初恋が終わらないのは、菖蒲くんのせい
第一話 本当の彼
「ということで、テーマは“初恋”!くじ引きで決まった運命共同体の五人で、一ヶ月後の〆切までに一つのポスターを作ってください。そして一ヶ月後のプレゼンをもとにして皆さんの配属を決定します」


新人研修担当の(あずま)さんが、男性にしては整った書体で大きく“初恋”という文字をホワイトボードの真ん中に書いた。


「それでは残りの時間はチームの時間として使ってください」


東さんの言葉を合図に、先ほど作ったグループで固まっていた社員たちがザワザワと話し始める。


四月。夢見ていた広告会社に勤めてから、まだ数日しか経っていない。

広告会社の中でも部署がいくつかにわかれていて、新人社員の配属は入社してすぐに行われる新人研修コンテストによって決められる。

新人研修コンテストでは、五人のチームにわかれて一つの広告ポスターを実際に作りプレゼンを行う。

一位に輝いたチームにはそれなりの景品もあり気軽なコンテストとなっているけど、今後の人生に関わる部署決定も兼ねているため重要なスタート地点となっている。

優勝すれば自分の実力も同時にアピールすることができるし、それはそれは毎年盛り上がるそうだ。


「まずは自己紹介からするか?俺の名前は朝倉圭吾(あさくらけいご)だ。同期だし同じチームになったのも何かの縁ってことで、気軽に接してくれると嬉しい」


私の前に座っていた大柄な短髪の男性が、人懐っこそうな笑顔で片手を上げながら自己紹介をした。


「私は神谷麻里香(かみやまりか)。大学ではまりりんって呼ばれてたけど、まあ呼びやすいように呼んでください」


朝倉くんの隣に座っていたゆるく巻いた胸下までの髪の毛を一つに縛っている女性が、にこやかに笑いながら続けて自己紹介をした。


白石真帆(しらいしまほ)です。一ヶ月間よろしくお願いします」


神谷さんの隣に座っていた肩で揃えた綺麗な黒髪ボブの女性が、黒縁の眼鏡を押し上げる仕草をしながら続けた。

三人の視線がすっとこちらを向き、私と隣に座っていた男性に向けられる。

次は私か隣の男性の番だけど、どっちから話すべきだろう…。

ちらりと隣に視線を向けるが、長いサラサラの重い前髪で目元の見えない男性は俯いていて何を考えているかちっともわからなかった。


「あ、えっと、初瀬夕凪(はつせゆうな)です。よろしく、お願いします…」


微妙な沈黙を破るように裏返った声で自己紹介をするが、一気に向けられた視線に耐えられなくなり最後の方はしぼんでしまった。


「初瀬だな、よろしく。最後は初瀬の隣の彼だな」


気まずい空気を和ませようとしてくれたのか、間に入ってくれた朝倉くんにホッとする。

私の隣にいた男性はやっと少しだけ顔を上げると、消えそうな声で何かを呟いた。


「ん、なんだ?悪いがもう少しだけ大きな声で言ってくれるか?」

「…菖蒲怜(あやめれい)


代表して聞き返してくれた朝倉くんに、相変わらず目元の見えない男性がさっきよりは大きな声で名前を言った。


「菖蒲か。珍しい苗字だな。自己紹介も無事終了したってことで、この五人でコンテストに向けて一ヶ月間頑張ろうな」


早速リーダーシップを発揮して再び気まずくなりそうだった場をうまくまとめてくれた朝倉くんに、自然と女子メンバーから拍手が上がる。


「もう少しだけ時間があるし、軽く役割分担でもするか?今年のテーマは“初恋”だよな。これまた難しいテーマだな…」

「ねー。まさか恋愛系とは思ってなかったなー。でも私、デザインを考えるのとか好きだし得意だから、案ならたくさん出せるよ。それを描くってなったらまた別の話だけど」

「それなら私は絵を描くことが得意だから、案を出してもらえれば形にできるかも」


神谷さんと白石さんの得意なことを机の上に出していたルーズリーフにささっとメモをした朝倉くんが、うんうんと頷く。


「じゃあ神谷がアートディレクターで、白石がグラフィックデザイナーってことで。俺も案出し頑張るけど、性格的にもみんなをまとめる役の方が適してると自分で思うんだがどうだ?」

「いいよー。朝倉は最初からリーダーシップ発揮してるし、リーダーってことで」


神谷さんの言葉に白石さんも頷いていて、私も慌てて頷く。


「あとは肝心なキャッチコピーを作ってくれるコピーライター役もほしいところだけど、初瀬か菖蒲で得意だったりしないか?」


相変わらず微動だにしない菖蒲くんに一応視線を向けてから、おずおずと片手を上げる。


「得意って言えるほどじゃないんですけど、キャッチコピーを作ることだったら、好きなので…」


デザインよりもキャッチコピーを考えるコピーライターの方がやりたいと思ってこの会社に就職したため、私にとってはありがたい話だ。

実績があるわけでもないし、神谷さんや白石さんのように得意と言えるほど自分の力に自信を持っているわけでもないけど、少しはみんなの役に立てるのではないだろうか。


「おっけい。じゃあ初瀬がコピーライターで。あとは菖蒲の役だけど、菖蒲は何か得意なこととかあるか?」


朝倉くんの問いかけに、菖蒲くんは何も答えない。


「今出たことでもいいぞ。二人でやればいいからな」

「…写真」


優しく問いかける朝倉くんに、菖蒲くんがやっと口を開いた。


「写真?」

「写真撮ることなら、得意」

「あ、それ助かるかも。私、案出しで写真集とか見て考えることよくあるから、いい感じのエモい写真とか撮ってきてくれたら考えやすいかも」


神谷さんの合いの手に朝倉くんが感心したように「へぇ」と短く呟く。


「なるほどな。じゃあ菖蒲は写真担当で。幅広い視点から案出しができて助かるな」


朝倉くんが言い終えたところで、ちょうど東さんが話し合い終了だと伝えてきた。





自己紹介をし合った日から一週間が経った。

コンテストに向けて、私たちのチームは朝から晩までデザインを考えるところから始めていた。


「“初恋”といえば、やっぱり甘酸っぱくて可愛い印象が強いと思うの。でも、それはみんなも同じだと思うから、優勝するためには一捻りがほしいよねー。でもその一捻りが難しいんだよ!」


今日はゆるく巻いた髪の毛を下ろしている神谷さんが、カフェオレの缶を片手に机に両腕を伸ばして項垂れていた。

お昼時なため外のテラスの丸い机を五人で囲み、それぞれが持ってきたお昼を食べながらなかなか進まない案出しの作戦会議をしていた。


「菖蒲、何か撮った写真ないの?」


ガバッと体を起こした神谷さんが、隅っこで黙々と惣菜パンを頬張っていた菖蒲くんに顔を向けた。

菖蒲くんは無言でパンを食べ続けながら、傍らに置いていたカバンの中から封筒を取り出すと神谷さんに差し出した。


「何これ?」


不思議そうに首を傾げる神谷さんが封筒を開けて中身を取り出す。

中からは現像された何十枚かの写真が出てきた。


「えー!すごい、ちゃんとしたカメラ使ってるの?しかも撮り方うま」

「すごいな。一週間でこんなに撮ってきてくれたのか?」


花や空、夕焼けや日常風景など様々な瞬間を切り取った写真達に、神谷さんと朝倉くん、白石さんが驚いたように目を見開き感嘆の声を漏らしていた。


「…帰り道とかで、思いついた時に撮っただけ」

「だとしてもすごいよ!えーどうしよう、こんなにあったら想像も膨らむけど、コンセプトというか私たちのチームの“初恋”が先に決まらないと、何もデザイン案が固まらないっていうか…」

「そうだな。まずはどんな“初恋”にするかが先だな。ちなみに初瀬は、何かキャッチコピー案出してたりするか?」


急に話の矛先が自分に向けられて、思わずびくりと大袈裟に反応してしまう。


「あ、えっと…ごめん、まだ…」

「まあそうだよな。まずは“初恋”といえば、から話し合おうか」

「あ…」

「それなんだけど、初恋に関することをネットで調べて体験談をもとに絵で表してみたの。実物は家に置いてきてるから写真で申し訳ないんだけど、こういうのを合わせて一枚の絵にできたらどう?」


あの、と続けようとした私のか細い声を、白石さんのハキハキとした声で遮られる。


「ええ!すごい!」

「全然まだ試作段階だから、シャーペンと色鉛筆しか使ってない下書きだよ」

「それでもすごいな」


白石さんが見せてくれたのは、薄いピンク色やパステルカラーの花畑、触れそうで触れない距離にいる男女の影絵、結びかけのリボンなどと、まさに“初恋”を連想させるような絵ばかりだった。


「やっぱり甘酸っぱくてときめきを感じるようなものが“初恋”って感じだよね!そっち方向でデザイン案をいくつか考えてみるよ。菖蒲と真帆ちゃんのも参考にしながら」

「そうだな、ありがとう。それじゃあ連日遅くまで残ってたし、今日は昨日話した通り昼解散にしようか。話し合ったことはまとめたから後でグループに送っておくな。また明日」

「はーい」

「ありがとう」


食べ終わったお昼をまとめながら、三人が各々立ち上がる。

私も慌てて荷物をまとめて立ち上がりながら、「お疲れ様」とだけ小さな声で三人の後ろ姿に投げかける。


「あ…」


ふと、机の上に置かれたままの写真に気づき、一つにまとめようと手を伸ばす。

さっきはみんなが見ていたから全部は見れていなかったけど、たしかに一つ一つの写真が何気ない風景だけどこだわりのある一枚だということが伝わるほど菖蒲くんの技術が詰まっていた。

そのうちの一枚の写真に釘付けになる。

ピンクのような紫のような色をした夕焼けを背景に、光が反射していて顔は見えないけど、手すりに寄りかかる髪の長い女の人の横顔。

なんだか胸がぎゅっと締め付けられるような、そんな一枚だった。


「ありがとう、まとめてくれて」


ハッと顔を上げると、手が止まってしまっていた私の横から菖蒲くんが写真と封筒を取り上げてくると、素早く鞄の中にしまった。

私と同じで影が薄くて気づかなかったけど、菖蒲くんはまだ残っていたようだ。


「あ、お、お疲れ様…。また明日、ね」


気まずくて逃げるようにそれだけ言い残すと、慌てて鞄を掴んでその場を後にする。

会社を出ながら、自分の不甲斐なさに自然とため息がこぼれる。


初日からずっとリーダーとして話を進めたりまとめたりしてくれている朝倉くんがいなかったら、きっと今頃こんなにチームはまとまっていない。

神谷さんも白石さんも、才能があってデザインが決まるのももうあと一歩だろう。

それも菖蒲くんの写真のおかげでもある。

みんな才能があってそれぞれの力で足りない部分を補い合っている。

…それなのに私は、この一週間で何もできていない。役に立てていない。

適当に相槌を打って話に参加しているだけ。そんな誰でもできるようなことしかしていない。


「…あれ?」


ふと、鞄の中から手帳を取り出そうとするが、いつも入れている小口ポケットの方に入っていないことに気づき思わず立ち止まる。

そのまま中を探ってみるけど、手帳は見つからない。

もしかして、さっき急いで鞄を取ったからその拍子に落としてきたのかもしれない。

慌てて元来た道を戻って行き、私たちの座っていた席に戻ると、なぜか菖蒲くんがまだそこに腰掛けていた。


「菖蒲くん…?まだ残ってたの…」


気まずいなと思いながらも後ろから声をかけると、菖蒲くんは私の手帳を開いて中を見ていた。
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