花は通る、恋もまた―――未来へ続く45分

 無菌服に着替える。
 白いフードを被り、マスクを着け、手袋を二重に装着する。
 視界が少し歪む。
 呼吸が浅くなる。

 台車を押して入室。
 機械音が一定のリズムで響く。
 ファンの回転音。
 薬品の匂い。

 花の香りは、まだ封じられている。
 この部屋では、全てが『無臭』であることが正義だ。

 検疫室はまるで別世界だった。
 白光に照らされた空間は色彩を奪い、感情までも薄くしてしまうような無機質さを持っている。
 ここでは、花も人も、ただの『対象物』として扱われる。
 
 芹葉はふと、そんな感覚に囚われた。

「香月さん、搬入書類、確認します」

 その声に、芹葉は立ち止まった。

 フード越しでも、聞き覚えのある声。
 低く、静かで、どこか懐かしい。

 芹葉は顔を上げる。
 無菌服に身を包んだ検疫官が、書類を受け取りながら、芹葉に視線を向けた。

「……(さく)さん?」

 名前が口をついて出た。
 
 (さく) 蒼志(そうし)
 三年前、研修先の検疫室で出会った彼。
 植物病理に真摯に向き合う研究者。
 淡い想いを抱いたまま、何も始まらずに終わった人。

「お久しぶりです。香月さん」

 蒼志は、変わっていなかった。
 いや、変わったのかもしれない。

 無菌フードの奥にある表情は、はっきりとは見えない。
 だが、声のトーンも、手の動きも、あの頃と同じだった。

——私の名前、ちゃんと憶えていてくれた。

 それだけで胸が熱くなる。
 芹葉は、心臓の音が速くなるのを感じた。

 
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