運命には間に合いますか?
スペイン建築への夢
設計事務所に勤める私、大橋優那にとって、スペイン建築は生きる糧だった。
動画サイトでたまたま流れてきたガウディの作品を目にしてから虜になり、関連の本や雑誌を集めまくった。部屋には大きなサグラダファミリアやグエル公園などのスペイン建築のポスターや絵葉書がべたべたと貼ってある。
(どうしたらこんな発想ができるの? どうやって作られてるの?)
スペイン建築は見ているだけでもわくわくするけれど、私もあんな建築に携わりたい、そう思うようになった。そこで、大学は建築学科に進み、バイトでお金を貯めて、実際にスペインにも行った。
あこがれの建築物を直に見られるなんて夢のようで、興奮して見て回ったものだ。
こんな建築に携われたらいいなと思いつつ、私は普通に日本の設計事務所に就職した。
働き始めて七年。
業界団体である国際建築技術振興会が研修生を公募しているのを知った。
これに採用されたら、なんと数年間バルセロナにある設計事務所で働くことができるのだ。それはサグラダファミリアに代表されるようなスペインの独創的なデザインと革新的な工法を学びながら、日本の緻密で実用的な技術を紹介するという国際交流を目的とした研修プログラムとなっている。
私の夢にこれほどまでマッチしたものはない。
勇んで手を挙げたのも無理はないだろう。
とてつもなく狭き門だというのに気づいたのはその後のことだった。
それでも、三次審査まで残ることができた。候補者が二人まで絞られて、その中に入っているという連絡をもらったときには飛び上がって喜んだものだ。
(でも、もうダメだ……。重要な最終面接に遅刻した者を採用するわけがない。ただでさえ、ライバルは完璧人間なのに)
それでも、もしかしてと期待していただけに、ショックは大きい。
「大丈夫か?」
うなだれている私に、声がかけられた。快活な男の人の声だ。
顔を上げると、私は力なく微笑んだ。
「あぁ、さっきの……。先ほどはありがとうございました」
それは先ほども声をかけてくれたイケメンだった。
目鼻立ちの整った顔は意志が強そうに見える。前髪も襟足も長めで、どこか迫力のある男前だ。黒のレザージャケットにブラックジーンズ姿の彼は自由業を思わせた。
「いや、俺は大したことはしてない。あのあと、すぐ駅員が来て、おばあさんを引き取ってくれたんだ」
「それはよかったです」
座り込んでいる私を心配そうに見ながら、イケメンは説明してくれた。
ここに来る前、地下道を歩いていたら、目の前でおばあさんが倒れ、動けない様子だった。
朝の通勤時で忙しかったのか、皆、目を逸らし、誰も助けようとしない。
面接時間が気になっていたけれど、私はどうしても放っておけず、駆け寄った。
おばあさんに声をかけ、救急車を呼んで、その到着をじりじりしながら待つ。
刻一刻と時間は迫ってきて、焦りでちらちらと腕時計を確認する私に気づいたのか、この男性が「急いでいるなら、代わるよ」と申し出てくれたのだ。
外見だけでなく中身もイケメンだなと思いながら、お礼を言った私は全力疾走した。
「それより、何時にどこに行くつもりだったんだ?」
電車を逃したのが丸わかりの私に彼は尋ねてきた。
そんなことを聞いてどうするのだと思いつつ答える。
「えっと、九時に国際建築技術振興会ですが……もういいんです……」
どうせ間に合わないと首を横に振ったのに、彼はいきなりぐいっと私の腕を掴み、引っ張り立たせた。
「そこなら、まだ間に合う!」
「間に合いませんよ。それにどうせムリだったので――」
「あきらめるな!」
そもそも私ごときが狭き門を通れるはずもなかったのだと弱音を吐きかけると、見ず知らずの人なのに発破をかけてくる。
驚いて彼を見たら、力強い視線が私の心を貫いた。
「来いっ」
そう言った彼は私の腕を引っ張り、走り出した。
もと来た方向へと。
「え、えぇっ?」
引きずられるように私もついていくしかない。
彼に連れてこられたのは駅前の駐車場。
バイクの前で立ち止まった彼は、横についていたカバンからヘルメットを取り出して、私に渡してきた。
走りすぎて息も絶え絶えでしゃべれない私に「早く被れ」と言った彼は、自分もヘルメットを被った。「美奈子のヘルメットを入れっぱなしでよかったな」とつぶやいて。
奥さんか恋人のヘルメットなのだろう。
戸惑いはあったけれど、彼が国際建築技術振興会に連れていってくれようとしている意図は伝わっていたので、私はヘルメットに頭を押し込んだ。
「しっかりつかまってろよ?」
私をバイクに乗せた彼は、腰につかまったのを確認すると、発進した。
朝のラッシュの隙間を抜いて、バイクはスイスイと進む。上手な運転だったからか、速いスピードにもかかわらず恐怖を感じることはなかった。
四月の空気はまだひんやりとしていて、吹き抜ける風に煽られ、走って汗だくになった身体が冷えた。密着している彼の背中が温かく感じる。
(パンツスーツでよかった。それにしても、親切な人だな)
変なところへ連れ込まれるのではないかと一抹の不安はあったものの、流れる景色を見ると、ちゃんと面接会場に向かっているように思える。
(あれ? 国際建築技術振興会ってだけで、なんで道がわかるんだろう?)
建築業界以外では知られていないはずだし、簡単に連れていけるものでもない。
関係者なのかなと思ったけれど、聞ける状況でもなくて、私はただ彼にしがみついていることしかできなかった。
自分の高まる鼓動を感じながら。
動画サイトでたまたま流れてきたガウディの作品を目にしてから虜になり、関連の本や雑誌を集めまくった。部屋には大きなサグラダファミリアやグエル公園などのスペイン建築のポスターや絵葉書がべたべたと貼ってある。
(どうしたらこんな発想ができるの? どうやって作られてるの?)
スペイン建築は見ているだけでもわくわくするけれど、私もあんな建築に携わりたい、そう思うようになった。そこで、大学は建築学科に進み、バイトでお金を貯めて、実際にスペインにも行った。
あこがれの建築物を直に見られるなんて夢のようで、興奮して見て回ったものだ。
こんな建築に携われたらいいなと思いつつ、私は普通に日本の設計事務所に就職した。
働き始めて七年。
業界団体である国際建築技術振興会が研修生を公募しているのを知った。
これに採用されたら、なんと数年間バルセロナにある設計事務所で働くことができるのだ。それはサグラダファミリアに代表されるようなスペインの独創的なデザインと革新的な工法を学びながら、日本の緻密で実用的な技術を紹介するという国際交流を目的とした研修プログラムとなっている。
私の夢にこれほどまでマッチしたものはない。
勇んで手を挙げたのも無理はないだろう。
とてつもなく狭き門だというのに気づいたのはその後のことだった。
それでも、三次審査まで残ることができた。候補者が二人まで絞られて、その中に入っているという連絡をもらったときには飛び上がって喜んだものだ。
(でも、もうダメだ……。重要な最終面接に遅刻した者を採用するわけがない。ただでさえ、ライバルは完璧人間なのに)
それでも、もしかしてと期待していただけに、ショックは大きい。
「大丈夫か?」
うなだれている私に、声がかけられた。快活な男の人の声だ。
顔を上げると、私は力なく微笑んだ。
「あぁ、さっきの……。先ほどはありがとうございました」
それは先ほども声をかけてくれたイケメンだった。
目鼻立ちの整った顔は意志が強そうに見える。前髪も襟足も長めで、どこか迫力のある男前だ。黒のレザージャケットにブラックジーンズ姿の彼は自由業を思わせた。
「いや、俺は大したことはしてない。あのあと、すぐ駅員が来て、おばあさんを引き取ってくれたんだ」
「それはよかったです」
座り込んでいる私を心配そうに見ながら、イケメンは説明してくれた。
ここに来る前、地下道を歩いていたら、目の前でおばあさんが倒れ、動けない様子だった。
朝の通勤時で忙しかったのか、皆、目を逸らし、誰も助けようとしない。
面接時間が気になっていたけれど、私はどうしても放っておけず、駆け寄った。
おばあさんに声をかけ、救急車を呼んで、その到着をじりじりしながら待つ。
刻一刻と時間は迫ってきて、焦りでちらちらと腕時計を確認する私に気づいたのか、この男性が「急いでいるなら、代わるよ」と申し出てくれたのだ。
外見だけでなく中身もイケメンだなと思いながら、お礼を言った私は全力疾走した。
「それより、何時にどこに行くつもりだったんだ?」
電車を逃したのが丸わかりの私に彼は尋ねてきた。
そんなことを聞いてどうするのだと思いつつ答える。
「えっと、九時に国際建築技術振興会ですが……もういいんです……」
どうせ間に合わないと首を横に振ったのに、彼はいきなりぐいっと私の腕を掴み、引っ張り立たせた。
「そこなら、まだ間に合う!」
「間に合いませんよ。それにどうせムリだったので――」
「あきらめるな!」
そもそも私ごときが狭き門を通れるはずもなかったのだと弱音を吐きかけると、見ず知らずの人なのに発破をかけてくる。
驚いて彼を見たら、力強い視線が私の心を貫いた。
「来いっ」
そう言った彼は私の腕を引っ張り、走り出した。
もと来た方向へと。
「え、えぇっ?」
引きずられるように私もついていくしかない。
彼に連れてこられたのは駅前の駐車場。
バイクの前で立ち止まった彼は、横についていたカバンからヘルメットを取り出して、私に渡してきた。
走りすぎて息も絶え絶えでしゃべれない私に「早く被れ」と言った彼は、自分もヘルメットを被った。「美奈子のヘルメットを入れっぱなしでよかったな」とつぶやいて。
奥さんか恋人のヘルメットなのだろう。
戸惑いはあったけれど、彼が国際建築技術振興会に連れていってくれようとしている意図は伝わっていたので、私はヘルメットに頭を押し込んだ。
「しっかりつかまってろよ?」
私をバイクに乗せた彼は、腰につかまったのを確認すると、発進した。
朝のラッシュの隙間を抜いて、バイクはスイスイと進む。上手な運転だったからか、速いスピードにもかかわらず恐怖を感じることはなかった。
四月の空気はまだひんやりとしていて、吹き抜ける風に煽られ、走って汗だくになった身体が冷えた。密着している彼の背中が温かく感じる。
(パンツスーツでよかった。それにしても、親切な人だな)
変なところへ連れ込まれるのではないかと一抹の不安はあったものの、流れる景色を見ると、ちゃんと面接会場に向かっているように思える。
(あれ? 国際建築技術振興会ってだけで、なんで道がわかるんだろう?)
建築業界以外では知られていないはずだし、簡単に連れていけるものでもない。
関係者なのかなと思ったけれど、聞ける状況でもなくて、私はただ彼にしがみついていることしかできなかった。
自分の高まる鼓動を感じながら。