようやく納得する。
 彼は三十歳という異例の若さで父の後を継ぎ、大手ゼネコンである『名波総建』のCEOの立場に就いたと、悠真の母親である()()()から聞いた。

 目を引く容姿に高い身長。彼がモテるのなんて、幼い頃からいやと言うほど見てきたから知っている。

 名波グループのひとつ、名波総建は日本有数の総合建設会社だ。
 東京の一等地に本社ビルを構えており、またグループ会社には創業者一族の名前が多数あり、その中でも悠真は本家の直系であった。

 オリンピックで使用される大型スタジアムの建設や、その当時、日本で一番高いビルと呼ばれていた商業施設の建設にも携わり、大手ゼネコンの仲間入りを果たした。

 杏の曾祖父は名波家先々代当主にたいそう世話になったようで、その恩を返すため従者として名波家に仕えていたという。

 時代が変わってもその関係性は変わらず、名波家当主は()々(も)()家を身内のように扱い、信頼を置いてくれた。

 その信頼に応えるべく、杏の祖父も使用人頭として仕えていたのだ。

 東京都八(はち)(おう)()市にある三百坪の名波家の敷地には、百々路家に貸し与えるための離れが建てられている。

 杏はその離れで生まれ育ち、使用人としての教育も受けてきた。しかし杏自身はお嬢様でもなんでもなく、ごく一般的な庶民で、容姿も頭脳も平均的。

 使用人の一族として幼馴染みである悠真のそばにいても問題のない教養は身につけているが、悠真と肩を並べられるほどではないと自分自身が一番よくわかっている。

 ならば、どうして契約結婚の相手が自分なのか。
 おそらく、名波家に対して、杏が恩義を感じているからではないか。

 幼い頃から身内として接してきて、名波家を決して裏切らない杏を〝妻〟とするなら、きっと悠真にとっていろいろと都合がいいのだろう。
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